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□僕らのナニー
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テセウスはほとほと困り果てていた。
もう三日間もニュートの姿を見ていない、トランクの中から出てこないのだ。
お互いとっくの昔に成人してるし、小さなアルテミスは今や立派なベストセラー作家だ。
食事の支度も掃除も風呂も一人で出来る大の男の心配をするなんて野暮かもしれない、でもさすがに三日も顔を見ていないと不安になる。
まさか中で何か悪いことが起きてるのでは……不意に沸き起こったそんな考えを、テセウスは無理やり思考の隅に追い払う。

「ニュート……僕だよ、いい加減中から出てこい」

沈黙したまま、一向にトランクの蓋が開く気配はない。
仕方なく朝食の紅茶とサンドウィッチをトランクの前に置く。
テセウスはぬるいため息をつく。
昔はあんなに兄弟仲が良かったのに、大人になってからの喧嘩の後の仲直りがこんなに難しいなんて。
OWLの試験の方がまだ簡単だった、テセウスはもう一度深く息を吐いた。
ちょうどその時、開けた窓から風が吹き抜け窓ガラスをガタガタと揺らした。
季節外れの桜の花びらがどこからか一枚、ひらひらと部屋の中を漂い、テセウスの足元で落ちる。
テセウスは特に気にとめる様子もなく、気だるげに杖を振り窓を閉めた。
――コンコンコン、見計らったようなタイミングで来客がノッカーを鳴らす。
几帳面に一定のタイミングできっちり三回、テセウスは重い腰を上げて玄関の方へと向かった。
開けたドアの前に立っていたその人を見て、彼は驚きのあまり言葉を失った。
真っ赤なコートに身を包み、カンカン帽の羽飾りを揺らし、鳥の持ち手の傘と大きな旅行鞄を提げた美しい女性。
――メリー・ポピンズ、と思わず喘ぐように小さな呟き声が喉の奥から溢れた。

「お久しぶりね、テセウス・スキャマンダー。ノッカーが曲がってるわ、あなたってばいつもそう」

メリーは神経質にノッカーの位置を真っ直ぐに戻して、満足げに微笑む。
するりとテセウスを避けて家の中に入ると、メリーは部屋の中を見回してニュートの姿がないことに気づくと怪訝そうな表情で尋ねた。

「ニュートの姿が見えないようだけど、あなたの弟はどこにいるの?」

「トランクの中に……それよりメリー、一体どうして――」

「――ああ、全くもう……テセウス、食べものを床に置いてはダメでしょう!食事はきちんと座ってテーブルでするものよ」

恥をかく前にテーブルマナーから教育しなおさないと!
メリーは紅茶とサンドウィッチの皿をテセウスに押しつけるとダイニングに持ってくようテキパキと指示を放つ。
帽子とコートを掛けて、荷物を降ろすとトランクの蓋をコンコンコンと数回叩いた。

「ニュートン・アルテミス・フィド・スキャマンダー、いい加減出てらっしゃい!」

もう一度、ノックを繰り返す。
トランクから返事はない、メリーはやれやれと両手を広げて肩を竦め「これごとお風呂の中に放り込むわ」
さすがにそれは、とテセウスが止めようとした時、「パチン」と徐ろにトランクの鍵が三日ぶりに開かれた。
テセウスは弟の無事を確認してほっと胸を撫で下ろす。
――メリー・ポピンズ、ニュートはテセウスと全く同じ反応で呆然と彼女を見上げた。
ヨレヨレのシャツで無精髭をはやした彼を見て、メリーは顔を顰める。

「ニュート・スキャマンダー、今すぐお風呂に入ってヒゲも剃ってちょうだい。朝食はそれからよ」

「メリー、どうしてまた――」

「――スキャマンダー家の子どもたちをお世話しに来たの、またわたしの助けが必要なようだから。それにしてもあなたたち……」

家の中はあちこち散らかしっぱなしで雑然としている、おまけに壁掛け時計は傾いておかしな時刻を指している。
メリーは深くため息をついた。

「魔法で何でもかんでも済まそうとするくせにお片付けもできないなんて、全く……まずはお掃除からね、あなたたちも手伝ってちょうだい。テセウス、時計が十二分も遅れてるわ」

「壊れてるんだ、レパロしてもすぐまたダメになる」

「直しなさい、今日中に」

持ってきた旅行鞄の中からエプロンを取り出し、バサッと大きく一度はたいてから背中でキュッと完璧にリボンを結んで身につける。
テセウスとニュートは訳が分からないままお互い顔を見合わせた。

「メリー、僕たちもうとっくに二十歳も超えてるんだ。子どもじゃないんだし、もう今さら教育なんて」

「そう言う時は前向きに『もうすぐ三十路』って言った方が簡潔で適切よ」

メリーの一言で華麗に一蹴されたテセウスにニュートは思わず笑いを堪える。

「いい歳して仲直りの仕方も知らないなんて……わたしはあなたたちをそんな想像力のかけらもない人間に育てた覚えはありませんよ」

ぽつりと小さく呟いた彼女の声は誰にも届かなかった。
気持ちを切り替えパンパン!と手を叩いてテキパキと二人を急かす。

「さあ、始めるわよ!ぼーっと突っ立ってないで二人とも、ほらタッタカタ!」



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