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□木蓮の家
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ロンドンから汽車で一時間半、さらにそこから徒歩四十分。
駅より向こうに行くバスはない、姿くらましが使えなかったら一体どうなっていたことやら。
無人の駅と、さびれた日用品店、観光客向けの土産物を売る郵便局のほかには見渡すかぎりの田園風景が広がっている。
畜産業が盛んなこの街では昔から代々続く牧場を営んでいる者が多いのだと、テセウスが解説してくれた。
どこまでも続く平原のあちこちで、牛や馬たちが悠然と草を食んでいる。
そんな中にぽつんと建つ一軒の黄色いバンガロー、家の前には時期外れの白い木蓮の木が満開に咲き誇っていた。
「父が好きで、一年中花を咲かせてるんだ。ニュートも好きだったな……」
テセウスはそれすらも懐かしそうに目元を綻ばせて語る。
スキャマンダー家の兄弟はかつてここで生まれ、ここで育った。
どことなくノスタルジーな記憶を蘇らせるこの場所で、出会うことのなかった幼い頃の彼らに思いを馳せてみる。
快活で弟想いの兄、内気だが感性豊かな弟、仲のいい兄弟、幸せな家族の様子がありありと目に浮かぶ。
兄弟の関係は複雑なのだと言うが、その根底には二人ともお互いを思いやる心を持っているはずなのだ。
家中のあちこちに飾られた家族写真を眺めながら、二人分の背丈が刻まれた柱をそっと指で撫でる。
廊下に足を踏み入れたら床板が大きく軋んだ、テセウスが振り返り「古い家だから」と笑みを浮かべる。
前を行く彼の時はそんなことなかったのに、家人はどこの床板が鳴るか鳴らないかを感覚的に覚えているようだった。
そんな些細なことが、彼がいかにこの家で長い時を過ごしてきたかが分かる。
案内されてついていった先は昔の子ども部屋だった。
壁の両側に二つ並んだ子ども用のベッド、どっちがどっちのだか言われなくともすぐに分かる。
なぜかって、一方の壁には家畜や植物のスケッチのページが雑然と貼られ、一方にはクィディッチチームのポスターや過去の大会開催地のペナントがきちんと額に入って飾られていた。
「これは?」
二つのベッドの間にぽつんと立てかけられたギターがふと目につき尋ねた。
「弟のだよ」
テセウスは肩を竦めて飄々と言って見せたが、彼女に嘘は通用しない。
「ウソ、あなたのでしょ」
「ああ、僕のだよ」
テセウスは照れくさそうに頭の後ろをかいた。
「十歳の誕生日に叔父から譲り受けたんだ、欲しいとも言ってなかったんだけど……」
テセウスは懐かしそうにギターを手にとって、弦に触れた。
ポロンポロンと優しく弾むような音色で答える。
「なにを弾いたの?」
「忘れた」
「またウソね、ねえ聴かせてよ」
「いやだ、もう忘れちゃったよ」
「なあにそれ、お願い」
「弾かない、弾かない」
その様子に彼女はおかしそうに笑って、「じゃあこの子が産まれたら、いつか弾いてくれる?」
テセウスははたと気づいて、溢れるように笑ってから彼女のこめかみにキスをした。
「いつかね」
テセウスは幸せそうに目元を綻ばせ、わずかに膨らんできたお腹を愛おしげに優しい手つきで撫でた。