スクイーズ篇 二門

□うんざりするくらい居てあげる。
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 起きてすぐに腕のなかにいたはずのちよがいないことに気づいた。焦りは同時に油と卵、ソーセージの焼ける匂いで掻き消された。油の跳ねた音はちょうど目玉焼きの端がカリッと焼け、ソーセージは肉汁で皮がはじけ飛んだことを知らせる。湿度の上昇と塩っけの匂いでブロッコリーか何か茹でているのだろう。バジルの匂いもあり、ただの塩ゆでではないようだ。調味料にバジルがあっただろうか。
 疑念はさておき、ベッドに不在だった彼女の行方が分かり、安心してベッドから降りる。
 着替えはグレーのシャツに白のパンツと無難な組み合わせにした。出掛けるにしても部屋でゆっくり過ごすにしてもいい。
 寝室から出るとキッチンにちよがいた。やはり朝ごはんを作って、ちょうど盛り付けが終わったところだった。
 ちよは起きた蟬ヶ沢に気づくといつもと同じようににっこりと挨拶をする。
「セミさん、おはよ」
「おはよう。昨晩は寝れた?」
 “昨晩”でちよの笑顔がほんの少し固まり、「うん」と弱々しく答える。昨晩の行動は彼女からみても恥ずかしかったのだろう。何かあっての行動を叱るにも叱れず、気にしないでおくことにした。
 気まずい雰囲気のまま食卓につく。朝ごはんを作ってもらうのも慣れたもので、土日はほぼいると言ってもいい彼女からすれば蟬ヶ沢の部屋は第二の家のようなものだろう。突然来ても中のものは大抵把握されている。
 頭の片隅では通い妻の言葉が響くが、咀嚼と共に自分のなかに押し込める。相手は未成年の女子高生、変なことは考えない方がいい。
 手製の林檎のコンポートは甘味が抑えられ、朝食後のデザートにはいい。林檎は蟬ヶ沢の家にはなかったはずだ。
「あら、これちよが作った?」
「うん、朱巳が美味しいって言ってくれてね。セミさんもどうかなって」
「美味しいわ。甘さ控えめなのが凄くいい」
「やった!」
 褒められたちよは照れてお皿を洗いにキッチンにいってしまった。年相応の幼さに頬が緩みつつも、ちよの発言が気になる。
 昨晩のちよは蟬ヶ沢が寝ていた時に来たのだ。もしかして、ここに来る前にレインに会っていたのだろうか。共通の上司でもありちよの友人でもある九連内朱巳。レイン・オン・フライデイのコードネームを持つ彼女は命の恩人とは違うが感謝しきれない相手でもある。蟬ヶ沢とちよは元より仲が良いが、現状のようなことは起きるはずがなかった。今の二人の関係には監視者と監視対象の側面がある。監視の名目で共に任務をこなし、日常生活にも深く関わった結果がこれだ。
 少なくともちよが統和機構に入らなければ、昨夜のようなこともされない。
 ちよがレインに会うことは事態は悪いことではない。同性でもあり、対象でもない、レインも嘘つきではあるが悪人ではない。危惧することがあれば、統和機構絡みのことだ。上司でもあるレインは任務を通達することもあり、中身次第では気の進まないこともある。
 朝食後、二人してソファでだらだらとテレビを見る。隣に座るちよはいつも通りの様子に戻っている。
 昨晩はあんなに素直に言っていたのに、妙に拗ねた気分になりながらとある言葉を思い出す。一瞬迷ったが、駄目なら駄目と言ってくれる彼女なので、羞恥心を抑えて実行する。
 ちよの体をひょいと抱えて膝に乗せる。
「“もうちょっとぎゅってする”んでしょ」
「……あの」
「……だめかしら?」
 ちよは首を横に振る。彼女の了承を得て、改めて乗せ直す。後ろ姿から見えるのは旋毛ではなく項で、髪の毛の間から見える首と耳は少し赤い。いつもは積極的にからかってくる癖にされる側になると照れるのは不思議なものだ。
 ちよの不思議な照れ方は気になるがそれは頭の片隅に置いておくとしてだ。昨晩の件といい、レインと会っていたことといい、気になる。
 テレビで朝のニュースが放送される。二月の季節柄、バレンタインが過ぎれば話題として上がるのは春に向けた準備だ。もう少しすれば卒業式、入学式、十代での大きなイベントを迎えることになる。ちよはまだ高校二年生ではあるが、四月からは三年生になる。受験生となり、高校生活もバイトをする余裕はなくなるだろう。蟬ヶ沢の事務所のバイトも減らさないといけない。バイトが減ろうが増えようがあの仕事は特段気にすることなくさせられるのだから、ちよとは会う頻度はあまり変わらないだろう。
 それも来年になれば、変わってくるのだが。
(監視対象がどのくらいの距離なら担当になれるのだろうか)
 甘ったれた監視もレインの配慮と環境が整っていたからこそ出来たことだ。環境次第では監視の体もない。
 テレビも視界には入っているが全く記憶には残らない。頭の中を占めるのはこの膝に乗るちよのことばかりで、考えすぎてうなってしまう。
 こつんとちよの後頭部に額を当てる。
「セミさん、体調悪そうだよ。横になろう?」
「そうするわ」
 振り向いたちよとの距離の近さに反省しつつ、添えられながら横になる。一緒に横になるのかと思いきや、期待に反して、ちよは座ったままだ。心配してくれている中で、ふざけて誘うと怒られることは目に見えている。それぞれの肘置きに頭とふくらはぎを乗せて寝る。起きたばかりの癖に眠気は二度寝を要求をしてきた。次に目を開けたときには五分も時間が経っていないことにほっとした。それよりも、ちよがいない。あたりを見回すと、ちよは寝室から出てきた。毛布を抱えてきて、蟬ヶ沢に掛けてくれた。
「……具合が悪いのに……。昨日いきなり来てごめんね」
「具合は悪くないわよ。気にしすぎてるだけ」
「…………昨日のこと……だよね」
「それもだし、レインのこともだな。あとは」
 視線を上げれば、不安げに見つめるちよの横顔が見える。
「……来年はどうしようかしらってね」
「来年……やっぱり遠距離になったら監視が外されるの?」
「難しいところね。一緒に行けるなら続けられるし、無理なら近い合成人間と交替になるわね」
「セミさんも出張に行っちゃうんだね」
「私は行かないわよ」
 ちよは視線を蟬ヶ沢に向け、目を合わせる。
「セミさん、来年は出張に行くんじゃないの?」
 不安だが希望が見えた顔をしている。
「ちよこそ、進路は遠くの大学に決まったんじゃないの?」
 何を言っているんだと言わんばかりに見つめるちよに蟬ヶ沢はぷっと吹き出し、声をあげて笑った。
「やだもう、やあね!あははははは!ちよがてっきり遠くに行っちゃうんじゃないかと思ったじゃない!あー、ははは」
 ちよもお互いの勘違いに気付き、恥ずかしそうにそっぽを向けた。
「大学はそんなに遠くないところにしたから、たぶん担当区域や監視の合成人間も変更ないかレインに確認したし」
「よかったわ、ほんとに」
 蟬ヶ沢は起き上がり、後ろからちよを抱き締める。
「具合悪いんでしょ」
「良くなったからいいわ」
「都合がいい」
「精神的なものだって馬鹿にできないのよ。ちよのことだってどうしようって気にしていたのは本当よ」
 言いながら、ちよの頭を撫でる。
「いつまでいれるか私も分からないからな……」
「ス……、セミさん……?」
「ところで聞いてもいいかしら?」
「……いいけど」
「昨晩はそんなに寒かったの?」
「……」
「もう慣れたからからって、夜這いじみたことするものじゃないわ」
「違うって」
 ぽすと顔を埋めてきた。
「セミさんは遠くに行かない?」
「出張で行ったとしてもすぐ戻れるようにするわね。担当区域から離れすぎるといざってとき困るもの」
「……………」
「……………」
 なるほどちよの期待からは外れたらしい。彼女の視線がなにか不服を訴えている。
 少し考え、思い当たる。羞恥心をなんとか抑えて言った。
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