2018 FB2映画公開記念リクエスト企画

□ひとりぼっちじゃない
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魔法省の裏で子猫が産まれた。
いつの間にか住み着いていた野良猫が産んだらしい、母猫と四匹の小さな子猫たち。
毎日ミルクをあげに行っているのだと受付の魔女に教えてもらって、一度だけリタと二人で見に行ったことがある。

「動物は好きだけど、飼ったことがないからどうしたらいいか分からないの」

じゃれ合う子猫たちを愛おしげに少し遠くから見つめながら、彼女はどこか困ったような表情でそう話した。

「僕は動物のいる家で育ったから、時々無性に恋しくなるよ」

「……じゃあ飼ってみる?」

「子猫は難しい、二人とも留守が多いし……花なんて飾ったら災難だ」

「猫が家にいるならお花なんてなくても別に構わないわ、わたし本気よ」

リタの瞳は少女のように悪戯っぽくくるくると笑っていた。
参ったな、とテセウスは笑う。でも内心では胸が踊っていた。
結婚式が終わったら考えてみようか、そう約束したのがほんの二週間前のことだった。
今となってはまるで遠い過去のように思える、穏やかな懐かしい思い出。
思い出ばかりが蘇ってきて、その度にリタはもういないのだと辛い現実に気づかされる。
彼女を喪った悲しみは何もかもを侵食していった。
パリでのグリンデルバルドの宣戦布告、長官秘書であったリタ・レストレンジの死、何名かの闇祓いたちは既に魔法省を裏切って革命側についた。
魔法省だけでなく、魔法界全体が揺れ動いている。
でもそんなこと、はっきり言ってもうどうでもいい。奴に勝てると思うやつだけが戦えばいいのだ。
世界の終わりが来たら、どんなに生にしがみついていようとも最後にはみんな諦めるしかなくなるのに、来るか来ないか分からないような穏やかな明るい未来を待つのにももう疲れてしまった。
今すぐ死にたい、と言うほど急いではなかったが、これといって生きている意味も分からなくなってしまった。
いざ死のうと思っても死ねるほどの勇気もなく、その勇気を奮い立たせる覚悟もなく、結局何も出来ない自分自身に腹が立って、毎日がその繰り返し。
リタのいない毎日が、空っぽの薬指が、一人ぼっちの空虚な部屋がもう耐えられない。
眠りにつくごとに、もうこのまま目覚めなければいいのにと願う。
でも大抵は、夢を見る間もなく夜が明けるのだ。

「猫を飼い始めたんです、まだ子猫で……ロシアンブルー、今人気なんですよ」

かわいいでしょう、と猫の写真を自慢してきたのはあの時、子猫のことを教えてくれた受付の若い魔女だった。
恐らく婚約者を失ったばかりの独身男を元気づけようとしてだろう、そうと信じたい。
華奢な花瓶と一緒に、しゃんと胸を張って澄ました顔で映る小さな青い子猫。
愛らしいと思うより先に、短い一生大切にしてもらえるよう心の中で祈る。
ふと、あの時の猫たちが頭に浮かんだ。そういえば最近見ていない気がする。
彼女はもうミルクをあげに行っていないだろう、二週間……かわいそうに、もう死んでしまったか。
複雑な気持ちを抱えながら恐る恐る様子を見に向かう。
ロンドンの気候とスモッグの中で子猫が自力で生き延びるのは難しい、もしかしたらもういないかもしれないけどせめてきちんと弔ってあげたい。
植木の影に隠れるようにして空っぽのミルク皿と小さなダンボール箱の中に古びた毛布が敷かれていた。
母猫の姿はどこにもなく、子猫たちの亡骸もなく、一匹の子猫だけがダンボールの中で震えていた。
最初は死んでいるかと思った、あまりにも小さく痩せていたから。
近くでカラスの群が鳴いている、その一羽がテセウスの革靴をくちばしでつつきに来た、子猫を狙っているのだ。

――気づいた時には、汚れて衰弱した子猫を抱えて病院にいた。
たくさんの荷物と小さなカゴを抱えて、久しぶりに早い時間に家に帰る。
手のひらにすっぽり収まってしまうほど小さなからだ、背骨の浮いた背をそっと撫でるとコロコロと喉を鳴らし、瞼を閉じてテセウスの上で眠ってしまった。
里親を探さないと、頭の片隅でぼんやりと嘯く。けれど心の中ではもうすでに違うことを考えていた。

「名前……なにがいいかな……」

手のひらからじんわりと伝わってくる温もり、久しぶりに感じる自分以外の息遣い。
小さな存在がなによりも大きく感じ、空虚な部屋を少しずつ満たしたいく。

「っ……リタ……」

リタは、もういない。
二人の将来がある日突然、音もなく崩れ落ちて生きている意味がなくなったかのように感じていた。
それなのに――

「死ねなくなってしまった……」

彼女との約束が、リタが僕を生かしたのだ。
安心しきったように眠る小さな子猫を優しく抱きながら、テセウスは声を押し殺して涙を流した。


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