スクイーズ篇 二門
□夜朝まで
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まだ朝日が見えない時間の道路には新聞配達か長距離トラックくらいしかいない。この中で他にも動いているものがあれば、きっと目につくだろう。スクイーズはいつも停める公園の駐車場からもう少し遠くの更にひっそりとしたパーキングエリアに車を停めた。
車から出れば息が白くなるほどの寒さで、常人よりも丈夫な合成人間でも風邪を引く寒さだ。
ある一軒屋で歩みを止める。足音はなるべく立てずに、屋根に飛び上がる。窓から中の様子を見ると、中では少女が寝ている。
スクイーズはほっと胸を撫で下ろし、しゃがみこむ。
心の中でなにやってるんだと突っ込む自分がいる。心配して何が悪いのよと反論する。ちよと一緒に任務をするのがレインの計らいとはいえ、彼女だけに向けた任務というのもある。今回の彼女の任務はレイン経由の任務ではないので何の任務なのかも分からない。
それこそ蟬ヶ沢として雇っているバイトにも来るのだから、帰りの時に聞けばいい。自分に言い聞かせて改めて自分の姿を見る。年若い娘がいる部屋の近くで座る間抜けな姿に、
「なんで来たんだろうな……」
自分に呆れて苦笑いする。
「せみさん?」
びくっと、声のある方角を向けば空いた窓からちよが顔を覗かせている。まだ半分夢の中なのか、瞼も半開きだ。窓が開いたことさえ気づかなかったことに更に呆れる。
窓からちよが乗り出し、ずるっと滑り落ちそうになる。すぐさまスクイーズが受け止めた。彼女の寝間着はパーカーとショートパンツだったことに気付く。
足が直接地面に着かないようにちよを抱え直す。
「ありがと」
受け止められそのまましがみついてきた。そのまま寝る勢いで深く息を吸ったので、内心焦る。
「離れなさい」
「さむいし、やだ」
深々とため息をつくが、彼女は全く離れる様子はない。
「寒いから部屋に入れて」
「わがまま娘」
「この時間にここまで来たおじさんに言われたくない」
反論する彼女の声は内容に反して嬉しそうだ。
部屋に入るとベッドに座らせられた。ちよも隣に座る。寒いからか足だけ布団に入れる。
「なんの任務をしてきたの?」
「……薬の被験者」
「聞き捨てならない任務ね」
「わりといつもしてるやつだし」
気楽に言ってくれるが、薬液が研究中のものだから困る。そうでなければ任務として来ることもないのだが。
「この時間に来るなんて、急な任務とか?」
「…………違うわよ。心配だっただけ」
「まったく、セミさんは心配性ね」
「ほんとになんともないのよね?」
ぐいっと顔を近づける。
「ないないない!」ちらっと扉を一別し「なにかあったらすぐにセミさんに連絡するし」
ちよが一時停止のようにぴたりと止まり、蟬ヶ沢も倣って止まる。ちよの動きが再生されると、蟬ヶ沢を布団に寝転がせた。蟬ヶ沢に続いて、ちよも同じ布団に入った。突然のことに蟬ヶ沢は焦るが親が起きたのだと気づく。
扉越しに聞こえる足音は恐らく母親だろう。まだマシな方ともいえる。父親とはちよが生まれる前より面識があるのだ。足音はちよの部屋の前で止まらない。手洗いに行ったのだろう。下手に音を出さなければそのまま大人しく二度寝してくれるに違いない。それまでにこの状態を保てればの話だが。
布団は冬用の羽毛布団なので、大人一人が隠れても気付かれない。二人とも入っている不自然さを隠すためとはいえ、かなり近い。任務が終わって間もないのでメンタルはややスクイーズが残っているので冷静だが、蟬ヶ沢の側面が悲鳴をあげている。
「……ちよ……」
小声で眼前にいるちよに話しかけると口唇で静かにと注意された。
ちよの〈フェイク・シーズン〉でご両親の意識の向きを変えればいいのではと思ったが、彼女はそれどころではないらしい。
(高校入学して早々にこれを見られたらそりゃまずいわね)
気まずいのは蟬ヶ沢も同じだ。未成年とこんなことをするのは不本意ではある。窓際の隙間に隠れられないかもそりと体を動かす。ちよが蟬ヶ沢の動きに気付く。
「ちょっと、あぶな」
二人ともベッドから落ちたわりには音が響かなかった。ちよが能力で防音してくれたおかげだろう。
ちよが落ちれば必然として蟬ヶ沢の上に乗る訳だ。こんな隙間に二人して入れば距離の近さ先程の比ではない。
蟬ヶ沢はため息をつきながらちよがどこかぶつけてないか確認する。
「………そうね、危ないから私だけ隠れようとしたのに」
隙間に入ったはいいがちよまで落ちてきたのは誤算だ。下に蟬ヶ沢がいたから彼女は無事だが、蟬ヶ沢の心は無事ではない。丁度心臓の位置にちよの頭があり、心臓の音が聞こえるのではないかとひやひやする。
「ちよ、ご両親の意識はどっちを向いてる?」
「え……。微かにこっちにも向けてるけど……、向けてる意識の方角と量からして、たぶん寝てる」
「なら、今やるべきことは決まってるわね」
自分とちよを交互に指差す。
ちよは素直に指した先を追いかけ蟬ヶ沢と目が合う。ようやく状況が分かったのか真っ赤になった。扉を一瞥して、蟬ヶ沢の上から下りる。
「ごめん、重かったのに」
「いいえ、重くなかったわよ。そのくらい軽いもんよ。………私じゃなかったら危ないわ……」
「まさかとは思うけど、私だけに来た任務はこうして来るの?」
「……今回だけよ。……………………、任務の内容によるけど」
「そのうちセミさんの胃に穴が開きそう。確実に全部は出来ないけど、単独の任務があったときは教えておく」
「今日みたくに遅くなってたのも追加ね」
「そこまでやるとセミさんが過労死するからだめ」
「ちよもあんまり無茶をしなければ、私も気にしないから。……今後、任務の内容では薬の被験者だけでは済まないだろうし、少なくともちよには……処分する任務なんてさせたくない」
「だから、スクイーズが全部汚れ仕事を請け負うって?」
「…………」
「統和機構に入ったのはそれもするのも覚悟の上だよ」
こつんと頭を肩にもたれてきた。
「ま、セミさんが夜這いしてくれるなら、なんでもない時でも連絡しよ」
ちよはにっと笑う。
「…………。夜這いはしないからな」
「朝までいないの?」
いるのが当たり前とでも思っているのか、いて欲しいと思っているのか。裾に触れるか触れない程度に留まる手は素直だ。
「………もう帰るわ」
車に戻る間、ちよは見えなくなるまで窓から手を振っていた。