黄金神威:GoldenKamuy

□逢え犬
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気付いた時には、俺は長生きをして人の姿を得ていた。
長生き、というよりは死に場所と死ぬ瞬間を失い続けてきたからかもしれない。味のないものをずっと食べて、それでも満たされないままでいるような気分だった。
ある時は大山犬に化けて獣を襲い、ある時は山に入ってきた山を荒らす猟師共を、殺すまでとはいかないが追いかけ回す。
野性味があるようで、ただ野蛮な日々を送っていた。

ある日、ふと木々の間を伝ってきた心地の良い匂いに気を取られた。同時に、獣を捌いた血の匂いも漂ってきた。
一つは男の匂い。嗅いだことのある匂いだった。
もう一つは、きっと女の匂いだ。
とは言っても、人間の女などは暫く見ていないので、どのような女かはまるで分からない。

木に潜んでは周りを見渡し、踏みしめた枯葉の音を消し歩く。
何寸か先に、男と、華奢な女の姿が見えた。
互いが親しげに話していることから、恐らく男は女の父親だ。近付けば近付くほど同じ匂いがする。
しかし、父親の顔はかつて憎んだ者の顔だった。
山を荒らし、動物たちを狩っては売り歩いた。その中には、俺の仲間も居た。
苛立ちながら女を見ると、これまた美しい女だった。
男と似た場所は全く持っていない。
普段、山に人間の女が入ることなど滅多にないせいか、逸る気持ちを抑えるのも難しいほどだった。

あの女を嫁にしたい。いや、何としてでも嫁にする。
父親を食い殺したっていい。

頭の中はあの女の姿で埋め尽くされた。
玉の触れ合う音のように綺麗な声が、耳の中で跳ね回る。
あの女が離れた隙に、俺は父親に飛びかかった。

「俺はお前のしてきた悪行を全て知っている。」

父親の目がギョロギョロと右に寄り、左に寄りを繰り返す。きっと俺の姿と人語に驚いているからだ。

「今ここで俺に手酷く殺されて、獣の餌になりたくなければお前の娘を俺の嫁に寄越せ。
寄越せば、お前をどうにか生かすことは考えてやる。どうだ?」

最初、父親は拒絶した。
嫁に寄越せなんて言って娘を食う気だろう、と俺に一喝したがそんな気は更々無い。人間を食べて味を覚えてしまえば、二度と元の獣に戻れなくなるから。
無駄口を叩けないように牙を見せる。
この牙で首元さえ刺せば一発でじわじわと血を失わせられるが、とうとう折れて俺に娘をやると言った。

「勝った!」

父親には二度と娘に会うな、と誓わせた。
婚礼の儀は必要ない。死ぬまでこの山にいる事が婚姻の証になるからだ。


***


「佐一さんっ」

ぐるぐると回る視界に合わせて、遠く名前の声がした。

名前が俺に嫁入りをしてからまだ一月。
突然見ず知らずの男に惚れられ、しかも妖の嫁になったにも関わらず名前は気立て良く、妻として俺に接してくれる。

「佐一さん、また昨日多めに飲んだでしょう。」
「あー⋯ごめんなさい。」
「もう!あんまり飲み過ぎたらダメです!
昨日だって尻尾と耳が出たまま帰ってきたんですよ!
下手したら撃たれてたかもしれないのに!」

熟れた果物のように頬を赤くして怒る名前が、とても可愛い。
そんなところが可愛くて、わざと困らせてみたいと思ったことは何度もある。

「名前ちゃん、ごめんね?」
「⋯お酒臭いから許しません。」

顔色を窺うように近寄るとプイっと顔を避けられ、悲しげにも伏し目がちになる名前。
そんな名前の後ろに回って抱き締める。
うなじに顔をうずめても、嫌がらないので多分許してくれている。

「お酒、飲む量減らすから。」
「⋯本当に?」
「本当。だって、こんなに真剣に怒られるのは初めてだからさ。」
「⋯」

汗の匂いがする。
きっと名前は照れているんだ。
あぁ、可愛い。怒っても泣いても、名前は何をしても可愛いんだ。

「だから、もう仲直りしよう?
俺、名前ちゃんに構ってもらえなくなったら寂しくて死んじゃうよ。」

耳元で囁けば、ぐっと強くなる名前の匂い。
照れると何も言えなくなるくらいの恥ずかしがるところも可愛い。

「仲直りするから死なないでください。」
「よし、じゃあもうちょっとこのままね。」
「えっ」
「だって名前ちゃんから俺の匂いがしたら嬉しいし。名前ちゃんがどこに居ても分かるよ。」
「⋯佐一さんみたいに耳や鼻がいいと大変じゃないですか?」
「そんなことないよ。むしろ俺の大好きで大事なお嫁さんのことを守れるから山犬で良かったなぁって思うよ。」
「そういう意味じゃなくて⋯。」

腕の中に収まるくらいに小柄な名前を抱き締めているだけで、幸せになる。
たとえ生涯の伴侶が憎き人間の娘であったとしても、愛おしいと思うこの気持ちにだけは嘘をつけなかった。

「佐一さん、好きです。」

「お⋯俺は愛してるよ!」

名前の不意打ちの一言で、俺に生えた二本の尻尾がけたたましく動いたのは、言うまでもない。



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