スクイーズ篇

□柑橘類の香水
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 蟬ヶ沢に頬をつねられて、ふと昔のことを思い出した。
 隣の蟬ヶ沢を見る。かなり昔のことで顔なんて思い出せない。覚えているのも、覚えていたも記憶の掘り起こしで正しいかも怪しい。ただ、確かなのは自分よりも年上の男性で不思議な言葉遣い。
 気がついたら蟬ヶ沢の頬に触れていた。
「な、ななな、何?」
蟬ヶ沢は赤くなってちよから手を放した。しかたないので、ちよも左手を戻すことにした。
「セミさんさ。…………あー、やっぱいいわ」
「何よ……気になるわね」
 話を蒸し返されなくないので、別の話をすることにした。
「ホワイトデーのお返し何がいい?」
無理矢理話を変えられて困惑する蟬ヶ沢だが、察したのか質問の答えを考える。
「水族館って言いたいけど、この間行ったものね。それに近いものとして、海はどう?」
「海かあ……」
「ちょっと気が進まないかしら?じゃあ、別の場所にしましょ」
「ああそうじゃなくてさ、怖い思い出があるから行きたくない訳じゃなくて……」
「なあに?初恋の思い出とか?」
にやりと詳しく聞こうと向かって来たので枕で顔面を叩いた。
「たぶん、その……ああ!やめ!うん!海に行こう!」
「詳しく教えなさいよ。気になって寝れなくなるわ」
「ああああ!誰が好き好んでおっさんとガールズトークするか!」
「おっさんで悪かったわね!」
「絶対初恋とかそういう話はセミさんにはしないわ」
「じゃあ私も教えてあげない」
「待って、……………………あるの?」
思わず真顔で聞いてしまった。蟬ヶ沢も映像が一時停止したように固まる。
「………………ある……?」
「……………」
「私の初恋を話したら、セミさんも話してくれるの?」
合成人間の生きている年月と意識がある年月は違うらしいが、少なくとも蟬ヶ沢は表社会に出ている期間は決して短くはない。恋愛沙汰なんて起きてもおかしくないのだ。
 ちよは気になって、蟬ヶ沢の布団のスペースに腕を一本、二本、上半身、を入れる。
 蟬ヶ沢は左右を見渡し、両手を突きだし止まれと主張する。
「お、おお、おばか!いつまでもお喋りしていたら、寝付けるわけないわ!ほら、寝るわよ!」
水槽に入っている熱帯魚と同じくらい真っ赤になって、布団を被ってしまった。
 盛り上がりから見て頭とおぼしきところをつつくと布団の中から蝙蝠のパペットが出てきて、ちよの手に噛みつくと、そっと蟬ヶ沢の布団から離した。
 ちよも観念して水槽のライトを消す。部屋は暗く見えないが、寝室よりはカーテンの厚さはないらしく、先程よりは早く目が慣れた気がした。
 暗くなった部屋も目が慣れて、見慣れた周囲が分かるようになる。隣を見ると蟬ヶ沢が布団から頭を出して、背中を向いているのがわかった。
「そっち行ってもいい?」
「………………」深呼吸する音が聞こえた「いいけど、布団は重ねなさいよ。一人分じゃ隙間が空いて寒いわよ」
なるほどと、目の前のこの隙間を眺める。
 今よりも小声ではーいと返事をして、蟬ヶ沢の布団に潜り込む。
 いたずら心で頬を背中にぴったりつけると、背中がビクッと震えた。
「こっち向かないの?」
「あのね……」
「いじわるー」
「向いてもいいけど、ベッドにいたときのお願いを聞いてから」
「……………笑わない?」
「笑ったらつねって」
「………………一緒に寝たかっただけ。子供じみてて悪いけど……」
大きく息を吸い込んだのが背中からも伝わった。
 枕と体を少し上に移動すると、ずんぐりとした大きい図体はごろりと向きをこちらに変えた。
「今回だけだからね。体調が悪くなったり、怖くなったらすぐに言いなさい。それだけの為にこっち向いているんだから」
わざとらしく咳払いをした。顔を見るまでもない、照れている。
「今日泊まるのが水族館じゃあなくてよかったね」
上を向こうとしたが、無理矢理顔を胸に押し込まれて顔を見せてくれなかった。
 押し付けられた胸に耳を当てると、心音は少し早かった。

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