* 短編 綺麗な背中【完】

□綺麗な背中 5
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田『俺、、妻とは別れたんだ…』

 「え、」



あれは、今から1年前。







1年前


 「、、」

田『本当にごめん…全部、、俺が悪い…彩の事、本気で愛してるし大切だと思ってるけど、、これ以上、妻を傷つける事はできない…だから、、』


彼から告げられたのは、あたしとの関係がバレて、そのショックから奥さんが自殺未遂を起こしたという事だった。


田『別れて欲しい、、』


家に来た時から彼の様子がいつもと違う事には薄々気づいてた。その、苦虫を噛むような険しく強張った表情はいつしか見覚えがあったから。それがいつなのかなんてすぐにわかって、勘違いであってほしいと願ったけれどそんな願いも虚しく、別れを告げられてしまった。


 「、、わかった…」


本当は言いたい事も沢山あったし、捨てないでと泣き叫びたかったけどできなかったのは、悪いのは彼だけではなくあたしも同罪だからだ。やっぱりこんな関係間違いだったし、やってはならない事だったと痛感させられた。そして、彼が選んだのはあたしではなく奥さんの方だという辛くて苦しい現実も。





あれから1年後、まさかこんな事言われるとは夢にも思わなかった。 




田『彩、俺達もう一度やり直せないかな。もう二度と悲しませる様な事なんてしない、、絶対、幸せにするから』


その真っ直ぐな眼差し、少し震える声、そして、力強く腕を掴む手からあなたの真剣な想いが伝わってきて、初めてあなたから想いを告げられた日の事を思い出した。両想いだと知った時、本当に嬉しかったな…

あなたを愛し信じてた1年前の自分なら、例えどんな状況だとしてもその想いを受け入れてたと思う。でももう、あの頃のあたしはいなかった。


 「何言うてるん…あたし達もう終わったんやで」

田『彩、、』

 「お互い、次に進まなきゃ…後悔するような恋愛はもうしたらあかんよ」

田『っ、でも、もう妻とは、』

 「あなたがもう誰のものでもないとしてもあたし達がしてしまった罪は消えへんやろ?より戻したって後ろめたい気持ちがずっとあると思うし、、幸せになんかなられへんよ」


そう冷静に言えた自分に驚いていた。
完全に心の傷が癒えたとは思わない。あなたへの想いが全く無くなったかと言われたら自分でもわからない。
でも、今のあたしは自分で思ってたよりも確実に前を向き、立ち直っていたようだ。


田『、、そっか…そうだよな…』


離婚という選択をさせてしまった事や悲しそうな顔をする彼に胸が傷んだけど、もう後ろは振り向きたくなかった。


田『すまない。こんな所でこんな事して、、』

 「いえ、、」


あたしの腕を掴んでいた手がゆっくり離されて、彼は悲しそうに笑っていた。大好きだったな、、その瞳も、その声も、この大きな手も…




田『今日はわざわざ足を運んでくれてありがとう。書類、確かに受け取りました。小林さんにも宜しくお伝え下さい。』

 「はい。」
 
田『さや、じゃなくて…山本さん、引き続きN企画さんにお世話になる予定だからこれからもよろしくね』

 「?」

田『不安になってるかもしれないけど安心してよ。フラれた腹いせでN企画さんを切るなんてカッコ悪い事はしないからさ』

 「田邊さんの事、仕事と私生活を混同するような人だなんて思ってないですよ?」

田『そっかw それなら良かった。』


田邊さんは安心したように笑った。
彼は広報担当であり、どこの広告代理店に自社の宣伝依頼をするかの決定権を握る人物だからうちの会社を切る事もしようと思えばできてしまうけど、そんな人ではない事くらいわかってたから不安はなかった。でも、こうしてあたしを安心させようと言ってくれたのだと思うと、やっぱり優しい人だと思った。


田『そういえば、小林さんから聞いたよ。係長昇進おめでとう。またいつか、一緒に仕事できるといいな。』

 「そうですね。いつか。」

田『楽しみにしてる。お互い、頑張ろうな。』

 「はい。」








ガタンガタン…ガタンガタン…


 「疲れたぁ…脚パンパン…」


いつもより乗客の少ない帰りの電車の中、長椅子に座りボーッとしていたら目の前の窓に映った自分があまりにも疲れ切った顔をしてて驚いた。でもこんな顔するのも仕方ない。今日は色々あった1日だったから…


○△カンパニーの後に向かったクライアントとの打ち合わせは順調そのものだったのに、そこの広報担当のどうでもいい世間話のせいで時間は伸びに伸びて、どういう訳か一緒に食事に行く羽目になりこんな遅くなってしまった。いつもならとっくに家でのんびりしてるはずなのに、、お風呂入った後マッサージして貰いたいなぁ…、、


 「あ、」


そういえば、夢莉に食事を済ませてきた事連絡してなかった。急いで鞄の中からスマホを取り出しLINEを開くと、


 「え、、はぁ?このタイミングで?」


LINEを起動させた途端、スマホの画面が真っ暗になった。まさかの電池切れだ…


ゴソゴソ…

 「えぇ、、ないやん…」


こんな時に限ってモバイルバッテリーも鞄に入ってないし、、日頃からいつも寝る前に鞄にしまっておかないと忘れるよと夢莉が注意してくれてたというのに適当に返事をして充電器に挿したままにしてるからこうなるんだよな…少し反省…

モバイルバッテリーもないのならどうしようもないし、夢莉には帰ってから謝ろう…きっと御飯を作って待ってくれてるはずだから。




ビューーー…


 「寒っ…」


電車から降り、トレンチコートのポケットに手を入れながら家までの道のりを歩く。まだまだ秋のような気がしてたけど、随分風も冷たくなって一気に冬の気配を感じた。


去年の今頃は本当に悲惨だったけど、今ではあの失恋もある意味いい経験だったと思えるのが不思議だ。

失恋したばかりの頃は田邊さんを忘れる為にあらゆる事をした。スマホの写真フォルダにある彼との思い出を全て消して番号も変え、お揃いのマグカップや食器、いつでも泊まれるように買っておいたけど結局一度も使われる事のなかった歯ブラシやメンズ用の部屋着も全部捨てた。でもそんな事したって彼との思い出はあたしの頭の中から消える訳もなく、永遠に忘れられないかもしれないとまで思えたのに。だんだん思い出す回数も減って行って、気づいたらもう彼の事を思い返す事はなくなっていた。春から係長に昇進した事もあり忙しない毎日を送ってたし、時が解決してくれた部分ももちろんあったとは思う。でも今になって思えば、あの失恋で病んだあたしにとっての一番の薬はきっとあの子との出会いだった。




 「綺麗…」


この時期になると街の木々は暖かな色の電飾を身に纏い、キラキラと輝いてとても綺麗だ。もうすぐクリスマスか…そういえば朱里がクリスマスパーティーしたいって言ってたけど、夢莉の予定はどうだろう。まだ何も聞いてないし、最近の夢莉はあたしより帰りが遅くなる日がたまにあるくらい忙しそうにしてるから実現するかわからないけど、パーティーできたらいいななんて勝手にわくわくしていた。


コツコツコツ…


家までの道のりはだいたい今日あった出来事を振り返りながら歩いてるけど、今夜思い浮かぶのはやっぱり彼の事で。
田邊さん、去年とあまり変わってなかったな…強いて言うなら髪が少し短くなってたくらい。でもまぁ、たった1年で劇的に変わる人の方が稀か…
彼と最後に会ったのはあたしの家で別れ話をした日だったかな、、そう考えた時、ある場面がふと脳裏に映し出された。


 「そういえば…、、」


なんで急に思い出しちゃったんだろう…久しぶりに彼と再会したからだろうか。もう傷つきたくなかったあたしはきっと無意識に思い出さないようにしてたんだと思う。そんな記憶がなぜか今になって頭の中をぐるぐると回り出した。


ビューーーー


 「、、、」


冷たい風に逆らうように身を縮めながら歩いていると、家から一番近いファミレスが見えて、外に掲示されたメニュー表の前で立ち止まった。

ここだったな…

その先にある歩道のガードレールの前に立つ君を見つけたのは。

あの日の君は、白いキャップを被りビックシルエットの服を着ていて、傍から見たらどう見ても男の子のようだった。何かに苛立ってるような表情の君からなぜか目が離せなくなって見ていたら君の方から声を掛けられて、ひょんな事から一緒に食事をする事になった。


 






 『うわぁー、どうしよ…』

 「なんでもええよ?」


あたしは初めからスープカレーかハンバーグの2択だったからすぐに決められたけど、男の子はしばらくの間メニュー表とにらめっこしていた。グーにした手を口元に添えながら真剣に悩む姿に、そんな悩む?と感じたけれど、その様子が面白くてこっそり眺めていた。



店員『お待たせしました。スープカレーと特大ハンバーグステーキです。』

 「『ありがとうございます。』」

 「わぁ〜美味しそうやね!」

 『美味しそうですね!』

 「『いただきます。』」


しばらく悩んだ結果、特大ハンバーグを注文した男の子は店員が運んで来たおいしそうなハンバーグを見て目をキラキラと輝かせていた。


モグモグ…


 『うんま!!』

 「フフッ…」


お腹すいたというのはどうやら本当だったらしく、夢中になってモグモグと食べてる姿が幼い子供のようでなんとも微笑ましくてしばらく釘付けになっていると、その視線に気づいたのか男の子の顔がみるみる赤くなってきて終いには目を泳がせながら下を向いてしまった。

何、その仕草…不覚にもキュンとしてしまった。さっきはまるでナンパするように声掛けてきたくせに、こんな可愛い反応を見せられて戸惑った。チャラいのか初なのかどっちなん?
今まで男性に対して可愛いなんて感情をあまり抱いた事なかったけど、そう思えるようになった自分はそれなりに歳を重ねた大人になったんだなと実感した。そして、可愛い子の癒やし効果は半端ないという事も。さっきまであんなに心も体も疲れ切って重たかったのに、今は凄く軽くなった気がした。





 「ちょっとお手洗い行ってくる」

 『あ、、はい』


そう言ってこっそり持って来た伝票片手にレジへ向かった。
今日初めて会った見ず知らずの人にご飯を奢るなんて変な話だけど、寂しくひとり飯をせずに済んだし、微笑ましい気持ちにもさせて貰えたからここはあたしが持つ事にした。


店員『ありがとうございました〜(ニコッ)』


会計をしてくれた店員さんの素敵な笑顔にも癒やされてなんだかとてもいい気分だ。あたしっていつからこんなチョロくなったんだ?たったこれだけの事なのにこんな晴れやかな気持ちになれるなんて。ヤバイな…一体どれだけ自分は病んでるのかと自分で自分が心配になって来た。

そんな事を思いながら席に戻ろうと後ろを振り向いた時、


 「っ、」


目の前に映った人物に時が止まった。









人間の脳は積極的に記憶を失おうとしているらしい。記憶忘却システムが備わっているからこそ、私たちは一定の記憶を持つことができるのだ。
でも、一度脳に記憶された情報は完全に消される訳ではなく、ふとした事がきっかけでフラッシュバックする。例え、思い出したくない記憶だとしても。




あの日の思い出を辿っていたあたしの中でたった今、その現象が起こっていた。あの日、どうして記憶がなくなるほど酒を飲んでしまったのかずっと思い出せなかったのに。それが今になって蘇って来た記憶にあたしはだんだん青ざめていく事になる。
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