スクイーズ篇 二門
□白鳥と鷺鳥
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1.
あ、と先に声を上げたのは少女だった。見上げる少女の動きに男も釣られて見上げると上空に鳥がVの字を描いて飛んでいた。
寒さと共に訪れる白鳥はこの季節になると越冬の為に日本にやってくる。川や田んぼに行けば彼らが羽を休めたり、餌を啄む。
二人の周囲には雪化粧の田んぼばかりで道路は車一つ通らない。季節柄ここはもう農耕として使うことがないからか、近隣に住民がいないからか。それでも除雪されているのはここが車の通行としてなくてはならない、場所でもあるのだろう。
住民がいないことは少女の特殊能力〈フェイク・シーズ〉で確認している。やや標高が高い土地は海抜が低い土地よりも寒く、この季節でなくても住みたいとはあまり思わないだろう。
白鳥は少女たちの上空を通り過ぎて更に南に向かう。南に行けば大きな川がある。恐らく白鳥たちはそこで羽を休めるのだろう。
少女は白鳥が通り過ぎるのを見届けると、己の手に息を吐いて暖を取る。
「白鳥もシベリアあたりの寒さには勝てないよねえ」
「そうね、自然には誰にも勝てないわね」
男の言葉遣いには一切気にせず、少女は吐いた息で暖を取る。少女の手を男が取ろうとするが、少女はすっと避けた。
「でも、時には逃げるのも手ってやつよ。その辺人間は意地があるから逃げることを嫌うことがあるし。セミさんはちゃんと逃げる時は逃げてよ」
「私も逃げる時は逃げるわよ。貴女を逃がしてからね」
男はマフラーを取り、少女に巻こうするが彼女は手で遮る。
「絶対セミさんが安全圏に入ってからでないと私は逃げないわ」
「そこが駄目って言っているじゃない」
「じゃあ、一緒に逃げればいいんじゃない?これじゃあ私達どっちも逃げずに相手に潰されるし」
「私は貴女となら逃げても良かったわよ」
男は何からとは言わない。
少女は不服そうに溜め息をついて、大人しくマフラーを巻かれる。ポケットからマスクを取り出し、男に付ける。
男の方が身長がある為か少し首を傾け、彼女の行動を待つ。指二本を鋏の様に一度広げて、紐を挟み込む。落さないように男の耳に掛ける。
「私は逃げたくない」
「今から逃げてもいいんじゃない?」
その声は囁きに近いほどの小声。少女が音を遮断していることが分かっていても他者に聞かれないようにと思っての小声だろう。
「セミさん、私は」
「 統和機構から逃げたくない意地でもある?」
彼には他はどうでもいいとでも言うように。
***
合成人間スクイーズは取り込んだ空気の寒さに少し眉間に皺を寄せた。
表向きでは観光客として来たスクイーズとちよは辺りを雪原の田んぼを見回す。二人が住んでいる地域にも雪は降るのだが、ここは積雪量が段違いだ。
ここの管轄の合成人間に任せるのが定石だが、今回は相手が分かっており、そこの繋がりとしてスクイーズが選ばれたのだ。
一度山間部の調査を切り上げて住宅街に戻る。
この地域は山と海に挟まれ、至って平和な地域だ。スクイーズやちよが暮らす地域は都会と言ってもいい場所だったため、同じ人が住む場所とはいえその光景は新鮮だった。
スクイーズ達が向かったのはある個人運営の図書館と宿舎だ。住民の噂によると自衛隊出身者が切り盛りをしているとのことだ。
この図書館のシステムは独特だ。月額で一定金額を支払うことで二十四時間いつでも入ることが出来る。個人運営なのもあり、おおよそ入手できる図書はなんでも置いている。一般的な書籍から個人製作誌、さらにいえば図書館と印刷所との連帯で書籍を作ることもある。
特殊なものを置いているからか管理も厳しい。初めて入るものは入館カードを作らねばならない。いわば身分証明として機能するものだという。
図書館に入ると広い玄関があり更に扉がある。扉には差し込み口がある。
スクイーズはポケットから自身のカードとちよのカードを入れ、扉を開ける。扉そのものは鉄の扉でも自動ドアでもない、木製の引き戸だ。扉の向こう側に入った瞬間にちよは思わず後ろを見た。
スクイーズもちよの様子に気づき、システムの端末を見せる。彼女の能力をもってすればこの端末がどのような状況に置かれているのは気づくだろう。
この図書館、宿舎全体が完全に電波が遮断されている。
扉を超えてすぐ、また部屋があり部屋半分が受け付けのような場所に占められている。そこには眠たそうな顔をした男がぼんやりと本を読んでいる。スクイーズとちよが来ても反応はしない。
スクイーズもまた男には何も言わず、ちよを連れて更に奥へ進む。
この図書館は元々大きな屋敷だったことから小分けにされた部屋に分かれ、そして広い。部屋のいくらかは談話室としての機能もあるのか微かに談笑が洩れる。
カチューシャかわいや、わかれのつらさ、低い歌声が聞こえる。ここはカラオケまでは許可されていない。微かに、ハミングを取る程度の歌声とも取れない声は無音対話によりスクイーズたちを招く。
声が聞こえる部屋の扉をスクイーズは開けた。