スクイーズ篇 二門
□little warm
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初夏の蒸し暑さではどんな人間も体調を崩してもおかしくない。
合成人間でも体調を崩すこともあるのだ。
スクイーズと言う名を持つ合成人間は先日の事件の影響により体調が優れないでいた。
元々身体的には優れている合成人間だが、精神面においてやや弱いと言われてきた。特にスクイーズは社会に潜伏し、一般人のふりをしながら、合成人間としての任務を遂行している。どこまで人間のふりをすればいいのかの線引きはとうの昔に引いている。彼の言葉遣いは他の合成人間にも不思議がられているが、ある種の線引きとしても効果があり、彼は無自覚に振り分けている。
彼には誰にも明かしていない秘密がある。
MPLSを統和機構から匿っていることだ。
それは合成人間を作った統和機構にも報告していない。これが規定違反だということは彼自身も分かっている。
特殊能力を持つ人間、MPLSと呼ばれる者を発見すること、合成人間の任務においてどんな者にも定められた任務であり、誰にもその任務が除外されることはない。
スクイーズも本来ならば忠実に任務をこなしてきた、模範的な合成人間であり、これまでもMPLSの疑いがある者は報告してきた。
何故彼がMPLSを匿うのかは彼にしか分からない。
(そろそろ来るかしら)
スクイーズは表社会の活動の方が多い為か、心の中の言葉遣いも蟬ヶ沢としての言葉遣いになることが多い。
事務所に置かれている仮眠室で休んでいると、鈴のような声が聴こえてきた。
愛称で呼ぶ声は、無関係に等しい赤の他人と分かっていても親しみを込めて呼ばれるとこそばゆくなる。
まだ小さい体で探し回っているのだろう。誰をとは思わない。間違いなく自分を探している。ここの事務所には親戚の子供だと説明してあり、既に何回かは連れてきている。
幼い子を連れてきていることに関しては良心の呵責もあるのだが、彼女の能力により両親の意識は別方向へ向けているので出掛けても気付かないらしい。流石はMPLSの能力と思いたいが、道中何かあっては困るので彼女には両親に連絡してから来なさいとは教えている。
迎えに来てもいいのだが、扉を開けた顔がどんな顔なのか楽しみで待ってみることにした。
とたとたと足音が聴こえなくなり暫く経つ。
下の階から下卑た笑い声が響く。すぐに起き上がるが、痛みと目眩よりベッドに戻ることになる。
(スプーキーEめ、ここはお前のテリトリーじゃないだろうが、くそ!)
心の中の話し方も“同僚”に引っ張られ裏の仕事の話し方になる。
起きたくとも起き上がれず、もどかしさで唸っていると扉が開いた。
「セミさん!」
入ってきたのはちよだ。嬉しそうな顔と期待したが、少し泣きそうなほっとした顔をしている。
「あら、ちよ。いらっしゃ……い」
勢いよく腹に抱きつかれ、言葉が途切れた。昨日も会ったはずなのに、久しぶりに会ったかのように安堵している。
不思議に思いながら頭を撫でる。長くふわふわとした髪の毛にカチューシャのように巻いたリボンが良く似合う。
「痛くない?」
「痛いけど、平気」
ぎゃうぎゅう抱き締められ、少しではあるが和らいだ気がする。
「よくなった?」
「とってもすごくね。ありがとう」
「……よかった」
涙目になりながら頬擦りしてくる。やけに安心している。
ちよの皮膚に触れた場所から、寒気とも違うなにかが視える。彼女が能力で視えるものが、蟬ヶ沢にも触れることで視ることが出来るのだ。
ちよの能力で視える彼女の意識は感情に当て嵌めるならば恐怖と緊張だろう。
思い当たる人物はいる。
「もしかして……怖い人に会ったりした?」
「ちょっとだけ怖い人が見てた……でもまだ会ってない。すれ違った時……視えたのが……」
震えだした肩を抱き締める。
「大丈夫よ、ここには私しかいない。怖い人がここに来たのね」
ちよは頷く。
「……悪いけども、私が迎えに来るまでここにいてもらえないかしら」
もう一度抱き締め、少し体を休ませる。
起き上がれるまで回復すると、事務所の中でうろつく男を掴まえた。
「スプーキーE、何しに来た」
「はっ!お前が発見したドッペルって奴の痕跡を調べとけって言われたんだよ」
「なら調べ終わっただろう。早く報告に戻れ」
「まま、そうつっけんどんなさるな。俺がようがあるのは、別だ」
「別?」
「別としてここに来たはいいが、どうにもおかしなことが起きてんだ」
おかしなことという言葉にスクイーズは内心固まる。
「ドッペルゲンガーに会ったやつを探していたはすなんだが、なにか見落としてる気がしてよ」
「書類を見せろ」
「何の権限があって見せなきゃいけねえんだ」
「ここに突然職場に来られて迷惑しているんだ。早く出られるんならお前にとっても楽だろう」
書類にはここの職員だった写真と個人情報が書かれている。彼はこの間のドッペルゲンガーの事件により亡くなった。
「彼に関しては既に報告にした通りだ。もうお前に教えられることもない。別のところへ行くんだな」
「ああ、それは分かってる。俺が探しているのは奴さんとお前が会ったガキだよ」
「……」
「さっき階段を上がるところは見たんだがすぐに見えなくなってな」
「それならさっき帰ったさ」
「……そうか。まあ、ドッペルゲンガーの調査はこれで間に合うだろう」
帰れ帰れと手を振っ促す。
「ところでお前、なんであんなガキを連れてたんだ?」
「イベントで会ったときになつかれた。それだけだ」
「ぶははははは!過保護すぎて、ロリコンで通報されないように気を付けることだな!」
同業者の男が去るまで、休憩室の鍵を強く握りしめていた。
同業者が去った後、休憩室に戻る。
大人しく待っていて退屈だったのだろう。彼女は寝ていた。風邪を引く可能性もあり、ジャケットをかけておく。少なくとも、このジャケットにより一度は来たことが分かるだろう。
起こすのも悪いと思い、退社時刻の夕方までそっとしておいた。
従業員の中にはちよの様子を見る者もいたが、注意すると「過保護だ」とからかわれた。
車まで彼女の自宅に着く。チャイムを鳴らせば、のんびりとした母親が玄関から出てくるだろう。
助手席に座らせたちよはまだ眠っている。このまま母親に渡そうか、起こすか迷う。どのみち玄関まで届けることには変わりないのだ。
この場に誰がいればまた過保護だの揶揄されるかもしれない。
「……過保護にもなるさ」
車の中で眠るちよの頬を撫でる。
事務所に来るのも、蟬ヶ沢が手掛けたのを気に入ってくれたからだ。
これまでの任務も忠実にこなしたとはいえ、こっそりと見逃せるようなものは見逃してきた。一般的な仕事にもあるサボり、手抜き行為に過ぎない。ばれても不信を買って、鑑定人に査定されるだけだ。そう易々と自らの戦力を削ぐ行為はしない。
MPLSの存在の隠蔽は手抜き行為のようには許されない。死罪確定の犯罪行為といってもいい。
情けない理由かもしれない。
もう少し彼女と過ごしたい。
この子を明け渡したくない。
違反理由は酷く些細なものだ。
「……へへ、セミさん」
ふにゃりとした寝顔を見て、起こさずに玄関で渡すことにした。