スクイーズ篇 二門

□口実
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 高校三年生の夏。受験として勉強の時間が増え、学生らしい時間ともいえる。
(今ごろはセミさん何してるかな)
 ちよはデザイナーの蟬ヶ沢卓の元でアルバイトをしている。今はちよが受験生なのもあり、アルバイトの量を減らしているのだ。
 蟬ヶ沢とちよの関係は雇用主とアルバイトだけではない。友人として遊び歩くこともあり、また別の用事として昼間に深夜に出かけることもある。
 会わない週はないのだが、それでも普段は会っている時間に会っていないとなるとそわそわする。一度気にしてしまうと、次はいつ会えるかと考えてしまう。
 任務ならばこんな時間にも容赦なく通達されるが、極軽いものは蟬ヶ沢―――スクイーズが一手に引き受けてしまっているのだ。
 気づかわれているが、それはそれで寂しいものがある。
 蟬ヶ沢の気遣いのお陰で授業で提出する宿題も終え、今は寝る前の趣味の作業をしている。オンラインのショップに出す予定のグッズの案を考えているのだ。会わない間でも、こうしてアマチュアデザイナーとしての活動はしており、蟬ヶ沢もちよの活動はチェックしている。
 デザイナー仲間としても交友のある彼だ。ちよの活動に動きがあれば、反応がある。反応があるのはいいことだが、それはそれとして彼本人に会えないのは寂しいものである。
 窓から月でも眺めて妄想にでも浸ろうと窓を開ける。外には誰もいないのは分かるが、どこにいるのか考えるだけでも楽しいのだ。
「セミさんに会いたいなあ」
「呼んだかしら?」
 とっさに左を見ると、一階の屋根に蟬ヶ沢がいた。さも、いるのが当然のようにしゃがみこんでいる。
「ふぁあ!」
 しーっと蟬ヶ沢が窓の外でジェスチャーする。ちよも後ろの扉から両親の反応がないのを確認し、蟬ヶ沢に向き直る。
「とりあえず、入っても?」
「どうぞ」
 蟬ヶ沢が二階の窓から出てきたのは驚くことではない。
 蟬ヶ沢は人間ではなく、コードネーム〈スクイーズ〉という合成人間なのだ。身体能力は一般人よりもはるかに優れている。
 ちよが統和機構に入ってからは、両親にちよが任務での外出に気付かれないように始めたのが、この二階からの出入りだ。ちよの部屋が二階だからこそ出来る。
 さらに言えば、限定的とはいえ蟬ヶ沢だけちよの能力が探知の対象外なのだから、尚更心臓に悪い。
 タイミングが良すぎる。何よりさっきの発言を聞かれたに違いない為、ちよとしては死ぬほど恥ずかしいのだ。
「で、セミさんはなんできたの?」
 ばくばくと心臓をなだめながら蟬ヶ沢を部屋に入れる。
 慣れたもので、部屋に入ってすぐに彼はベッド下のシューズボックスに靴を入れる。次に彼が体を起こした手にはコンビニの袋が掛けられていた。中身はうっすらと見える。恐らく、アイスはゴリゴリさんだ。
「一緒に食べましょ」
「おじさんなにしてんの」
「嫌ならいいのよ。私が二つとも食べちゃうから」
 にっと笑いながら、ぴらぴらとパッケージの袋を靡かせる。この中年は意地悪だ。ちよがアイス好きなのは知っており、目がないことも分かってこんな酷いことを言ってくる。
「食ーべーまーすー。ありがとう!」
 趣旨が読めない彼の行動に困惑しつつも、好物のアイスには敵わない。
 ベッドをソファの代わりに座るのもいつものことだ。部屋の明かりは付けておらず、月明かりだけで部屋は照らされている。彼が侵入した窓から入った光は大きい影と小さい影を写した。その影の隙間が思ったよりも広く、ちよは少し影の距離を縮める。
 近づかれたことに全く気が付いていない蟬ヶ沢はちよにゴリゴリさんを渡す。
「美味しいわね。頭にきーんって響くけど、このタイプのアイスの醍醐味ね」
「セミさんもアイスクリーム現象が出るんだ」
「合成人間と一般人の差はあるけど、そのくらいは私にも合成人間にもあるわよ。……もしかしたらあのアイス屋は平気だったかもしれないけど」
「……そうだね。氷を含むとしても、こんなに氷の塊があるものはなかったもんね」
 きーんと頭を抱える十助の姿を想像して苦笑いする。十助のアイスはアイスクリームとは言っているが分類は乳成分の配合基準によりラクトアイスとされ、より近いものとしていえばイタリアンジェラートが近い。十助本人はそんなこと気にしないのだろうが、商品として売り出す側としては重要なのだ。アイスのコストや価格で購買層はある程度金銭的余裕がある高校生から上が主力となり、ゴリゴリさんのような低価格向けアイスとは無縁だったのだ。
 味も価格も低年齢層向けともあり、ゴリゴリさんは中学生あたりに人気の商品で、NPスクール生も買っていたのを見たことがある。同じMPLSでもやはり年相応の味の好みをしているのだと思った。
 ゴリゴリさんのしゃりしゃりとした触感は、涼むにはうってつけのアイスだ。かつてのPWでのアイスではまず出ないタイプなので、こういうアイスも久しぶりだ。
 考えている間にちよが食べたアイスはなくなった。棒を見るとハズレだ。
 アイスを食べる間はお互い無言になる。
 ちらっと隣の蟬ヶ沢を見るが、彼は特段変なことをするわけでもなく、黙々とアイスを食べる。しゃくしゃくと頬張り、飲み込んだ後に痛みに耐えながらおいしそうに味の余韻を楽しんでいる。静かだが、吐息は美味しいと溢れている。食事の仕方であることが分かるとは聞くが、それは一致しているのかもしれない。
(………同じだなあ)
「私のも欲しかったの?」
「へ?」
「すごく見てるから」
「いや、見てたのは……じゃなくて、うん、そう、美味しいよねって思って」
「良かったわあ。ちよのアイス好きのお眼鏡にかなうか心配だったのよ。美味しいと思ってたの私だけじゃなくてよかった」
 蟬ヶ沢がちよの手を握る。
「でも、この気温で食べるには寒かったかしら。手がひんやりしてるわ」
「ううん、そんなことはないよ。美味しかったし、アイスを食べたらみんなこうなるでしょ」
 彼はひんやりとしたちよの手が気になるのか、擦る。
 くすぐったくなり、ちよはくすくす笑う。
「セミさん、おばあちゃんみたい」
「あら、酷い。もっと温かくしてあげましょうか」
 蟬ヶ沢はちよをぎゅっと抱きしめ、横になる。
「セミさん、暑苦しい」
「あら、アイスがもう一本欲しくなってきたんじゃない?」
「今度はおじさんのレンジ機能がないアイスがいいです」
「それは出来ない相談ね」
「じゃあ、このまま添い寝して」
「……」
 あーまたこの子は困ったことを言っちゃってもうと顔で言っている。
 この抱き締めてる状況で実質添い寝しているのだが、彼は気付いていないらしい。
「あはは、ごめんごめ……」
「もう少し奥に行ってくれるかしら」
「……へ?」
「添い寝。して欲しいんでしょ。このままだと腰から落ちてしまいそうなのよ」
 真面目な顔をして、移動してくれと手で指示する。おずおずとちよは移動し、空いた場所に蟬ヶ沢が横になる。彼の体格の都合上足を曲げないといけないのはご愛敬だ。
 布団も掛けて、これでよしと言わんばかりに布団の上から肩をぽんぽと叩く。
「このまま本当に寝かし付けてもいいのよ」
「あの、セミさん?」
「安心して。前ならあんなことはしたけど……今はやらないから。今は任務でもないし」
 “あんなこと”と聞いて、一気に顔が熱くなる。目の前の体が透けて、あの傷だらけの肉体が見える気がした。
 任務だからやったとは言うが、実際は任務半分彼なりの理由が半分だった。
 これ以上は何もしないことに安堵するような残念なような。それでも今日の彼は特別ちよに対して甘い。
 言えば、……一瞬考えそうになり首を横に振る。
「……セミさん、どうしたの?ただ暑くてアイスを食べに来たり、添い寝してくれたりしてさ。なんか私への甘やかしが凄いっていうか」
「なんでもないわよ」
「…………そう」
 素っ気ない言い方に少しずきりとした。彼もすぐに気付いて、言葉を続ける。
「……強いていえば、今年の夏は暇だからかしら。実際は暇でもないけど、すっごく忙しいでもない夏は久しぶりだから」
 ペパーミントウィザードのアイスチェーンはもう存在しないのだ。統和機構の実験として整えられた舞台だとしても、蟬ヶ沢はデザイナーとしてコンセプトデザインを勤めた。数年の月日は監視であると同時に仕事としての付き合いの時間でもある。
 処理はほとんど蟬ヶ沢、スクイーズがこなした。軌川十助、とノーリアスICEの処理のあとの彼は、見ていられなかった。
 ペパーミントウィザードアイスの愛好者の処理はスクイーズとやった。
 彼は殺し慣れていても、慣れきっていない。彼の意思に関係なく、やらなくてはならないのだ。
 ちよは先日十助と会ったことを思い出す。枯れはスクイーズに殺されてなかったのだ。
「あの、セミさん」
「ん?」
 何て言えばいいのだろう。言えないとあの時は思った。
「…………十助と、会ったんだ」
「………」
 蟬ヶ沢の表情は読めない。無表情ではないが、緊張している。
「生きてたけど、すぐにどこかに行っちゃった。アイスを一緒に食べたの。約束してたからって……」
 彼は長い長い沈黙の末に言葉を吐き出す。
「………ほんとうに、ばか正直に」
「……ごめんなさい」
「なんで謝るのよ?」
「セミさん、十助と一緒に話すのもアイスを食べるのもあんまりよく思ってなかったじゃない。なにより……」
「いいのよ。むしろあのお馬鹿が変わってなくて安心したわ」
「なにより、浮気っぽいし」
 蟬ヶ沢の笑顔が固まった。
「………………………はい?」
「十助と」
「軌川くんね」
「十助くんと冗談で浮気みたいだねーってわいわいしてたの。そう思うと………なんかごめん」
「いや、そんなこと………そんなことない、わよ?」
 蟬ヶ沢の視線は泳ぎまくっている。少し落ち着くと深いため息をついた。
「いえ、冷静に考えて、別に私達は付き合ってないのだし、ちよが軌川くんとアイスを食べてもいいのよ」
「行ってきたのは、コールドストーンアイスの恋雪だよ」
「めちゃくちゃデートスホット向けじゃない!」
「セミさん!しーー!」
 二人でばたばたと静かにするジェスチャーでお互いを静かにさせる。端から見れば鳥の謎の求愛行動に見えるだろう。お互い、冷静になり、そっとベッドに座り直す。
「あー、ええと、そうね」咳払いをし「次は私と行きましょ。それでおあいこ。私も行きたい。ちよはまた行ける。これでいいでしょ」
「それじゃあ、アイスはセミさんが選んで。私はお金を出すから」
「……それなら、お互いが選び合いっこしましょ」
「……」
「……こらこそ、そんな目で見ないで。……私だって、ちよが選んだアイスが食べたいんだから」
 後ろにあるクッションを蟬ヶ沢の盤面に押し付ける。
「……むぐ、…………ふふふふ」
「なんで笑うの」
「とても見たことがあるクッションね」
「……………」
 蟬ヶ沢の顔に押し付けているクッションは彼が手掛けたインテリアの一つだ。手掛けたのは昔のことだ。
 クッションをどこかに投げたいが、それでは彼の顔も見える上にちよの今の顔も見られてしまう。
 彼はクッションの向こう側が見えるような、くすくすと笑いが止まらない。
「うふふ、楽しみだわ」
 異様な浮かれ方に、ちよもそわそわしてきた。
「そんなに楽しみ?」
「そりゃそうよ」
 ちよの頭を自身の胸に押し込める。
「今日も私もちよに会いたくて来たんだから」
 ぎゅうと抱き締める際にちよの肌にあたる。能力で見えた彼の意識の向きから、彼は本音として言ってたのが分かった。彼は元よりちよに嘘を付くことはないのだが。
 しばらくして彼の寝息が聞こえる。
 添い寝してと頼んだのはちよだが、蟬ヶ沢の方がよっぽどしたかったようにも感じる。
 ちよは身をよじりベッドの上の充電中の携帯端末を手にする。端末を起動させ、画面の明るさに眼を細くするがなんとか操作する。携帯端末のアラームをバイブ設定のみで設定した。仮に両親が起きたとしても、ちよが先に起きていれば能力でなんとか出来るのだ。蟬ヶ沢にも出勤の準備があるので早めに起こさねばならない。
 ちよが寝ている間に両親が起こしに来たり、部屋の様子を見に来ないことを願う。鍵は掛けてあるので、蹴破らない限りは安全なはずだ。
 携帯端末を再び充電させ、布団に戻る。
 戻る途中で彼の寝顔を見ると、安心仕切って緩んだ寝顔が見えた。滅多に見られない寝顔に、まじまじと見てしまう。
 今日といい、いつもちよの為に色々とやって来てくれたのだ。ちよ自身、自分が命をかけてまで守られる存在なのかが信じられないが、彼がそうしてくれるようにちよも蟬ヶ沢のことは命をかけて守りたい。
 抱きつき、彼の背中を撫でる。これ以上この背中に傷がつくようなことはさせない。
「おやすみなさい。セミさん」
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