スクイーズ篇

□sleeping cicada
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 蟬ヶ沢がいる部屋に来る。ずっと連絡を入れているのに反応がない。フェイク・シーズンでは事務所の方もこの部屋にも危険な意識は向けられていないので、まず身の危険はないだろう。
 扉には鍵がかけられている。合鍵を持っているので、開けて一言声を掛けて部屋に入る。玄関には彼がよく履いている靴があり、人の靴の数までは把握出来るはずもないので確信はないが、恐らく彼はこの部屋にいる。
 依然として危険な感覚はないが、もしかしたら倒れているのかもしれない。
 進めるとやはり蟬ヶ沢はいた。
 倒れている。
 寝ている。
 客間のカーペットのど真ん中で寝ている。
 寝ているそばに着信のランプがついたままの携帯電話が転がっている。
「疲れていたんだろうなぁ。おつかれさま」
 軽く頭を撫でる。
 ちよが管理する店の改装作業と、蟬ヶ沢の外の仕事の都合で行きも帰りも合わないが終わる時間はお互い同じになりそうということで、ご飯くらいは一緒にしようと話していた。
 肩を借りて、フェイクシーズンで彼を浮かせる。重力操作は便利と思いたいが、調整が難しいので使えることは蟬ヶ沢にしか言っていない。体を浮かせてもすべてを浮かせてはいないので、形としては台車に大荷物を運んでいるのと変わらない。かなり重い。
 ベッドに寝かせるとキッチンに向かう。
 寝ていたことには責める気はない。忙しいのはいつものことで、社畜ぶりには見ていてはらはらしていた。
 無理に起こすのもよりも休ませた方が良いだろうと判断し、キッチンを借りる。来すぎて人の家とは思えないくらいものの場所を把握している。
 冷蔵庫を見ると卵やら冷凍されたご飯がある。葉物もあるので、オムライスでも作ることにした。丁度紫蘇の葉もあったので、ご飯はバターライスにして和風オムライスにした。酸味のある醤油でさっぱりとすれば食べやすいかもしれない。ホウレン草のおひたしも作り、ドレッシングの好みで濃い味にしてもあっさりテイストにしても困らないようにした。マシュマロで作ったゼリーも食べ終える頃には固まるだろう。
 作り終えて蟬ヶ沢の様子を見る。寸分の違いもなく同じ姿勢で寝ている。
 隣に座る。こちらを見ることも動くこともない。
 ため息をついて両膝に顔を埋める。
「まるで通い妻だわ……」
 寝ていた時点で帰ってもよかったはずだが、あまりにもそのままぶっ倒れたようにも思えて、放っておけなかった訳だが、寝ているところを運んで料理を作って、人を駄目にするなんとかが欲しくなる。
 疲れているときに迎えられたらと少し阿呆な妄想をする。
 がっとふとももを掴んできた。驚きと恥じらいで本を持ち上げぶつける。自分で自分のふとももをひっぱたいたので、静かに悶々と耐える。
 これで起きただろうと蟬ヶ沢を見るがまったく起きる様子はない。彼が合成人間とはいえ、痛いと感じるはずだがこの程度では起きないらしい。あるいは起きないほど疲れているのか。
 掴んできた手はそれから動かない。そっと掴んできた手を足元に移動させる。
 寝ぼけているには違いない。酷い寝ぼけだ。
 他に何かした方がいいかとは思ったが、掃除もされており、洗濯物もない。
 いやいやとちよは首を振る。
 そこまでしたら、本当に通い妻だ。
「妻、ねぇ」
 もしも彼に奥さんがいたら、システムの関連の人としてここに来れても、流石に世話は出来ないなだろうなと苦笑いする。
 奥さん出来るまでは胃袋を掴んでやろうと密かに決意した。
 携帯端末が壊れていないのか調べて、壊れていないことを確認して書籍を読み始めた。

 突如、蟬ヶ沢が起き上がった。
 彼はきょろきょろと周囲を見て、ちよの姿を認識すると自分の手を裏表交互に見ながら聞いてきた。
「今なんか、私……触ってなかった……?」
ちよは首を振り否定する。ひっぱたいたことは黙ることにした。
「ちょ、ちょっと待って今何時かしら。ああ、ごめんなさい」
「疲れてたんでしょ。筋肉の酷使ならまだちょっと解せるけども、脳が疲れてたんじゃね」
「損した気分だわ」
がっくりと肩を落とす。
「私はそうは思わないや」
「なんでよ……」
「寝顔見れたし」
にっと笑う。私はどちらかというと見られてばかりなのだ。厳密には寝顔ではなく、能力の使用限度を越えた気絶なのだが。
「今から外でご飯も気が進まないわね。どうしようかしら」
「作ったし、それ食べよう」
「ありがとう。なんか、………やっぱりなんでもないわ」
 少し遅い夕飯を食べて、少し雑談をする。この間は寝ていた時間の半分である。
「遅いし泊まればいいのに」
「着替えとか用意してないし帰る」
「待ちなさい!そのままで帰すわけにはいかないわ!」
「え、なにそれ怖」
「本当に帰さない方にするわよ」
言い方は冗談めいているが声音は本気である。
「送りお願いしまーす」
車の鍵を手渡し、送迎をお願いすることにした。
「でも、ほんと美味しかったわ。今度は私がご馳走するわね。ちょうど美味しそうなゼリーのレシピを見つけてね、誰かに食べてほしかったのよ」
「……セミさんがお母さんだ」
「……はい?」
「ううん、なんでもない」
能力で見なくともセミさんの視線が怖いことになったのはわかったので、誤魔化した。
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