スクイーズ篇 二門
□うんざりするくらい居てあげる。
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学校帰りに朱巳と調理可能なレンタルスペースでリンゴのコンポートを作った。調理後に通信が入った。相手は統和機構の構成員に違いないが、その人物は中でも特殊な立ち位置にいる。
金曜日の終わりは朱巳との楽しい放課後で終わりたかったのにと愚痴りながらも、要請先の研究施設にスクーターを走らせた。
三枝華中という合成人間と会うのは三回目だ。二度目はスクイーズと初めて統和機構の施設に入ったときで、今は三度目だ。
統和機構に所属して任務として来ることが多いのがここだ。主に合成人間の“先生”担当と、体内に薬液を投与しての経過観察だ。
今回はそのどちらでもない。
研究施設ははた目から見れば工業地帯のだだっ広い施設で、ちよはスクーターを駐輪場に停める。施設の入口は分かる。受付嬢は時間外なのか不在で、代わりに当直の警備員と受付係がいた。先に気づいたのは入口に立っていた壮年の警備員だ。ちよの姿に気づくと受付にも来たことを伝える。
「やあ、日和さん。今日も呼び出しで?」
「はい、慣れましたが、こんな時間なので親に叱られそうです」
「そこはなんとかアルバイトで言っとくといい。ま、金は発生しないバイトだがね」
警備員が肩をすくめる。ちよがどんなことをしているかは知らないが、統和機構に関係する人間だけにちよが仕事として来ているのではないのは察しているのだろう。
「こんな時間に来てくれる華代として、駄賃として、ほれ」
受付係の中年男性がバジルの調味料が入った小袋を渡した。
「洒落たもんだが、これが旨くてね。明日の朝ごはんにでも使ってくれや」
「ありがとうございます」
にっこりと受け取り施設内に入る。あの二人は施設での顔なじみでもあり、恐らく統和機構としての構成員だが立場はそのまま警備員と受付係の一般人の社会人なのだろう。統和機構の構成員の中でも、普段の過ごす中で通り過ぎる人間でも、意識の向きとしてはいい人に当たる。そんないい人でも、統和機構側にいるのは驚きつつ、統和機構が掲げる目的の“守護する人類”は彼らのような人間だろうなとも思う。
施設内を迷うことなくちよは進むが、受付係には案内されていない。この施設の受付係の受付としての仕事は来訪予定外の人物の追っ払いだ。ちよに伝達された要請には施設の場所は指定されたが、建物内の場所までは指定されていない。その必要もない。
通信が入る前からちよへ少し意識を向けていたのは気付いていた。ちよの能力〈フェイク・シーズン〉は人や物の動きの流れが見え、流れを変えさせることができる。
ちよへ向ける意識が「ここに来い」と言っている。向こうもそれで来れると分かっているのだ。
呼び主の部屋の前でちよは止まる。呼び出したやつの第二対面の時の顔を思い出し眉間に皺を寄せる。見ても殴らないように、感情を爆発させないように冷静に、心のなかで言い聞かせる。ノックをすると、呑気すぎて空気が読めないような「どうぞー」が聞こえた。
「やあ、急な呼び出しですまないね」
「システムの呼び出しの中ではまだ空気が読めてるのでマシです」
「はは!そりゃいい!他の奴らと来たら、学校だろうが仕事だろうがおかまいなしだからね」
三枝華中はけらけらと笑い飛ばす。呑気も呑気な笑い方と軍服じみた服は研究職の人物としても特殊なのは見てわかる。
「用事と言うのも簡単なことさ」
ことりと黒い消ゴムほどの大きさの長方形のものを置く。
それが盗聴を防ぐための機材であることはちよも知っている。
「まあ、座りたまえ。茶菓子はないが緑茶くらいならある。そこの自販機で買ったものだがね」
三岐はちよに向けて患者椅子を出し、緑茶のペットボトルも診察台に置く。
ちよは椅子には座るが、ペットボトルには目もくれない。毒もない本当にただの緑茶であることは能力でも視ることは出来た。なんとなくこの人物の前では飲みたくないのだ。
三枝は気にも止めずに話始める。
「もしも、いや、今後彼に何かに異常が起きたなら、製造人間の“コノハ・ヒノオ”を探すといい。いずれ君の役に立つだろう」
ちよはこの合成人間があまり好きではない。厳密に言えば、落ち着かない。ちよの能力〈フェイク・シーズン〉で相手の意識の向きは視える。意識もないものにも必ず存在し、個体一人から一つ以上は流れるものだ。
この三枝は違う。目の前にいる三枝からは勿論意識の向きの流れが視えるが、同時に上からも視えているのだ。この上からの意識は知っている。遥か昔、空を視た時に視えてしまったものだ。
この再生専用の合成人間は、一般人でもMPLSでも合成人間ですらないのだ。
好奇心旺盛なように見えて、ひたすら虚空を視ている猫とも違う。
「製造人間なら“ウトセラ・ムビョウ”では?」
数ある合成人間の秘密の一つに、合成人間を作り出すことが出来る者がいる。人間を元にして作り出す種類と、生まれながらの合成人間の二種類がある。幼いころのクリスマスの時といい、恐らくスクイーズは……。
「製造人間というのはまあ役割としての名前みたいなものさ。シャム、ハチワレ、シロとかを見かけたらひっくるめて猫とくくって呼ぶようなものさ。問題は個人名ではなく分類。まあ、呼び名なんて相手も自分のことだとわかってるなら好きに呼べばいいのだから、そいつはいいのさ。問題はそいつと接触出来るかどうかさ」
「今後の追加の任務はその製造人間と接触しろということですか?」
「いやいや、二つ違う。私が言いたいのは、彼に何か起きる前に製造人間を見付けなさいってことさ。これはちょっとした老婆心さ。私が彼を研究対象として観ているのは視えているんだろう?」
相手は嘘をついている様子はない。相手がガセをつかまされているとも限らないが、それは調べないと分からない。
ただ、ちよにも恐らく蟬ヶ沢に向けているその意識の向きには動きを楽しみながら観察しているようなものが視える。良く言えばキラキラとした好奇心、悪く言えば蟻の観察日記を付けている中で観察し甲斐のある個体を観ている。
「探しておかないと、スクイーズの、蟬ヶ沢卓の命が危なくなるといえば君もやる気を出すかな?」
嘘は言っていない。
ただこちらを見つめる目は虚空で、まるで読めない。
帰路の途中でぐるぐると三枝の言葉が繰り返される。
気がつけば蟬ヶ沢のいるマンションについた。この真夜中になんで来てしまったのか自問自答し、些細なことでもすぐに教えなさいと言われていたのだ。心の中でそう言い訳をすることにした。
合鍵を使って静かに入ると、やはり部屋に明かりはなく彼は寝ている。
このまま帰るにしても、あの命が危ないと聞くと様子を見たくなる。闇夜に目が慣れるとそっと部屋に入る。
扉の隙間から寝室を覗けば、彼はベッドにいる。音を立てないように近づき、腰を下ろす。蟬ヶ沢の体重に比べれば軽いが、質量としては軽いとはいいがたい。ちよの尻は寝ている蟬ヶ沢より浅くベッドに皺を入れる。
横になりつつ背中合わせにする。
布団を挟み伝わる体温にほっとしたのもつかの間、ちよはくしゃみをしてしまう。
焦るちよだったが、うとうとと蟬ヶ沢が布団を引っ張った。
起こしたかとベッドから下りると、布団がめくりあげられ歓迎されている。瞼は完全に閉じられながらも、寝言なのかいびきなのか判別の付かない声でなにか言っている。
「………」
恐る恐る入ると彼は満足げに布団を正し、深く眠りについた。
静かに寝息を立てたのを確認すると、携帯端末には泊まりに来たと書いておくことにした。
事実は逆だが内容は合っているのだ。本人は覚えてないだろうし、気付かないはずだ。
ちよが統和機構に入ったときのスクイーズもとい蟬ヶ沢は起きても寝てても距離はあったのだ。しかし二年でこうも無意識の行動も変わるとは思わず、笑ってしまう。
自分はどう思われてるのかは分からないが、起きていたなら「寒いし、入っときなさい」とでも言うだろう。任務では日常茶飯事だった距離感なしの過保護行動に感覚が慣れすぎて、蟬ヶ沢としてでもこの距離はそわそわしてしまう。
気づかれないように頬擦りをする。
「セミさんは遠くに行かない?」
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「ちよがうんざりするくらい、このまま居てあげる」
おどけて言うはずが、羞恥心で声は上ずり、情けない声で言ってしまった。
くすくすと笑うちよの声に益々顔が熱くなる。このセリフが彼女にとっての正解かは分からないが、良かった。
ぎゅうぎゅうと離れないようになのか強く抱き締められている。
「いてね。セミさん」
やけに切実そうに甘えた声で囁く。
顔の熱が覚めるまで、埋もれてきたこの頭を腕のなかに抑えた。