hpmi 2 麻天狼

□ペントバルビタール
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…美鷹主任に避けられている。気がする。
いやそもそも避けられてるということすら烏滸がましいのではないか。俺が一方的に良くしてもらっていると思っていただけで美鷹主任からもそうとは限らない。
それもこれも、あの日のせいだ。そりゃそうだよな、仕事でもあれだけ迷惑を掛け続けていて、あの日がとどめの迷惑だったとしても頷ける。


あの日とは、体調が悪く社内でダウンしたあの夜。意識を浮上させたのは日付が変わるまであと一時間ちょっとという遅い時間だった。


─────…


気絶か、眠っていたのかは良く分からないが、目蓋が持ち上がった頃には幾分か気分はスッキリしていた。
いつの間にか横になっていたソファから身体を起こすと、ぱさりとパステルカラーの膝掛けが落ちる。どこかで見たような…。
顔を横に向けると、向かいのソファーで資料を読む美鷹主任がいた。一瞬幻かと瞬きを数回すると、主任のまぁるい瞳が徐に資料から離れて俺を射抜く。
睫毛が長いなぁ、なんてぼんやり思っていたら艶々した唇がゆっくり動いた。帰れますか?と問いかけられ、頷く。
それから管理会社に施錠の連絡をいれて退社し別れた。





それからというもの、視線が合いにくくなり資料などもその場でのチェックの回数も言葉を交わすのも挨拶と業務連絡の少しだけだ。
もしかしたら何かやらかしたのかもしれないし、そもそも熱の介抱の迷惑のせいかもしれない。何にせよ、原因はあの日の夜だろう。

それに、俺はあの夜 美鷹主任にお礼を伝えたか?記憶は朧気でどんどん自己嫌悪に浸っていく。

「あ、」
『ちょっとお手洗いに…』
「すすすすみません…」

声を掛けようとする寸前に察知したのか偶然なのか、美鷹主任が席を立った。
感謝と謝罪を伝えなければ、と思うも会話の切欠も機会すらもない。

「はぁ…」

ため息の数は元より多かったが最近また増えている。これで今日はすでに10回は吐き出しているだろう。

まみや主任に嫌われた所で、元々一人だったじゃないか。彼女が異動してきて、環境が少し変わって勘違いしていただけだ。そう自分に言い聞かせるしか出来ない。

『観音坂さん、すみません。さっき何か言いかけましたよね?』
「あ、す、すみません…こちら修正分確認をお願いします…」

戻ってきた主任が話しかけてくれた。まだ少しぎこちないものの、最近の近寄りがたい雰囲気が薄れている気がする。
戸惑いで、言葉が尻窄みに消えていく声。まったく、我ながら情けない声だ。
資料に目を通した主任が大丈夫だと太鼓判を押してくれる頃にはよそよそしさは消えていた。
俺の気のせいだったとか…?

「おい!誰か3年前の○✕機器と△山病院の契約資料知らないか?」

課長が資料を探していると声をあげる。美鷹主任と俺の視線がそちらに向いた時には近場にいた同僚が目を付けられ、押し付けられていた。
…御愁傷様、だな。と思っていたのも束の間。その同僚が俺のもとにやってくるではないか。
おいおい、嘘だよな…?

「な、なぁ観音坂…お前ならあそこの資料室のどこに何があるか分かってるだろ?」
「え、いや、大体把握してるだけで直ぐに見つけられるかは…」
「全く訳分かんない俺よりマシだって!な、頼むよ。」
「はあ…」

案の定。
あの手この手で言い込めようとしてくる同僚にため息を溢した。それが了承と捉えられたのか、じゃあ頼むぞと勝手に肩を叩かれる。ふざけんなよ…。
再び大きなため息を溢すと共に肩も落ちた。

結局断れないんだ、俺は…。いや、ちゃんと断ったぞ。ほぼ強制的だったよな今。哀れんだ俺に天罰が下ったのか?哀れむのすらダメなのか。哀れんだつもりはなくちょっとした同情程度だったんだが。

資料室に向かうべく部署をでていくと、後ろから声をかけられる。脳内が同僚への罵りの言葉で埋まっていた俺は突然の声に肩を竦めてしまった。
振り返ると、そこには美鷹主任が。私も一緒に探しますよ。と足を止めた俺の隣に並ぶ。

「ええ!?そんな、美鷹主任は忙しいのに…!」
『資料室、そういえば行ったことなかったと思って。今後使うこともあるだろうし、一度見ておきたいので、邪魔じゃなければ教えて下さい。』
「お、俺で力になれるかどうか分からないですが…」

なんて仕事熱心なのだろう。仕事に繋がるものへの積極性は俺も見習わないといけないな。なんて思いながらもこれから少し美鷹主任と話せるのではないかと期待に胸を膨らます。資料室の整理をしていて良かったと思ったのは今日が始めてだ。




どうしてこうなった。

美鷹主任と鼻先が触れそうな距離に居るこの現状に頭が追い付かない。課長が求める資料を探していたのだが、高い位置に置いてあった段ボールを主任が下ろそうとして後ろに倒れそうになった彼女を視界に入れると反射的に身体が動いた。
紙切れ数枚なら対して重くないのに、大量のそれは頭から被ると少し痛みを伴う。そして次に目を開けた瞬間には、俺が美鷹主任を押し倒しているような体勢に。

「すすすすすす、すまん!!!」

慌てて身体を起こして謝罪の言葉を述べるも、彼女は助けてくれたのになぜ謝るのだと顔をしかめる。
なぜかと言われると明白な答えは不快な思いをさせたからだろう。それをそのまま口にすれば、そんな思いはしていないと。や、優しい…女神か。

『庇ってくれてありがとう。……でも、ちょっと心臓に悪いので離れてください。』
「!!!ッ…今すぐッ!どきます!!!」

謝礼の言葉にほっとしたのも一瞬で次に言われた言葉で冷や水を頭から被せられたように血の気が引いた。
慌てて立ち上がると、主任も身体を起こしスーツを払う。

「舞い上がった埃だけじゃなくて俺の汗臭い匂いと相まって不快MAXじゃないか…触れていないにしても埃レベルの俺が主任とこんなに接近したままだなんてセクハラみたいなもんだよな」
『そうじゃなくてっ……鏡見てください!』
「え、いつも映った自分ごと鏡を叩き割りたくなるぐらいの顔だが…。」

鏡なんて、毎朝出社前に見ているんだが。青白くやや不健康そうな顔色は一二三の栄養バランスのとれた食事で保たれているのだろうが、目の下にこさえたクマは見るに堪えない。
美鷹主任の発言の意図を理解しきれず首をかしげる。

『あの、今助けて貰ったのも、前に助けて貰った時も、いつも観音坂さんはカッコいいですよ。』
「………?」

聞き間違いか?このタイミングで幻聴とかやめてくれ。ぇ、夢か?いやでも段ボール当たったのは痛かったんだが…ああ、リアルめな夢なら痛いって思い込んだのか。そりゃそうだよな、そんなこと言われたことないし現実で言われるわけないし…。
というかカッコいいって言葉の意味ってなんだっけ。俺が知ってる意味と違うかもしれない。そうだ、そうに決まっている。
首をかしげすぎてそろそろ折れそうだ。それなのにどれだけ頭を絞っても理解できそうにない。

『夢じゃないですよ。さて、資料探しましょうか。』

んん?なんで俺の考えていることが分かったんだ?エスパー能力の持ち主?ああそうか、女神や聖女の類いならそんな力を持っていたって頷ける。
美鷹主任が言っていることが本当なら、これは現実?本当に…美鷹主任が俺のことカッコいいって言ったのか?

『全部口に出てますよ。』

…エスパーじゃなかった。 あれ、俺どっからどこまで口に出してた?
混乱する俺をよそに、主任が駄目押しでもう一度俺は格好良いと口にする。

「は、はは…それって…俺のこと男として見てくれてるってことか?」

混乱する頭を宥めるために前髪をくしゃりと握りしめる感触は、どうしたって現実で。
いや待て待て…現実だとしても社交辞令というものがあってだな。早まるな俺。格好良いイコール恋愛感情だなんてそんな突飛な考えを導きだした自分を殺したい…

自己嫌悪に浸っていると、じっと目を見つめられる。真っ直ぐなその双眸に居心地が悪くて視線を彷徨わせる。
落ち着け俺の目。そんなに泳ぐんじゃない。今なら目だけでオリンピック金メダル狙えるぞ。

『男性として、見ても良いんですか?』

ぽつりと静かな資料室に投げ出された言葉が視線を彼女に強引に引き戻させる。
美鷹主任は、な、んて…言ったんだ、?
ドクドクと心臓が軋む。自分の心音の大きさに、身体の外まで音が漏れているのではないかと思う。
彼女の表情は、いつか見た悪戯な笑みを口許に携えている。そのあまりの可愛さに息が詰まりそうだ。
きらりと主任の瞳が揺れて見え、はっと息を吸う。やばい、本当に息が止まっていたんじゃないか。

「っ!あ、いや、格好いいと言われたからって恋愛感情が伴うとは限らないですよね、すみませんすみません、忘れてください!」

慌てて冗談への返答を口にする。

『忘れたくないって言ったら?』
「ぇ!ええ!?あ、あの主任…?」
『私とデート、してくれません?』

な、なななな!?俺をからかってるのか?
にこりと微笑む彼女の意図が見えない。ぽかりと口が開いたまま閉じてくれない。マヌケな顔を晒しているんだろうが、そんなこと知ったこっちゃない。だってそれほどまでに信じられない。

『断ってもいいですよ。観音坂さん、私が上司だからって受け入れそうだから。嫌ならイヤってハッキリ言って…』
「いき、ます!行きたいですっ!」

そう美鷹主任の言葉を遮り返事した声は思いの外大きくて。彼女も声量に驚いたみたいできょとりとしてから、少し頬を染めて無邪気に笑った。
その笑顔にきゅうと心臓が締め付けられて、痛いほど好きだと叫んでいる。




あれから目的の資料を見つけ出して仕事に戻った。デート、という単語がことある毎に脳裏に浮かんできて残業時間が延びてしまったのは仕方ないだろ。
やっぱり夢かと思うことにしたのだが、いつが空いているかと美鷹主任からの連絡に現実を突きつけられ、翌日目が覚めて一二三にビンタを乞うもそのメッセージが消えておらず、遂に認めざるを得なかった。



9,感情と展開のジェットコースター


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