スクイーズ篇 二門

□オランジェ・ディスコ
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 季節は一月。バレンタイン企画もブティックに展開が終えて一息付きたいところだが、すぐさま短期開催限定イベントの設置準備がある。
 元旦の朝、ちよを送るときの会話は仕事の打ち合わせと雑談混じりのものとなる。
「ムーンテンプル付近にも出すとはいえ、気が滅入るわね」
「任務兼仕事でしょ。大変」
「ちよもやるんだけど?」
「今年から受験生なんですけど」
「分かってるわよ。そりゃ無理のない範囲にお願いね」
 蟬ヶ沢は口ごもる。無理の範囲は彼女をシステムに入らせた時点で越えている。
 蟬ヶ沢の様子を見てか、ちよはけらけらと笑う。
「大丈夫だって!無理しそうになったらセミさん家に泊まるなら」
「人をホテル代わりにしないでよ」
「人を抱き枕代わりにしちゃう人に言われたくないわねぇ」
「………………安心するんだもの」
 かなりの小声で呟く。彼女には聞こえなかったらしい。安心したような残念なような。
「セミさんに関しちゃ、今さらセクハラのひとつふやつじゃ怒らないから安心して!」
「ちよの許容範囲が広くて不安になってきたわ」
 彼女は不服そうに頬を膨らませる。
「これでも結構狭いんだからね。チョコだっけ決まった人にしかあげてないんだから」
「となると、今年もチョコをくれるのかしら」
 分類不明の特別視に心踊り、小さい頃のちよを思い出す。会った時から毎年バレンタインにはチョコをくれるのだ。
「軌川くんにはあげちゃだめよ」
「それは任務として?」
 声音をスクイーズに変える。
「………恐らく、次の大規模イベントで終わる」
「個人的にはあげちゃだめ?」
「個人的にはあげてほしくないな」
 スクイーズの声音で任務の範疇であることを強調する。
「スクイーズとしての任務なら仕方ない。セミさんにあげるのもやめようかな」
 視線がぐるくるとどこを見ればいいかわからなくなった。
「…………………………、待ちなさい。なんで、なぜ、そこはいいじゃない」
「これでもセミさんの事務所とかPWの人たちにもあげてたんだよ?今回だけ十助くんにだけあげちゃだめとなると……不自然じゃない?」
「…………………………こっそり私にだけってのはない?」
「ない」
 にっこりとかわいく脅される。
「………………………今年は何を作るつもりだったの?」
「ひみつ」
 車はちよの家の前の公園に着く。
 ちよはちらっとこちらを見てきて、自分がいつものエスコートをしてこないことに気づいた。
 車を出ようとすると袖がくんっと何かにひっかかる。
 ちよが袖を掴んでいる。
「ちよ?」
「……」
 うつ向いてまって彼女の顔は分からない。
「どうしたの?」
「ねえ、セミさん、チョコって欲しい?」
 蟬ヶ沢とちよとの体格の差もあってだろうが、この上目遣いは色仕掛けをされてる気分になる。
「…………………………」
 視線を二度三度明後日の方向に向いた後、頷く。
「やっぱ十助くんにはあげちゃだめなの?」
「…………、………」
 袖を掴むちよの手を握る。
「あげるなとは言わない。だが、そろそろ彼とは会えなくなる。それがなんの意味になるかちよ……ウェザーは分からないわけじゃないだろう?」
「…………最後までいつも通りじゃだめ?」
「…………私にもちよのチョコをくれるなら構わない」
「どれだけ欲しいのよ」
「これでも毎年楽しみにしてるのよ……」
 自分で言って恥ずかしくなってきた。
 ふーんとにやにやするちよを見て、さらに顔が熱くなる。
「セミさん、ちょっと目を閉じて」
 言われるまま目を閉じると口に何かを押し込まれる。条件反射で舌先で舐める。苦味のある粉末に熱で油分と糖分が溶けて舌を伝って入り込む。ぐいぐいと押し込まれ、噛むと中に酸味のある乾物がある。
「美味しい?」
 頷くと小さく「よしっ!」と喜ぶ声が聞こえた。目を開けると、ちよの手には可愛い食品包装用の小袋にチョコレートが収まっている。
「本番はもっと美味しくなるから楽しみにしてて!今年もありがと。新年早々事故んないで帰ってよ!」
 十助にも渡せると安心してか、満足げににっこりと笑う。蟬ヶ沢のエスコートを待たずにさっさっと扉を開けて家に帰ってしまった。
 ばたばたと慌ただしい彼女に蟬ヶ沢は圧倒される。助手席を確認半分期待半分で見るが、忘れ物もなにもない。
 先程の試作品は全部は渡してくれなかった。試作品だからなのだから仕方ない。
「どうせなら完成したを渡したいものね」
 バレンタイン当日には、蟬ヶ沢のスタッフ、PWの従業員、そして十助にも同じものを渡すのだろう。
「十助くん、ね」
 彼女が呼ぶ彼の呼称を呟く。蟬ヶ沢は名字でくん付けをするのに反して、ちよは名前にくん付けするのだ。蟬ヶ沢が名前にくんやちゃんを付けて呼ぶことから彼女も連れて呼ぶのだろうが、名前か名字で呼ぶかで距離感は変わる。
 親しくするなと彼女にはシステムに入る前から根回しをしていたが、どうしてか二人は会う回数こそ多くないのにも関わらず仲が良い。男女の仲というよりは兄妹のようにも見える。
 軌川十助、ノトーリアスICEは今年一杯の監視になるだろう。長い監視だ。ちよほどの長い付き合いではないが、十助とは気があったことがなかった。
 十助と気が合うのは楠木玲くらいで、その次がちよなのではないだろうか。彼は二人に対してはそれぞれ別のベクトルで話が噛み合っていた。
 十助と話すちよもわりと他の人と話しているときよりも気楽に話していたがようにも見える。
 ある意味自分といるときはあまり見せない顔のような気がする。だから寂しく思うわけではないが、気になって仕方ない。男女の仲ではないにしても、どちらもスクイーズの監視対象でたるため二人の距離が近いのは見ていて怖い。
(軌川くんにはどう見えてるのかしらねえ)
 唇についたココアパウダーを舐める。
 市販のものよりもやけに苦かった。
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