スクイーズ篇

□テリトリー
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 ううと、呻く声が聞こえてちよは固まった。
 そっと後ろを振り返り蟬ヶ沢が起きていないか確認する。大きい背中は静かに揺らし寝息を立てている。
 ほっと胸を撫で下ろすと、起き上がり、己が今着ている服を見る。袖は腕よりも長く、明らかに大きさが合っていない。後ろにいる男、蟬ヶ沢のものなのだ。
 着ている経緯は中々馬鹿げていている。ちよが雨でずぶ濡れになり、服が乾くまで着ていろと言われたのだ。
 今いる部屋は蟬ヶ沢が昔使っていた家で、裏の仕事の都合に合わせて引っ越しをしたのだ。セーフティハウスとして残していたので私物は殆んど置いていない。
 洗濯機がすすぎの音を立てている。温風の乾燥機付きなので朝までには乾くとは言ったが、乾くまで待つのがもどかしい。この家に最低限のものが置かれているとはいえ、
「だからってセミさんのシャツじゃなくてもいいと思うのに」
蟬ヶ沢の衣類を着ることに少し抵抗がある。
 巷の女子はこの手のに受かれるのだろうが、着ている身としてはかなり恥ずかしい。ボタンを全て留めても、首は鎖骨まで露出し、ボタンの間からは素肌が見えている。
 空調が効いているのでそれほど寒くないはずだったが、くしゃみをしてしまった。
「寒い?」
気がついたら蟬ヶ沢が振り返っていた。彼もちよと同じようにとても薄着だ。下はズボンであっても、インナー姿は見ているこちらが寒くなりそうだ。インナーからも鍛えられた筋肉があると解る。
 昔から一緒にいるが、服を脱いだ所を見たことがなかった。
「寒くはないけど、気まずい」
ぶらぶらと余った袖を揺らす。
「そんなに見ないから安心して」
そういうと彼はすぐに後ろを向いてしまった。
「ねえ、セミさん大丈夫?」
「藪から棒に何よ」
「さっき呻いていたから」
「…………今から聞かないふり出来る?」
 蟬ヶ沢は手を左手を上げて、鋏の形にし空を切る。案に盗聴を防いでくれと言っているのだ。ちよは指を鳴らす。その瞬間外の音は聞こえず、聞こえるのはお互いの呼吸音だけとなった。
 蟬ヶ沢にも盗聴を防いでいる状態になったことに気付いたのだろう、話を続けた。
「ここから引っ越したきっかけって、一緒に住むことになるレインを別の場所で迎え入れる為だったのよ。勿論、ここに住まわせることも出来るし、それも可能だったわ。迎える任務が来た時、レインの為の部屋をどこにするか考えて、ふと、ここを見て思ったのよ」
彼は深く息を吸い込む。
「ここに入れるの自分が決めた人だけにしたいと思ったの」
顔こそ向けてこないが、手を伸ばしちよに向けてきた。ちよが蟬ヶ沢の手を握ると、蟬ヶ沢も引き寄せつつ握り返す。引っ張られるが、倒れるほどではない。ただ、どこにも行かないでと訴えるように少しだけ強く握られる。
「これまで任務の通達で他の合成人間が来ることもあったわ。それでもいるのは精々五分もかからない。なんてことないのよ、自分のテリトリーは守りたいだけ」
 意識はちよの回りを囲んでいるが、触れるか触れないかと距離を保ち、直接触れることはしない。
 握る以外は何もしない。手は朝までずっと握っていた。
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