スクイーズ篇 二門

□sleeping locust
1ページ/1ページ

 あまりにも疲れて泥のように寝ていた。
 眠く、起き上がる気力はないがうっすら意識はあり、誰かが家に入ったことには気付けた。

 侵入というにはやけに慣れた足音と、「セミさん、いるー?」と言葉遣いからで誰なのかはすぐに分かった。
 玄関の靴からでも家主がいることは分かるだろう。
 控えめな声量でお邪魔しますと断るあたり真面目さに笑ってしまう。
 起き上がりたいところだが、この眠気には勝てず、ただ力なく寝そべることしか出来ない。
 寝室のドアをゆっくり開けた彼女は心配そうかと思いきや、寝てることを喜ぶように「寝てる寝てる」とくすくす笑う。
 起きたいところだが言うことを聞かない体はひたすら体を休める。
 扉越しからの小気味のいい包丁の音にまた意識が落ちる。

 ふとまた意識だけが起きるが、やはり音を聞くぐらいしか出来ない。
 先程の調理の音は聞こえない。
 もう帰ったのかと寂しく思ったが、ベッドの重心のズレと目の前に何かがいる気配がいた。
「………………」
 彼女が目の前で横になっている。瞼が開けられないほどに疲れているので見えてはないが、確実にいる。
 彼女は寝てないということは、弄られているこの手の感触からでも分かる。微かに鼻歌のようなものも聞こえる。確か、ここ最近亡くなった女性歌手だったはずだ。
「落ちていく、落ちていく――
 あなたの優しさに、あなたの寂しさに

 涙が溢れるように、気持ちが募っていく

 それはほんの一粒の真実と、沢山の嘘と

 何も信じられないけど、なんでも信じたくて

 どこまでも遠くに行けそうで、でも迷ってて

 暗闇の中、あなたの手を探す、探す――

 足元が崩れるように、地球(ほし)が壊れるように
 あなたの寂しさに落ちていく――」
 完全にされるがままに手をマッサージを受ける。
 腹越しに伝わる感触から今目を開けても目の前は頭しか見えないだろう。
 はやく帰れというわけでもないのだが、この状態がいつまでされるかも気になる。
 この腕くらい動かさないかと、もそっと動かす。
「……ひゃっ」
「……………」
 元々腕を締めた形をされていたので、軽く締めただけなのだが、予想よりも驚かれた。
 無理にでも起きて、早く帰らせるべきか。
 来た時間から考えてもまた夜間の任務だったのだろう。
 頭をわしわしと撫で、どこも怪我をしていないことを確認し、ほっと優しく撫でる。
 くすくすと笑う声が聴こえ、また撫でる。
 安心するとまた眠気が来た。

 やや遅めの起床からリビングに行くとメモが置かれていた。
 メモには昨夜の任務の帰りに寄ったと書いてあり、腕の中にいたことは一切書かれていない。
 来ていたことは本当のことだったらしい。
 冷蔵庫の中を覗くと、空いていた段に料理が乗ったプレートがまるまる置かれていた。
 ただ、この料理があることから、あのベッドであったことは現実だったことが証明された。
 料理は夏野菜を使った味噌汁で茄子やズッキーニが入っている。昨晩のうちに浅漬けも漬けていたらしい。焼いてから時間が経ったとはいえ、レンジで加熱した鮭も旨い。さらにご飯もちょうど起床時刻ごろに炊き上がったので、事実上の作りたてを食べられることになった。
 ご丁寧にも味噌汁は汁物用のタッパーに小分けされ、何回かは食べれそうだ。
 高校生という身分も暇ではないのだが、放課後だけとはいえ平日も会うわ、土日も結構な頻度で会うわ、任務でも会うわ、世話を焼いて来てくれるわ、これではまるで
「………通い妻みたいだわ……」
 違うと否定はするが、この体裁は誰がどう見ても家政婦ないし、通い妻だ。
「……妻……ねえ」
 ぼんやりと妄想してみるが、あまりいつもと変わらない気がしてならない。強いて変わるとすれば、システムに監視体制を変えたと報告するくらいだろう。
 彼女ならば監視の体(てい)として説明すれば、受けてくれそうな気もするが、それはそれで嬉しくないような嬉しいような。
 監視としてそうなってしまえば、どうせならこちらも何か作ってあげたいが、この時期はトマトやオクラやさっぱりしたのがいいだろうが、冷えたものばかりでは体を冷やしかねない。
 いや、それはそれで違うだろうと一人突っ込みを入れる。
「………奥さん」
 自身にあまりにも縁遠い言葉と関係が複雑すぎる彼女との組み合わせは考えれば考えるほど、正解が見つからない。
 この時点で“しない”を選択肢に入れてないことには本人は気づいていない。
 味噌汁を飲もうと口につけると、熱すぎて火傷を負ってしまった。
次の章へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ