hpmi 2 麻天狼

□ペントバルビタール
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「──好きだ…」

熱に浮かされていた彼の言葉が頭に焼き付いて離れない。熱で意識はぼんやりしていたし、私に対する感情ではない可能性もある。恋慕の意味じゃなくても使えるし。
それなのに、そのワードは私にとって重く心に残ったままだ。上手く受け流せないでいるのは何故か。私はその理由から目を背けるしかできない。




「あ、あの…美鷹主任、次のプレゼンなんですが、」
『え、あ、はい、後で確認するのでデスクに置いておいてもらえますか?』
「わ、わかりました…っ!」

「美鷹主任…」
『今から外回りなので急ぎであれば別の方にお願いできますか?』
「は、い…」

「あ、」
『ちょっとお手洗いに…』
「すすすすみません…」



トイレの手洗い場に両手を付いて大きくため息を漏らした。
ダメ、全然ダメ。普通にしていられなくて彼に失礼な態度をとっているのは自覚している。プライベートと割りきれず仕事に支障をきたすだなんて社会人失格である。
切り替え、切り替え。心の中で呪文のように唱えた後、よしっと顔を上げた。


『観音坂さん、すみません。さっき何か言いかけましたよね?』
「あ、す、すみません…こちら修正分確認をお願いします…」

尻窄みに消えていく声に、本当に申し訳なかったと罪悪感を感じる。資料に目を通し、大丈夫だと太鼓判を押した。資料から視線を彼に向けると、安堵で柔らかく静かに笑みを浮かべた観音坂さんに目を奪われる。

「おい!誰か3年前の○✕機器と△山病院の契約資料知らないか?」
「資料室にあるかと…」
「すぐに必要だから探してこい」
「いやでもまだ今日中の仕事が…」
「なんだ、文句があるのか?」

課長が声を荒げて資料探しを部下に押し付けている。その声ではっと意識が戻り、慌てて視線を課長へ向ける。
自分が必要なら自分で探せばいいのに。部下たちは普段から残業しており、自分は定時上がりをしているんだから誰よりも余裕があるはずなのだから。
そういえば、資料室はまだ見たことなかったな。今後のためにも見といても損はないか。
探すついでに資料の内容をざっと見てみようかなと思い、私が名乗り出ようとしたところで何故か観音坂さんが槍玉にあがる。

「な、なぁ観音坂…お前ならあそこの資料室のどこに何があるか分かってるだろ?」
「え、いや、大体把握してるだけで直ぐに見つけられるかは…」
「全く訳分かんない俺よりマシだって!な、頼むよ。」
「はあ…」

手を合わせて頭を下げる男性社員に観音坂さんがため息を溢したのが了承と捉えられたのか、じゃあ頼むぞと彼の肩を叩いた。断れなかったからか、さらに肩を落としてフラフラと覚束ない足取りで部署をでていく。
その丸まった背中を追いかけて声をかけると、びくりと観音坂さんの背筋が伸びる。驚かすつもりはなかったんだけれど。

『私も一緒に探しますよ。』
「ええ!?そんな、美鷹主任は忙しいのに…!」
『資料室、そういえば行ったことなかったと思って。今後使うこともあるだろうし、一度見ておきたいので、邪魔じゃなければ。』

教えて下さい、と付け足せば力になれるかどうか分からないと卑屈な彼は呟いた。

「ここ、です。」

ついた先は見渡す限りの棚に段ボールやバインダーが並んでいた。中々の資料の多さに昨今一目置かれているはずの電子化とはと疑問を呈する。

「一応メーカーごとの機器説明書がこっちと、病院ごとに分けてまして…こっちは契約年ごとに担当者が誰だったかなどまとめて資料が入ってます。あとあっちのほうは月間報告書で各病院でどのメーカーが多く使われているかなど市場調査の資料が年度ごとに振り分けていて…あそこの段ボールに入っている分はまだ未分類です。
…はぁ、どうせまた年末とかに整理しろとか押し付けられるんだろうな…。つーか大体契約を取った時点で振り分けてファイリングすればこんな風に山になる前に綺麗に分類できてるはずだろ。
提出された資料をポイポイポイポイ投げやがってあのクソハゲ…こっちがどんな思いで契約とって資料作成に時間と労力を費やしてると思ってるんだ!?はぁ、なんで俺がこんなことやらにゃならんのだ、誰だって書類の分別ぐらいできるだろうが。どうせ資料探しも断れない俺だ、資料整理を断れない俺が悪いよな。俺が俺が俺が俺が……」

なるほど、大概ここの管理は観音坂さんがしていることが伺える。
先述した通り、電子化が進んでいる時代にこれはいかがなものか。資料を作成するのはパソコンだし、資料庫もパソコン内でいいかもしれない。お上さんはご年配の方も多いし頭が凝り固まったアナログ人間ばかりなので一気に電子化へ移行は難しいだろう。ちなみにこれは皮肉である。
デジタル化に移行までは分類棚や引き出しを作って提出の時点で整理しやすくし、月毎に担当を割り振ってこまめにファイリングすればよいのではないか。
うん、次の会議に出そう。

鬱々と分類された棚を探している観音坂さんを尻目に私は心の中で決意する。資料の内容は時間があるときにじっくり吟味させてもらい、取り敢えず今は理不尽な上司から探せと命じられた目的を果たすことにした。

「○✕機器の資料はここなんだが…」
『…資料って何年前ぐらいまでのが片されてるんでしょう?』
「あ、この前の年末できるところまではやったんだが…3年前の途中だった、と思う…」

その後誰もやっていなければ、と小さく付け足す彼の様子にきっと誰もやってないだろうなと早々に諦めて詰まれた段ボールを探すことに切り替える。
2人で黙々と足元にある段ボールを開いていくも、目ぼしいものは見当たらない。あとは上か、と棚の上に無造作にのせられた箱を見上げた。

ぐっと爪先を伸ばしてその箱をとろうと試みる。ズズ、と引き寄せて下ろそうとしたら…まぁ紙って束になると重いよね。あっと思ったのは時すでに遅く、ぐらりと重心がぶれる。

『あ、やばっ…』
「美鷹主任ッ!」

バサバサバサ!と紙の散らばる音がする。
やってくるであろう頭上からの痛みに覚悟を決めないたが、痛いのは尻餅をついたおしりだけ。ぱっと顔を上げると、観音坂さんの整ったご尊顔がすぐそこにあった。
驚きで固まっているのも数秒、彼から漏れた声にすぐに声をかける。

「い、てて…」
『ご、ごめんなさい…!大丈夫ですか!?』
「ああ…。って…!」

痛みか衝撃のせいかで目を閉じていた観音坂さんが返事と共に目を開けるなり、顔を真っ赤に染める。彼にとっても思わなかった距離だったのだろう。

「すすすすすす、すまん!!!」

身体を起こして例のごとくこの世の謝罪の言葉をひたすら並べて謝る観音坂さん。バサバサと彼の背中の上に乗っていた書類が床に落ちる音が響く。

『なんで助けてくれたのに、観音坂さんが謝るんですか?』
「ぇ、あ…いや…」

まだ口を閉じようとしない彼の謝罪を途中で遮ると、悪気はないが距離の近さに不快な思いを…と口にする。まだ言うか。

『不快な思いなんてしてないよ。庇ってくれてありがとう。……でも、ちょっと心臓に悪いので離れてください。』
「!!!ッ…今すぐッ!どきます!!!」

身体を起こしたからって、まだ近い体の距離に心臓は暴れまわっていて止まりそうだ。強い鼓動のせいで痛む胸をどうにかしたくて思わず溢してしまえば 、またうつうつ謝りだしてしまった。
ああ、もう…っ!

「舞い上がった埃だけじゃなくて俺の汗臭い匂いと相まって不快MAXじゃないか…触れていないにしても埃レベルの俺が主任とこんなに接近したままだなんてセクハラみたいなもんだよな」
『そうじゃなくてっ……鏡見てください!』
「え、いつも映った自分ごと鏡を叩き割りたくなるぐらいの顔だが…。」

イケメンの無自覚って怖い。鏡がもったいないのでやめてくれ。そして自覚してくれ、そのクマでマイナスされてもその美貌はちょっぴりプラスなぐらい地顔が良いことを。

きっと、ちゃんと言葉にしないと伝わらない人だ。

『あの、今助けて貰ったのも、前に助けて貰った時も、いつも観音坂さんはかっこいいですよ。』
「………?」

日本語ワカリマセンみたいな顔で首をかしげる観音坂さんが実年齢より若く見えて可愛く感じてしまうのは何故だろう。きょとりとした彼の脳内は私の言葉の意味を理解しようと必死なんだろうな。なんて勝手に知った気でいるのは失礼か。

「ぇ、夢か?いやでも段ボール当たったのは痛かったんだが…ああ、リアルめな夢なら痛いって思い込んだのか。そりゃそうだよな、そんなこと言われたことないし現実で言われるわけないし…」

いや、この様子じゃ言葉にしても伝わってない。

『夢じゃないですよ。さて、資料探しましょうか。』
「…じゃあこれは現実?…美鷹主任が俺のことかっこいいって言ったか?」
『全部口に出てますよ?…もう一度言っておきましょうか。観音坂さんは格好いいですよ。』
「は、はは…それって…俺のこと男として見てくれてるってことか?いや待て待て…現実だとしても社交辞令というものがあってだな。早まるな俺。格好良いイコール恋愛感情だなんてそんな突飛な考えを導きだした自分を殺したい…」

何なんだこの人は。自信なさげに言ってくる彼に呆れるでなくきゅんきゅんとときめくのは何か。加護欲にも似ているそれでも、きっと私はこの人に惹かれている。
じっと翡翠の目を見つめると、その2つがウロウロと彷徨う。この人をまだ少し慌てさせたい、だなんて意地悪な心が膨らんでいく。

『男性として、見ても良いんですか?』

泳いでいた美しい虹彩が今度はしっかり私を見つめ返して見開いた。


8,彼の攻略法



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