* 短編 綺麗な背中【完】

□綺麗な背中 2
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ガタンガタンッ…ガタンガタンッ…



帰りの電車は朝と違ってそこまで混んでないし、ゆったりと座れるから楽だ。
家の最寄り駅までは約30分くらい電車に揺られる時間がある。その間の時間潰しといえば、好きな音楽を聞いたり好きな配信者の動画を見たりゲームをするくらい。そんなありふれた毎日だったけど最近あたしは違う暇つぶしを見つけた。

スマホをスクロールしていたらたまたまタップしてしまったあるページが開かれたのがきっかけだった。ほんの興味本位でサンプルを読んでしまったのが最後。それからというもの、SNSなどでたまに見掛ける文字の意味や、そう言いたくなる心情が最近になってようやく理解した。今の時代、本屋さんで買わなくてもこうしてスマホで読めてしまうのは便利だしとてもありがたい。それにしても、まさか自分がこういうジャンルの漫画に手を出す日が来るとは思わなかったな…



11月8日 立冬。


立冬とは、一年を24に分けた二十四節季の19番目に当たる季節の事。冬の気配を感じる日。暦の上ではもう冬なのだ。



 「ハァァァ…疲れた…」


今の時刻は午後21時。


電車を降りてから自宅までの道のりはそこまで遠くないはずなのに、今夜は気が遠のく程遠く感じた。
マンションのエレベーターから降りて自宅まで伸びているこの内廊下もとても遠く感じてしまう程の疲労感で体は激重だ。

今日も朝から晩まで社蓄のように頑張った自分を褒めてやりたい。
明日もまたあのクライアントと打ち合わせか…いつもヤラしい目付きで見てくるあのおじさん、担当から外れてくれへんかな…仕事の話そっちのけで毎回食事に誘ってくるのほんましんどいねん…


こんな事を心の中で愚痴りながら帰るのは社会人になってからは日常茶飯事。


でも、前までとは違う日常が、今のあたしにはあった。


それは、



ピンポーン


ガチャ


 『お帰りなさい!』


 「ただいまー」


いつも面倒に感じてた鞄の中から家の鍵を探す手間がなくなった。インターホンを鳴らせばすぐに鍵を開けてくれるから。


 『今日も1日お疲れ様。よく頑張ったね〜よしよし〜』


どんなに疲れていても家に帰るとすぐ元気になれるようになった。こうして優しく微笑みながら頭を撫で褒めてくれるから。


 「疲れたぁ…お腹ペコペコや…」


 『ご飯出来てるよ。お風呂もすぐ入れるから』


苦手だった自炊は前以上にやらなくなった。作らなくても既に美味しいご飯が用意されてるから。湯船にお湯がはり終わるのを待ってる間に寝落ちする事がなくなった。ピカピカに掃除された湯船にはいつでも入れるようお湯はりが完了してあるから。


前までとは違う日常、それは、


こうしてあたしを甘やかせてくれる存在が出来た事だった。





 『はい、マッサージしてあげるからベッドに横になって〜』


 「わーーーい♪ヤッタ〜」


あんな成り行きで同居する事になったあたし達。

ただでさえ人見知りのあたしが、何も知らない人といきなり一緒に住むなんて普通にありえないし、いつまでこの生活が続くのかと初めはヒヤヒヤしていた。でも、彼女との生活は不思議と嫌だとは感じなかった。波長が合う?とでも言うのだろうか、、日に日に感じるようになった不思議な居心地の良さがあって、気がつけば沢山の月日が流れ、2度目の冬がやって来ていた。



 「あぁぁぁ〜ん、夢莉のマッサージ気持ちぃぃ〜」


 『変な声出すなw』


初めは太田さんと呼んでたけど、今では夢莉と呼ぶようになって、夢莉は山本さんから彩さんと呼ぶようになった。敬語だった話し方も今ではタメ口もたたける位にあたし達は少しずつ着実に仲良くなっていった。


夢莉はマッサージがかなり上手い。
強く押してほしい所は強く、優しく揉みほぐしてほしい所は優しく、絶妙な力加減を駆使してくる。そこらのマッサージ師よりも上手いんじゃないかと思うほどだ。


 「ユリ男さんはどこでこんなマッサージ覚えてきたのかな?」


 『僕の独学。』


目が線のようになった笑顔を向けながら彼女は言った。
普段の一人称は『私』なのに、ちょくちょく挟んでくる『僕』は一体何なんだろう…まぁ、自分をどう呼ぶかは彼女の気分次第なのだろう。



この、" ユリ男 "というユニークな呼び名。
これはあたしが名付けたわけではない。









朱『ユリ男!!?』


 『吉子さん!!?なんでここに?!』


 「何、二人共…知り合い?」


朱『知り合いも何も、ユリ男は半年前まであたしのヒモやってんで?』


 「ヒモ!!?」


驚いたあたしは彼女へ視線を向けると、コクっと首を縦に振った。

一緒に住み始めてから1週間が経った頃、いつものように突然朱里が我が家に遊びに来たのだが、そこにはまさかの再会が待っていた。



朱『ユリ男〜元気にしてた?お姉ちゃん、心配してたんやで?』


 『うん♪元気だったよ。今は山本さんにお世話になってるから安心して』


朱『そうかそうか〜ほんまよかったな〜♡』


 「・・・」


このほのぼのとした空気感は一体…

ニコニコと微笑み合う二人の背景にはお花畑が見えて来そうな程ゆるーい空気が流れ、なんだか仲良しな姉弟を見てるかのよう。


 『吉子さんと山本さんが親友だったなんてびっくり!』


 「親友っていうか、ただの腐れ縁やけどな。」


朱『ほんまそれ。そんな事より、さや姉怖ないか?なんならまた家に戻って来てもええんやで?』


 『プッw』


 「はっ?!失礼やな!別に怖くなんかないよな?」


 『うん。良くして貰ってる』


なんやねん朱里の奴、、確かに昔から人見知りが災して知らぬ間に冷たいとか怖い印象を持たせてしまう事はよくあったけどさ…

でもよかった、、彼女の中ではあたしは怖くないらしい。


それにしてもまさか朱里とこの子にそんな過去があったとは…世間は広いようで狭いとは能く言ったものだ。








 「早いな…もう冬かぁ…」


 『暦の上ではね』


体感してる季節的には冬というよりもまだまだ秋だ。少し前までこの街には金木犀の香りが漂っていたし、山の木々たちがやっと色付き始めたとテレビで言っていたくらいだ。あっ久しぶりにもみじ狩り行きたいな…



 「子供の頃と大人になってからの1日のスピードって何でこんなにちゃうんやろな。不思議じゃない?」


 『相対性理論だっけ?』


 「それは違うな。」


 『うーーん…じゃあ心理的なものかなぁ』


こんな質問をしてしまったのは、最近自分が生き急いでるかのように感じたからだ。社会人になってからというもの、仕事に追われる毎日で気づいたら1日が終わってる。そんな日々にうんざりして、ふと子供の頃の夏休みのような永遠に感じる時が恋しくなった。

隣りに顔を向けると、ベッドの上で仰向けに寝そべり後頭部に手を組みながら天井を見つめ真剣な表情で考えている人が。

彼女はあたしが何か質問や疑問を口にすると、いつもこうして真剣に考えて答えを一緒に探そうとしてくれる。正直、たまには無下にしてくれてもいいのにと思ってしまう程、彼女はとても真摯なのだ。そんな彼女の考える時間はすごく長い時もあれば短い時もあって、それを待つ時間が実は好きだったりする。どんな答えを出してくるのか興味があるから。


 『何も変わらないからなのかな…』


 「何も変わらない?」


 『うん。子供の頃と比べると新しい発見も興奮もないから毎日同じように感じちゃうのかなって…』


ふむふむ、なんとなく言いたい事は分かる。子供の頃は毎日が発見の連続で新鮮だったし、待ち遠しい行事も多かったりしたけど、大人の日常なんて多くがルーチンワークになってしまうから記憶に残らない。だからあっという間に1日が終わってしまう。


 「もう1年経ったっけ?一緒に住み始めてから」


 『ううん、まだ経ってない』


 「そっか」


夢莉と住み始めたのは何月何日だったのだろう。思い出したくても忘れてしまったあたしは、覚えてる様子の彼女にバレてるかもしれないけどはっきり覚えてないとはなんとなく言えないでいる。今よりもう少しだけ寒い季節だった気がするな…でもまぁ、思い出したところで何かある訳でもないのだけど。



 『そろそろ電気消すね』


 「うん」


1年。

あっという間に過ぎさってしまうように思える日々だけど、今まで誰ともそれ以上を迎えられた事はない。

この同居生活は恋愛のそれとは違うけれど、あたしの日常の中で唯一子供の頃の感覚を戻してくれるような彼女との生活が何気に気に入っていた。

でも、こんな日々にも期限があるのかな…そんな日がいつか来るのかもしれないけれど、今はまだもう少しだけこの生活が続くといいななんて…


 『おやすみ』


ぎゅっ

 
 「おやすみ」


どうしてそう思うのかは考えないようにしていた。 
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