スクイーズ篇 二門
□心肺停止
1ページ/11ページ
01.
ちよが泊まりに来る。
蟬ヶ沢の心臓は止まりそうになった。
バレンタインの時期も過ぎ、季節は冬の残りと共に春の温暖な風を待つはずが蟬ヶ沢の体感温度は夏になっていた。
彼女が泊まりにくることも何度もあった。大抵は任務後の休憩として泊まりに来る。むしろ蟬ヶ沢が積極的に休ませてから家に届ける方が多い。泊まると言えば、任務の延長線であることが多かった。
彼女から泊まりたいと誘われた。任務の後でもなく、完全に私事だ。
彼女の身分は学生であり、学校もほぼ出席日数の補完と日常の惰性で出席している状態だ。あと一月と少しもすれば完全な受験生になる。それまでに遊べるなら遊びたいという精神だろう。
浮かれている。
自分の方が浮かれている。
上司であり監視対象でもあるレインならば顔をにやけつかせながらからかうか、引いて変なことはするなと言ってくるに違いない。
蟬ヶ沢がアイスクリームチェーンのペパーミントウィザードの取締役として赴任して半年が経過した。蟬ヶ沢の事務所は大型イベントに向けての確認作業で忙しい。このアイスクリームチェーンの謝恩イベントは来場予定二万人を予定し、新作アイスや記念グッズもプレゼント、ペパーミントウィザードの社長が表舞台に出るのが目玉だ。
これで皮を被ったシステムの任務でこの仕事ともおさらばとなる。
長い監視だ。
蟬ヶ沢の表向きの存在であり、本当の姿は統和機構の合成人間スクイーズ。ペパーミントウィザードの社長こと軌川十助、監視対象ノトーリアスICEの監視をしてきた。
監視してきた期間はおおよそ四年。
寺月恭一郎、景山の次に付き合いが長い。
謝恩イベントの本来の目的は軌川十助が作ったアイスの反応が高い者と軌川十助をもろとも処分するのが目的だ。
いつものスクイーズの任務。
気持ち的にできるできないの問題じゃない。やらなくてはならないことだ。
内心この半年は、楽しい半分辛いが半分だ。任務とはいえこの仕事は存外嫌いではない。監視対象の軌川十助――ノトーリアスICEの言動には困らされるばかりだが、アイスクリーム店として成長していく様は悪い気分がしない。
浮かれた心に影が差し、ため息をつく。
軌川十助のことを哀れに思う。
好きなようにアイスを作って作らされて、挙句に処分される。
スクイーズとて哀れに思っても逃がすことはしない。規模が規模だけにごまかせない。なにより万が一失敗しても共に処分される可能性がある。
彼女だけはこれ以上統和機構の目に止まることが起きてはならない。
スクイーズが監視をしている一人がちよだ。監視とは名ばかりで、単純に一緒にいる時間が増えただけだ。
スクイーズとしている時間を彼女とも過ごすことが増えた。
スクイーズとも蟬ヶ沢とも判別がつかない時間が増えた。
少なくともスクイーズであることを知られていなければ、彼女とはもう少し距離を置いていた。
スクイーズとしてちよと共に任務をこなすことになり、深夜での活動、宿泊、遠征、蟬ヶ沢として行動を制限しても場面場面によっては生死に関わるので羞恥心を捨て、彼女に関して必要な保護をしてきた。
今日の誘いは任務とも仕事とも関係がない泊まりだ。
口角が少しばかり上がる。
浮かれている。
どうせ前日に泊まり、朝早くに出かけるのだ。
謝恩イベントの件もあり気持ちとしては塞込んでいたので、蟬ヶ沢としては下心なく本当に嬉しいのだ。
にやけそうな顔を抑えて謝恩イベントの書類を作る。
「……これでよし」
心の中でのシミュレーションは完璧。
「セミさん生きてる?」
蟬ヶ沢の背面からぬっとが顔を覗かせる。
「いやあああ!」
蟬ヶ沢の叫びにはびくっとしながら、ちょっとは手を伸ばす。
「……なひ……?」
背後を取られるどころかすぐ後ろにいたことにさえ気づけなかったことに、合成人間としての自信に罅が入るよりも情けなさで恥ずかしくなる。
彼女が伸ばした手は書類に向ける。「見て良い?」蟬ヶ沢の了承を得て、確認する。
「仕事、手伝えそうなのあるかなって。セミさんのことだから、家にいても仕事しちゃうでしょ」
「そんなことしない、わよ?」
「……」
これは信用されてない顔である。