頂き物

□銀の火
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歩いていた、水底のような夜更けの静謐を一人乱した。
草の露が足首を濡らす、息を切らし前へ足を運ぶ。
朝日が昇る前にベッドに戻らなくては。それでも忌わしい傷をみんな隠してからだ。もうさほど痛みは感じない、だから笑ってもいられるだろう。
人の目は夜目が利かない。薄くおぼろな月の光に頼るなんて。
そのままでは散り散りになる満月の夜、夜、夜と日常とをつなぎ……

自分をだまし人をだまし続けて、そうした中に本当に僕を見つける人もいる。

「なんで笑っているんだ」
僕にだってわからなくて。
けれど笑っていなくたって誰かが自分のそばにいてくれるんだろうか。

「気持ちがわるい」
そう言ったセブルスに少し救われた。




リーマスが透明マントを引っぱって図書館の中をのぞきこんだ。窮屈そうに身を寄せたジェームズとシリウスに振り返り、うなずいた。
毎週金曜の夜は消灯時間近くまでセブルスが図書館にいる。
河童の扮装をしたジェームズは図書館の入り口そばの廊下に座っていた。
「スネイプをおどかせばいいのか」
「ああ、せいぜい河童になりきってもらいましょう。見回りが来ないところがいいけど」
シリウスがジェームズの頭に乗った皿にさわり、揺らしながらささやいた。
「水の音がうるさいよ」
リーマスが言い、シリウスは手を下ろした。ジェームズは不満をこぼした。
「こんな格好するのがおかしい…!」
「河童ってさあ、廊下を歩いたりするか」
ぽつんと呟いたシリウスをジェームズがにらんだ。
「考えるな。考えたらそこで止まる」
ジェームズが捨て鉢に言った。

セブルスの他にただ一人残っていた女子生徒が立ち上がり廊下への出口に歩いてきた。
3人が首を引っこめた。壁に張り付いた後再び図書館にセブルスの姿を捜すと席を立った後だった。
視線が焦って教室中をうろつき、本棚の列の間に小柄な肩と黒髪の頭をとらえた。
そろそろだとうなずきあいリーマスとシリウスがジェームズの腕を皿の水を揺らさない程度に叩いた。
ジェームズはなるようになれと飛び出すと近づいてきた足音が妙に重かったことに気づかずに、正面から司書の先生の悲鳴を浴びた。
「間違えましたあっ」
ジェームズが耳をふさいで逃げ返ると、シリウスたちがいたあたりを探っても何の反応も返らない。
「見捨てる!?」
「騒がしい人ねえ、何のつもり?」

ジェームズがうなだれている廊下を通り越し、図書館の中にはリーマスがいた。
背後から声をかけると、油断無く振り返ったセブルスと向き合った。
目を見て言葉を交わしたことは数えるほどしかない。

「って――いうわけだから、髪をシャンプーさせてほしい」

「納得がいかない」
「……うん。もっともだ」
リーマスは苦笑した。セブルスは脇に抱えた分厚い本を左手に持ち替えながらリーマスを見た。
月のなく毅然とした夜の色、綺麗な秘密が満ちた闇の黒。黒の目。
次は目を逸らさずいようと決めていた。
どうして、と訊ねたらカップの湯気を払いながらジェームズが言った。
「あいつのノート見たかい、闇の魔術のことでいっぱいだ。危ない奴!」

答えになってないとリーマスは思った。
ピーターはせわしく相づちを打つし、シリウスは悪戯店の商品をいじっている。

リーマスは何をしたわけでもなかった。

本のページの文章の上を何度も通り、ちっとも頭に入らない単語の羅列は理解に遠くジェームズの調子の高い声が近かった。
菓子のしみが落ちた紙面からついと目を上げた。
杖を構えてジェームズと対峙したセブルスの姿。顔を伏せないセブルスの瞳にリーマスは自分が欲しい強さを認めた。

ベッドの中にまで持ち込んで寝付けずに天井に目を凝らしていた。
あの時セブルスがゆっくりと首を振り、リーマスの上に視線が移った。
怯えるでなく怒りもしない目と目が合い、リーマスは驚きひるむ。
掲げた本でセブルスとの間を隔て隠そうとした自分、こんなものをどこへ置けばいい。

例えば人狼でなかったら。
今の僕はないだろう。考えてみても仕方のないことを慰みにする。

セブルスの視線にいつも問いかけられた。
本当はどう思ってる?……

何も見ないふり、知らないふり感じていないふり、それを許さない目とちゃんと向き合おうとする。
急に口の動かし方を忘れたようだった。
廊下の方から不可思議な魔法の炸裂音が響いて、セブルスがかすかに視線を揺らした。

「僕ももう一度セブルスの髪を洗ってみたいんだ。だから、」
司書の先生の怒声が起こって、セブルスの目がリーマスの上に戻ってきた。
「髪、洗わせて欲しい」

セブルスが思い切り渋面をつくった。
「嫌だ」
「どうして? 少しくらい考えてみせろ」
シリウスがリーマスの後ろに現れていた。声を上げたシリウスをセブルスがねめつける。
「そいつや、ポッターだけはお断りする」
「いいじゃないか。髪がぴかぴかになるぞ」
「僕の勝手だ。遠慮させていただく」
「ふうん。おまえ……バカだな、僕たちにとって方法はいくらでもあるんだぞ」
リーマスがたしなめるようにシリウスの名を呼び、シリウスが首をすくめる。
「なんだリーマス? こいつはな、僕たちの周りをかぎまわってる。おまえのことを…」
リーマスが目を走らせるとセブルスはふいと視線を逸らせた。
シリウスは似合わない風に頭をがしがしとかいた。
「もういい。僕の知ったことじゃない。どうなろうとスネイプの勝手だ」
シリウスが言い終える前に早々とセブルスは歩き始めていた。
「まって、シリウスやジェームズは駄目なんだね――僕は?」
途端にセブルスが足をとめた。リーマスには話し出そうとしているのがわかった。
「この前――庭の木の前にルーピンがいた時」
光の明度や芝の色合いまで鮮やかにリーマスに蘇る。あれはジェームズがセブルスへの見せしめの為の仕返しをした日で。
正視し続けて空で言えるようになったのは試験にも出ない応用呪文だった。
「あの時読んでいた本は君の本なのか?」
「本。うん、僕のだ……」
「あの書籍は絶版のはずだが!」
リーマスばかりかシリウスまでがセブルスの剣幕にたじろいだ。
「家にあって持ってきた本なんだ」
セブルスは困った顔になり、髪の先がかかる肩に所在なく触れた手を動かした。
「あれを貸せ。だからお前は、やってもいい」
「え? ああ――ああ。持ってくるよ!」
床につきそうなローブの裾が翻るまま、普段の速い歩調でセブルスが図書室を後にする。
リーマスはセブルスの後姿を見送っていた。セブルスの影が廊下をすべり行き、物音が途絶えた図書館の中シリウスが声をかけてきても。
あの日、セブルスは僕の掲げた本を見たのだろうか。じっとあんなに熱心な目で。




「リーマス、おまえがどう思ってるか知らないが気をつけてくれ」
堰を切ったようにシリウスが叫んだ。
「僕は怖い……リーマス。こんなに怖いと思ったことはないくらいだ」
リーマスはシリウスを振り返り、そばへ来てその背をなだめるように叩いた。
「用心しているよ。大丈夫だよ」
「おまえはなにも感じてないのか? わかってくれるか……わかってくれ、僕は今が気に入ってるんだ。あいつ、何をするかわからない。月に一度の僕らの秘密に勘づかれたら……」
シリウスの顔は青ざめ、頭痛がするように額を押さえていた。
「僕は、そんなに怖くはないんだ」
シリウスに肩を強くつかまれながら、リーマスは静かな声で言った。
「君たちが僕のところへ来てくれて。何もかも変わったんだよ、一人じゃなくなったから。他のことはたいしたことじゃないって思ってしまう」
「それじゃ駄目だろう」
「足をすくわれるかもしれない。でもきっと君たちを巻き込んだりしないよ。僕が人狼なのが悪いんだから、危険を冒してくれるんだから」
「ちがう」
シリウスが乱暴に言い返した。
怒っているシリウスの目を見ていて、リーマスはまっすぐに手を伸ばしてシリウスに抱きついた。
「どんなことも分け合うってそれぐらいは言って欲しいもんだな」
シリウスが尊大につぶやいた。
「僕は怖いことはない。ジェームズやシリウスがいて」
「怖いのは……リーマス、バラバラになることだ。今までみたいにいられないことだ。離れなきゃいけないことだ」
リーマスは、抱えられるだけの思い出があり一人に戻ることができるとは言わなかった。
「僕たちはとうに共犯の身だ。地図に名を連ねてる。罰則だって道連れだ。そういう風にずっと……いられたらいい」
シリウスが言い、リーマスの体を離して笑いかけた。
「あいつ妙に勘のいいところあるからなぁ。バレたらやばいぞ、告げ口されるから」
「そんなことはないよ。僕はセブルスが好きだよ」
「分かってるよ。リーマスは誰も彼も“お好き”なんだろう」
目をやった夜空はまばゆく星が賑わい、ゆっくり瞬きをすると一つ一つが白い火の粉のように光った。
閉め忘れた窓から流れる澄んだ夜気を深呼吸で肺に満たすと、銀の火が弱気や臆病の気を薪にして燃える。









約束の日、朝の9時。セブルスはリーマスの抱えた荷物の中から本を抜き取り、すとんと腰を下ろした。
「僕は本を読んでいるから。目の上に泡を落とすんじゃない、わかったか」
「いいよ。わかった」
木立に囲まれた庭の一角で、リーマスはセブルスの洗髪にとりかかった。
髪は細く泡をのせるとよくからんだ。
「この本だけど、1週間ほど…貸して欲しい」
トリートメントとヘアパックの容器をかざしてリーマスの唇がほほえんだ。

「それ?」
知らないうちに呪文を口にしていたらしい。けれど意志が伴っていないから風に流されて終わる。
「……ああ。その本に載っていたよ。何の呪文かは覚えてないんだ、でも」
しんと冷たい星空の空気を呼んでくる。


END

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