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□カランコエ(一郎連載@)
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中王区連れ去り事件後、一郎たちともう1つ連絡をいれていた。それは職場である。中王区から辞職の連絡が入っていたが本人からではないということで看護部で止めてくれていたそうだ。最近、違法マイクで耳が聞こえなくなったことや今回の事件で仕事ができず、休みをもらってスタッフに迷惑をかけてばかり。正直、職場に行くのがたまらなく憂鬱だった。




─51,社会人としての葛藤─




連絡後、一度職場に来るように言われて菓子折を持って行けば心配の声をかけてくれるスタッフ達が大勢いたが、やはり良い気がしてないだろう人も勿論いた。この職場、やめようかな。そう頭の中で転職する案が浮かんでくる。とりあえず病棟師長と退職について話をしよう。


『ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした!』
「いいえー。桧原さんが悪いわけではないし、それ以外ではしっかり働いてくれるしいつも患者さんへの接し方も丁寧で頼りになる桧原さんのことみんな分かってくれてるわよ。」
『…ありがとうございます。でも、流石にみんながみんないい気はしてないことは分かります。』
「まぁ、人それぞれはあるけれどね。」
『それで…私、ここを辞めようかと悩んでいます。』


褒められて嬉しい気持ちはあるが、流石に社会人を何年もやっていない。そんな都合よく我が物顔でいられない私の気持ちも、分かってほしい。


「そうよね…。うん。今ここで はい、わかりました。とは言えないわ。」
『………』
「私は、辞めてほしくないとは思うけど桧原さんの思いを尊重する。…でも、少しでもここにいたいって思ってくれたら歓迎するからね。」
『ありがとうございます。…明日からまたよろしくお願いいたします。勤務調整でご迷惑おかけします、すみません。』
「とりあえず、辞めたい意向は看護部の方に伝えておくから。」


とりあえず働けるのに休むわけには行かず改めて看護部長から面談があるだろう。はぁ、ととぼとぼと帰宅するために建物から出たところで久しぶりに聞いた声がかけられる。


「春さん?」
『あ、お久しぶりです、独歩さん』
「お久しぶりです…!」


声の主は安定の隈の濃さを誇る観音坂独歩さんだった。笑顔で返すものの、さすが営業職と言ったもので私の気落ちした雰囲気にどうかしたんですか?とおずおず疑問を口にした。


『あの…すごく個人的な話で…』
「そ、そそそそそそうですよね…。こんな俺なんかに話すとか…!しかも個人的なことを聞くなんて失礼ですよね。そもそも俺に話したところで何の役にも立たないそこらへんの砂利以下にも関わらずどうしてこう図々しいんだ…。ああ、これだから俺はダメなんだ…」
『え、いやそんな、独歩さんに話すのが嫌とかじゃないですよ!?』

落ち着いてください、ね?とうるうると瞳をぬらす成人男性を励ますように肩を叩く。あれ、なんで私が励ます側になってるんだ。あは、おかしい…。思わず笑みがこぼれてしまった。

『ほんと、独歩さんネガティブすぎます。』
「…すみません」
『もう、謝らないでくださいよ。なんか面白くなってきちゃって笑っちゃいました。』
「春さんを笑顔に出来たなら俺のネガティブもたまには役に立って良かったです。」


そんな独歩さんの物言いにまた笑ってしまった。ああダメだ、つぼった。笑顔にしてくれたお礼に自販機のコーヒーだがそれを贈らせてもらう。申し訳ないと断る独歩くんにたかが百数十円のものを断られる私の身にもなってくださいと押し付ければ、彼は渋々諦めた。独歩さんの扱いが上手い気がする。おっと、これは年上に失礼だな。

病院外のベンチに腰掛け、二人で缶コーヒーを飲む。折角心配してくれてるし、先ほどから彼も気になっている様子なので口を開く。

『実は…この病院を辞めようか迷っていて…』
「え!!?!?」
『そんなに驚きます?』
「いや、そんな重い話だと思っていなくて、軽々しく尋ねた俺の愚かさに驚いただけです。」
『笑かさないでください。』
「真剣なんだが…」


また吹き出すと彼はそう溢した。

『看護師という職業は辞めるつもりはないんですけど、ちょっと居づらくなっちゃって。』
「そうなんですね…。あの、一緒に現場で働いてない俺がとやかく言うことじゃないと思うんですが…」
『はい。』
「プレゼンに行ったときも真剣に聞いてくれて、質問も俺が説明不足なだけですがしてくれたり勉強熱心だと思います。あと、たまに病棟で見かけるときも患者さんの目線に合わせて屈んだり、優しく声を掛けたりしてる姿も見ることがありました。俺が落ち込んでたりすると励ましてくれたり…えっと、何が言いたいかと言いますと…そのまま春さんの働き方で示せば、周りも分かってくれるんじゃないかと思います。」
『……なるほど。真面目に働いて周りを黙らせろと。』
「え!?いや、その、…はい。春さんなら出来ると思います。」


ああ、この人は。流石、ディビジョンラップバトルの王者だ。ネガティブであるのに力で示す方法を知っている。まぁ、私のこと買い被りすぎてる感じもするけど。私、そんなにいい看護師じゃないですよ。出来ないことも分からないことも沢山ある。かれどその力強い言葉に背筋を伸ばされた気がした。


『ありがとうございます。チャンピオンにそう背中をおされたら頑張るしかないですね。』
「な!?それとこれとは別では…」


煽てると狼狽する彼にまた笑みを返す。

『ありがとうございます。それを踏まえて、もう少し考えてみます。』
「…はい、どういった選択をしても、春さんのこと応援してますから。」
『どんなけいい人なんですか。』


隈を深く刻んで疲れきった優しい彼に、少しでも安らぎと幸せが来るようにそっと願っておこう。





そうして、悩みながらも働いて数日。とりあえず結論が出るまでは独歩さんにアドバイスをもらったように仕事を頑張ってこなしている。休んでいた分、夜勤も多めにとらせてもらったりして、ちょっとずつ助けてもらった分働いて返す。


『すみません阿多良さんなんですが今日の採血結果で炎症反応が上がっていて。熱は今のところないのと、呼吸状態や尿の性状は変わりないです。すこし関節の痛みと腫張があるみたいで、既往にリウマチがあります。何か追加検査しますか?』
「そうだな、整形にコンサルトしてステロイドと鎮痛剤について相談してみるよ。」
『はい、わかりました。あと、湯浦さんなんですが…』


受け持ち患者の検査データをみて、自分が観察したことを報告しDrから指示を受ける。カルテ記載し、時間はどんどん過ぎていく。昼休憩で食堂で食事を済ませて病棟に戻っていると、優しいテノールが私の名前を呼ぶ。


『寂雷先生…』
「なんだか久しぶりに感じますね。」
『ホントに。先生の外来だったり私が夜勤だったりですれ違ってましたもんね。』

無事でなによりです、と微笑む先生はラップをしていないのにヒーリングアビリティが使えるのかと思うぐらいには癒しイオンを放っている。穏やかなその口調が雰囲気を和らげた。

『お礼を伝えるのが遅くなってすみません。私を探す際、お手を煩わせてしまったと聞きました。』
「いえいえ。煩わしくなんてなかったですよ。春さんが見つかる手助けが出来たのなら幸いです。」


仏か。後光の幻覚と神々しさまで感じる。改めてお礼を伝える。あと…と彼が言葉を繋げた。


「ここを辞めるとすこし小耳に挟んだのですが…」
『あら、挟まれちゃいましたか。』
「ふふ、はい、挟みました。」


私の軽口に先生も笑みを溢す。まだ迷ってるんです。と返事をすると寂しそうに眉尻をさげる先生。う、その長身でその可愛い顔のギャップは凶器です…。


「そうですか。春さんなら、きっと何処に行ってもしっかり働けると思います。もちろん、一番はここに残ってもらえたら嬉しいですが…。」
『え、寂雷先生に褒められるとか私明日死ぬかもしれません。』
「死にません。」


おおう、安定の微笑みを浮かべているのにツッコミはするどい。

「個人的には、湯呑み会メンバーが居なくなってしまうのは寂しいですね。」
『…会員2人ですもんね。』
「ふふ、ゆっくり考えてください。引き留めてしまってすみませんでした。」
『いえ…!むしろ、ありがとうございました!』


彼が溢したこの病院に引き留める言葉といえば湯呑み会の解散が寂しいと遠回しに伝えられたのが分かる。それから先生と別れ、病棟に向かう。私の胸には嬉し言葉が蓄積していっているのを実感して、それを糧に午後からの仕事に精を出した。






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