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 朝、就任式のため体育館に集まっていた雄英高校全生徒はステージの下手に座っている初見の男にざわついていた。
 「もうお気づきだろうけど、今日から新しい先生がこの雄英高校に就任してくれます!その名も箱守真緒(マオ)先生さ!」
 コミカルな我が校長の紹介に預かった箱守は促されるままに演説台の前に立った。途端により大きなざわめきが体育館を圧迫する。その多くは女子の黄色い声だった。
 「校長先生にご紹介いただきました、箱守真緒です。個性は痛みを吸収して保管する、「貯蔵」。ですので、普段は保健室にてリカバリーガールの補佐をしています。この度、僕の就任に伴って設立されたスクールライフアドバイザーという役職も担っていますので怪我をした以外にも学校生活での悩みや相談事があれば気軽に僕を訪ねてください。いつでも待っています」
 明瞭でさわやかな秋の風のように自己紹介を終えた箱守は最後にその端正な顔で柔和に微笑むと、彼の声に聞き入っていた女子生徒たちの心を大方かっさらっていったのは言うまでもない。さらに、式の解散後、職員室へ移動する箱守の後を頬を赤らめた女子生徒たちが列をなしてついていくのも、蛇足である。

 「ようやく落ち着いたねぇ」
 そう言ってリカバリーガールがハリボーを差し出してくれたのを皮切りに箱守は盛大に溜め息をついた。
 「まさか初日にあれだけ生徒に囲まれるとは思ってもいませんでしたよ」
 グミを噛むのさえ億劫になってしまっている箱守は舌の上でグレープ味のハリボーを転がす。甘味がじわりと口の中に広がって少しだけ疲れをとってくれた。
 こんな時、自分の疲労だけは取っ払ってくれない自分の個性に嫌気がさす。
 「あれま、そういうのには慣れてるんじゃなかったのかい?」
 「え」
 見れば、ペッツに中身を追加している。今日は随分と菓子を配っていたから見慣れた光景だった。
 箱守は気まずそうに、普段ははきはきと喋る声をどもらせた。
 「まあ、女の子のそういう反応にはそうですけど……それはまた別の話ですよ!」
 これだけ騒がれて自覚しないほど箱守も鈍感ではない。自分の容姿端麗さをいくらかは自負していた。ちなみに建前上「いくらか」と追記したが、もし本心をありのままに書くとすれば「完全に」が正しい。
 「モテる男は大変だねぇ」
 「みんなそう言います」
 「あ、嫌みで言ったんじゃないよ。あんたなんかその容姿でその役職だろ?何とでもない相談事をしてくる生徒が後を絶たないだろうね。だからこそ本当に悩んでいる子がなかなか顔を見せてくれない。あんたはその子を見つけ出すことに苦労するだろう。アタシゃなんでわざわざあんたをここにアドバイザーとして呼んだのかわかんないけどね」
 「……リカバリーガール…」
 「まあせいぜい頑張んな。これも何かの導きさね。ただし、限界が来る前に言うんだよ。あんたが壊れちゃ生徒を守る人間が一気に10人いなくなっちまうもんだからさ」
 「リカバリーガール…!!!」
 「はいはい泣かない、ペッツお食べ」
 「リ゛カ゛バ゛リ゛―゛ガ゛―゛ル゛!!!!」
 箱守はその整った顔をぐしゃぐしゃにしてリカバリーガールの膝を濡らした。
 「人生で最も尊敬するリカバリーガールの助手になれたほか、こんなにありがたいお言葉までいただけるとは思ってもいませんでした」
 「そりゃ初耳だね。今日の仕事はもう終わりだよ。お帰り」
 「はい!お先に失礼します!」
 箱守は美しさを表現する星が瞬くような笑顔で礼を言うと心躍るままに職場を後にした。
 「……やれやれ、可愛い助手がついたもんだよ」
 リカバリーガールは嬉しい溜め息をつきながらパソコンで通販サイトを開き、お菓子を大量に注文した。


 怒涛の一日ではあったが、なんだかんだ生徒にいろんな話をきいたり逆に自分が話したり、とても充実した時間を送ったことに箱守は満足していた。プロヒーローを多数輩出している雄英高校――その実績は見るまでもなく、在校生の姿を見れば納得がいく。
 箱守が今日一日でしていたことといえば大半が生徒による相談事ではあったが、もちろん怪我をしてやってきた生徒の治療も行っていた。その類の生徒は普通の高校生がするような怪我ではない怪我をしてやってくる。あまりの痛みに涙を流す子らもいた。万年普通科を歩んできた箱守にとってそれは壮絶な光景だった。彼らの痛みを吸収すれば涙をぬぐって笑顔を見せてくれるが、果たして自分はうまく笑い返せていただろうかと不安になる。職業柄、笑顔をつくることには慣れていたがそう思ってしまうほどにはひどい学校だと思っていた。
 「……まだ子供なんだぞ」
 悪意がはびこる世の中、そんな甘ったれたことを言ってはならないことに理解はある。しかし、やはり子供らには平和な世界で笑っていてほしい。この矛盾した願望は箱守が教師を目指すこととなったきっかけだった。
 
 込み上げる喜びから早足になっていた足取りは、いつのまにかカメよりも遅い鈍足になっていた。勤務を終えた仕事人たちが街中を行きかっている。
 箱守は短く息を吐いて顔をあげた。
 「初日でこんなになってたらリカバリーガールに顔向けできないな!今日はさっさと寝よう!酒飲んで!」
 切り替え大事!と、まずは酒を買いにコンビニを目指す。しかし、行く先に目当ての場所はない。少し引き返したところに一件だけあったはずだ。
 箱守はそのことを思い出し勢いよく振り返った。
 「わっ…!」
 「うわ!?」
 途端、衝撃があって弾かれる。2歩、3歩、後方へよろけてバランスをとった結果、尻餅をつく手前、腕を引っ張られた。
 「大丈夫ですか?」
 「ああ、すみません……って、」
  無事地面と接触することなく終えることができた箱守は自分の腕をつかんでいる相手を見て驚いた。就任一日目にして見慣れてしまった制服だ。
 「雄英生か。遅いんだね。居残りでもしてたの?」
 「あ…はい、そんな感じです」
 礼をいいながら顔を見れば、フイと他所をむかれる。
 くせのついた前髪で目が隠れているその男子生徒は小さく口を動かしてもごもごと何か喋っているようだったが、早口であるのと声量が足りないのとで何を言っているかまでは判別できなかった。しかし、とにかくずっと口を動かしているのでしばらく聞き取りに専念するが、ふと男子生徒の身長が自分より高いことに気が付いた。箱守の身長は181cmでそこそこ高身長の部類に入るが目の前にいる男子生徒は箱守の頭ひとつ分は高い。異形系ではないし、見た目は人そのものの形をしているが……まあ高校生ともなれば身長はぐんと伸びる。実際、雄英に来てから教師陣は自分よりも背の高い者が多く少し驚いたし生徒も全体的に平均的な高校生の身長を上回っているようだったため得に訝る必要はないだろう。
 箱守は朝の短時間だけいた職員室で会った先生たちをぼんやりと思い浮かべた。
 それはそうと。
 「僕に話したいことがあるんだね」
 「!」
 瞬間、男子生徒はその大柄な体を震わせわずかに顔をあげた。前髪の隙間から覗く瞳が箱守を見つめる。焦点を合わせることができないように小刻みに揺れるその瞳は血走っていた。
 「………喫茶店にでも入ろうか」
 街明りを受けて光るその瞳に箱守は嫌な予感を覚えたが、すぐに消し去り笑って近くのカフェを指さした。
 「………いえ、」
 男子生徒は首をふる。
 「ぼくが案内するので、ついてきてくださいますか」
  箱守は笑顔を崩さぬよう意識しながら「わかったよ」と頷いた。


 先を行く生徒の後ろ姿は高校生というより、立派な成人男性と疑うほどに逞しく、ヒーローを目指す雄英生らしいものだった。それに比べて箱守はただ単にスタイルが良くて筋肉など必要最低限にしかついていない。その「必要最低限」というのも、雄英生にとっては筋肉とは呼べない程度のものではありそうだ。
 「…ん?」
 駅から離れ商店が少なくなり、人通りもなくなってきた頃、通りすがりの十字路の向こうに見覚えのある格好を見つけた。箱守は反射的に立ち止まってそれが一体誰なのか、目を凝らして薄闇に溶ける細道を睨む。
 上下とも黒の服でほとんど夜の保護色になっているのでわかりにくいが、その人物がほの明るい外灯の下を通ったことで、正体は文字通り明るみに出た。
 「相澤先生か」
 彼のことは見た目が印象的だったのですぐに顔と名前が一致した。
 一言で言うと、小汚い。ケアというものを知らないチリチリの髪の毛に毎朝のシェービングということを知らない無精髭。色の悪い顔、睡眠不足で乾燥している半開きの目――。ほぼ悪口のようではあるが、兎にも角にも箱守とは一生縁のないタイプの人間だった。
 しかし、同じ職場の人間として関わらないというわけにはいかない。以前、勤務していた学校では上司から後輩まで、教師から相談を持ち掛けられることが多々あった。生徒を教え導く師であったとしても、土台は人間だ。悩みが尽きることはない。むしろ教師であるからこそ多大な問題を抱えていた。
 箱守は経験上、相澤のようなタイプは人より多く問題を溜めがちなタイプだと想像する。それゆえに会話をすることは増えるだろうと踏んでいた。
 「一度も相談に来なさそうなのは山田先生かな…」
 山田というのは英語教師のプレゼント・マイクの本名だ。常に明るく場の盛り上げ役であることは一目瞭然だった。加えて、箱守が職員室に入った時、最初に声をかけてきたのは言わずもがな彼だったのだ。
 悩みとは無縁の性格をしている。ちなみに「同僚が冷たい」などのつまらない相談はカウントされていない。
 「箱守先生?」
 気が付けばすぐ傍に先を歩いていたはずの男子生徒が立って不思議そうに箱守を見つめていた。と、言っても両目は前髪で隠れているので箱守の自己判断だが。
 「ああ、ごめん。なんでもないよ」
 「……何かありましたか?」
 聞こえてきたのは冷たい声音で、見上げるとやはり瞳は見えないがどこか緊張を孕んでいる雰囲気が彼にはあった。
 「ううん、本当になんでもないんだ」
 「………本当に?」
 前髪で隠れているはずなのに、痛いほどに視線を感じる。それは次第に頬、首、肩と降りてきて、まるで長い舌で舐められているような感覚だった。
 「あー……そうだ、名前は何て言うのかな。もちろん、君がこれから話してくれることは誰にも言わないし、君が望めば知り合いに頼んで記憶を消してもらうこともできる。僕としてはいつまでも"君"呼ばわりはしたくないんだけど……どうかな?」
 この生徒の保健医として、スクールライフアドバイザーとして、あるまじき心境ではあるが、即刻この場から立ち去りたいという強い思いが箱守の中にあった。
 それは、この生徒から己に対する強い執着を感じたからだ。しかし、ただ目の前の生徒から逃げ出すということだけは箱守のプライドが許さない。自分は誇り高き雄英の保健医だ、と言い聞かせ、男子生徒を真正面から見つめ返した。
 「……ま……も、る」
 どもり口調だが何とか聞こえた言葉はどうやら彼の名前のようだった。
 「まもる君?へぇ、良い名前だね。これからの君にぴったりだ。まもる君も雄英に入ったってことは、ヒーロー志望なんだろう?」
 返事はない。それどころか、まもるは肩を震わせ始め、呼吸を荒くしていった。
 突然のことに驚きつつも箱守は、その様子から過呼吸を起こしていることを予想しゆっくりと近寄る。
 「大丈夫だよ、まもる君。深呼吸してみよう」
 「はぁ……はぁ…!」
 箱守が近づけば近づく程まもるの呼吸は荒くなる。自分が原因としか思えないこの状況に箱守は焦りを抑えつつ頭を悩ませた。
 「僕、少し離れていようか。大丈夫、見えないところには行かないから。まもる君が落ち着くまでずっといるから、ゆっくり――ッ!?」
 一先ず距離をとろうと背を向けた瞬間、強い力で腕を掴まれたかと思えば叩きつけられたと錯覚するほどに勢いよく民家の壁に押さえつけられた。
 民家は廃業した店の跡だったらしく、締め切っていたシャッターが風圧で大きな音を立てる。
 「ぐ、ぅ…ッ!」
背中に激痛が走り、箱守はたまらずうめき声を漏らした。
痛みに耐えるために強く瞑っていた目を開ければ目の前に息を乱したまもるが覆いかぶさるようにして立っている。
 「ち、ちょっと…」
 どうしたんだ、という言葉はまもるの衝撃的な行動によって飲み込まれた。
 ガチャガチャと金属が擦れる音とともに自分のベルトを片手で外しているのだ。
 「ちょっと!?」
 なぜそんなことをしているのか理由を聞く間もなく、限界までそそり立った肉棒が姿を現した。
 「せ、せんせぇッ」
 「は、え、ちょっ…痛ッ!」
 まもるは痛めた背を庇う箱守に構わず、手を取り自身の弾けそうな棒と一緒に握ると上下に扱き始めた。
 「あっ、あ、きもちいっ、せんせ…ぇ」
 「な、う、嘘だろ…!」
 にゅくにゅくという独特な水音を立てながらその感覚が手の平を通して全身に伝わってくる。
 箱守は初めて感じる嫌悪感に目を逸らした。
 「せんせぇ、せんせぇッ」
 「ッ…」
 体液ですでにぐちゃぐちゃになっている箱守の手を掴んだまもるの扱き手はより一層速度を増す。抑えようともしない喘ぎ声は箱守の名前を呼ぶようになり、唾液が箱守の頬に落ちた。
 「あッ、アッッ、出るッッ!」
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