hpmi 2 麻天狼

□ペントバルビタール
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ある昼下がり。今日も営業に周り、あと20分で昼休憩が終わる。はぁ、あそこで別社員の代わりに謝罪に行けとかまじで地獄でしかない。ありえないなんで俺が代わりに頭を下げないといけないんだよ、ふざけんなよ…お陰でこんな時間になってしまった。

『はぁ、』
「美鷹主任?」
『あ、観音坂さん…』
「ど、どうかしましたか?」

ベンチで一二三の弁当を急いで平らげて会社に戻っていくと、珍しく鬱々とした雰囲気を背負った美鷹主任を見かけて思わず声をかけた。聞かれちゃいましたか、と眉を下げて笑う主任は先程の鬱屈とした様子からちょっといつものパリッとした雰囲気の主任に戻った気がした。真宮主任も、今から取引先の呼び出しに応えるべく昼休憩を早めに切り上げたとのこと。彼女の沈んだ様子はそれが理由ではなさそうで、気になって俺も行きます!と気づいたら口に出していた。




「いやぁ、すぐに対応してもらえて助かったよ。」
『いえ、当たり前の事しかしていませんよ。』
「君が担当になってくれてからスムーズに御社とのやりとりができるようになったよ」
『は、はは…そう言っていただけると…頑張り甲斐があります…』

…やけに距離が近い気がする。取引先のおっさん社員が主任の肩を叩き、そのまま手を添えている。それに対して笑顔を崩さずに接する美鷹主任の表情はやっぱりひきつっている。俺の勘違いじゃなければ、だけど。主任が騒がないで対応している間は、と思い黙ってその様子を見ていたが、おっさんのボディータッチはエスカレートしていく。

「うんうん、これからもよろしく頼むよ」
『…っ』

主任の肩から、すっと背中を伝い腰辺りに移動するのをみて勝手に身体がおっさんと美鷹主任の間を遮るように動いた。

「すすすすすすみみゃせん!この後まだ行かないと行けない場所がありますので!!!」
「な、なんだね君は!」
「も、問題は解決した模様ですので、失礼いたします!主任、次を待たせているので行きましょう!」

くそ、噛んでしまった。なんでこう格好がつかないんだ。慣れないことをするもんじゃないな。頭を90度に下げて美鷹主任を引き連れて取引先を後にした。掴んだ手首から伝わる動悸は彼女のものか、緊張と噛んでしまった羞恥心に俺のミジンコ並みの心臓が耐えられないことによるものか。

少し歩き、人通りの落ち着いた道ではたと我に返り手を離す。余計なことをしてしまったかもしれない。主任は我慢して態度に出さず取引先との間を取り持っていたのに。さぁっと血の気が引いて、謝罪の言葉が口から飛び出した。

「すみませんすみませんすみませんっ!後先考えずに勝手なことしてしまいました!何とお詫びを申していいのか…っ!」
『いえ、正直助かりました。…ありがとうございます。』

実はあの人、少し前からああいったことが増えてきてて…と主任。
ああ、陰で彼女はこうして傷つけられてきたんだな。そして、それを尾首にも出さず仕事をこなしていたんだ。そう胸が締め付けられる。そして俺が今しでかしたことが主任にとって助けになったのだと、不謹慎にも嬉しくなった。

『お礼といってはなんですが…』

そう主任は自販機で缶コーヒーを2つ購入し、1つを俺にくれた。嘘だろ、あんな格好もつかない、更には今後の取引にも影響がでるかもしれない行動をとった俺にお礼だなんて。休憩しましょ、とベンチに二人で腰掛け、プルタブを開ける彼女に俺も倣った。コーヒーを飲み下せば、カフェインが少し興奮した脳を落ち着かせる。黒い液体は苦味も相まってダークマターとも言えるかもしれないが、美鷹主任から頂いたコーヒーの成分はやっぱり聖水なのではないかと思う。

『もう、アラサーにもなってセクハラされるなんて…情けないですね』
「え、アラサー?てっきり20半ばかと…」
『あはは、お世辞がうまいですね。』
「いやいや本当ですって…!」

ポツリと漏らす彼女の発言に驚きが隠せない。アラサーって、もしや四捨五入してアラサーってことか?29歳の俺への皮肉か?ふっくらとした白い頬とぱっちりとした瞳が若々しく見えて、童顔というわけではないがとてもアラサーには見えない。

『ふふ、ありがとうございます。あ、貫禄がないとか言わないでくださいね?』
「え!?あ、いや、そ、そういうつもりは一切なくてですね!むしろその若さで貫禄がありすぎて困るぐらいです!」

大袈裟すぎますよ。と照れ臭そうに笑う主任に後光が差した。ああなんだただの聖女か。なんてバカなことばかり頭をよぎる。

「それとあの…主任、俺なんかに敬語つかわなくていいですよ…。」
『ええ!?なんですか突然』
「上司なんですから…落ち着かないといいますか。」
『いやいや…先輩にタメ口きくとか無理ですよ〜。観音坂さんはいくつですか?』
「…29、です。」
『じゃあ私の一個つ上ですね。ほら、やっぱり敬語で。』
「ということは…28歳…。1つしか変わらないですし、部下にまで気を遣わないでください。」
『じゃあ観音坂さんもタメ口ではなしてくれるなら。』
「ええ!?!!?む、むむむむムリです!」

上司に敬語を使われる違和感を口にしてみると、何故か思い描いていた方向と違う方向になり情けない声が出る。ていうか主任は俺の一個下…それであんなに仕事ができるのか。スゴすぎる。少し現実逃避する俺に、更なる追い討ちをかけてくる主任の発言が襲う。

『…じゃあ職場じゃない時だけでいいですよ。』
「そ、そんな…!」
『言い出しっぺの観音坂さんは諦めてください。それじゃあ仲良くなった証拠として敬語外すね。』
「あ、ああ…善処し…する。」

少し気まずい雰囲気に、手の中にあるコーヒーを飲み干した。彼女が空を眺めて息をつく。ため息にもならない吐息だったが、その色はため息と同様に見える。

「…主任、疲れてます?」
『あ、敬語。…疲れてるように見えるかな?』
「っ…いや、全く。ただ、何となくそう見えて…」

敬語を正されうっと言葉につまり、それから頬に手を当て眉を下げる彼女に否定する。ならいいんだけど。とまた彼女が笑う。にこやかな美鷹主任の表情の奥には、もっと何か別のものが隠されているのか。この人が笑ってるところしか見たことがない気がする。

『疲れてるように見えてたらどうしようかと思いましたよ。』
「あ、敬語。」
『あ。…営業は第一印象大事だからね。』
「う、こんなもっさりしていてすまん…。」
『あは、また謝った。そうだなぁ、猫背ぐらいじゃないですか?…って、すごいクマ…』

じっと見つめてくる主任に思わず仰け反る。この大きなクマに今気づいたのか、改めて思ったのかは分からないがそんなに顔を見つめないでくれ、俺の心臓が終わりを感じてるから。

「ああ、あんまり眠れなくて…。」
『わかる。これだけブラックだと病むよね』
「え、主任も?」
『私をなんだと思ってるの?…私もすっぴんはひどいと思う。隠すためのお化粧スキルが上がりましたよ。』
「いや…主任は仕事とプライベート分けるのが上手そうに見えたから…」
『そう見えるように頑張ってるから、よかった。』

敬語が時々混じりながらの会話。いつもしゃんと背筋を伸ばしてテキパキと仕事をこなす主任の姿は、安堵の言葉を漏らす彼女が努力で作り上げたことをその会話の中で今日俺は知ったのだった。


4,それでも努力する姿は美しい




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