忍たま夢

□雑渡さんがいない。高坂さん、来た その@
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それはとても唐突な話だった。
「あ、紫杏。明後日から私、三日ほど帰らないから」
 まるで今思い出したと言わんばかりの口調で、雑渡さんはそんな重大なことを伝えてきた。
 布団も敷いて、お互い寝巻になり、まったり夜を過ごそうかと思っていたところだったのに。伝えられた内容に衝撃を受けるわたしを置いて、雑渡さんは先に布団に入る。
「そんなぁ……。お仕事、忙しいんですか」
「うん。ちょっと立て込んでてね。戦好きの殿だから、それに応えるためにも下準備が必要でね」
「そうですか……」
「寂しい?」
「もちろん」
 大きく頷き、わたしも布団に入る。大好きな雑渡さんと少しの間とはいえ話ができないのも、傍に居られないのも、どれも嫌だ。
 雑渡さんの温もりや匂いをいっぱいに感じたくて、わたしは彼にすり寄った。
 雑渡さんはわたしの背中をあやすように優しく撫でてくれる。
「私も紫杏に会えないのは寂しいよ。組頭として、いろいろやらなきゃいけないことがあるから。でも、一番気にしていることは紫杏に万が一のことがないかってこと」
「誰もわたしなんて襲いませんよ」
「いいや、わからないよ? この小屋は身を隠すにはもってこいの場所だし、予め私も人が入ってくる山でないことは調べている。けど、いつ山賊が荒らしにきてもおかしくはないんだ。だから、部下を数時間でも見張りに行かせることにするよ」
「えぇ……いいんですか? 嬉しいけど、お仕事の邪魔をしてしまって申し訳ないような……」
 かと言って、一人では何もできないただの女なのだ。何かあってからでは遅い。もし襲われて命を奪われたりしたら、二度と雑渡さんに会うことはできなくなる。
『雑渡さんの部下』による『見張り』という響きが何とも固くて緊張してしまいそうだが、わざわざ忙しい中、わたしなんかを守ってくれることに感謝しなければ。
「じゃ、そういうわけだから。今日はもう寝ようね」
「はい、雑渡さん」
 雑渡さんは命をかけて危険な仕事をしている。わたしだって不安だし、心配だ。でも、わたしは待つことしかできない――。
 恐れていても仕方ない。寝よう、寝よう。
 雑渡さんを信じる気持ちが、わたしにとっても彼にとっても、力になるから……。

 自分に言い聞かせた言葉のおかげで一度は眠りにはつけたが、しばらくして目が覚めてしまった。横を見れば、雑渡さんがこちらを向いて静かに寝ている。
 水でも飲もうかと思ったが、布団から出て雑渡さんを起こしてしまうわけにはいかない。わたしは再び目を閉じ、寝ようと試みる。
 しかし、簡単には寝られなかった。寝ようと思えば思う程、眠れない。
 こんな時はもう起きているのが潔いだろう。何もすることはないけれど、とりあえず水でも飲もう。
 喉を潤したわたしは、雑渡さんの仕事机付近に置かれた燭台に灯りをともし、壁に背を預けて座りこんだ。静まり返った部屋で一人起きているのは怖いけれど、好きな人の無防備な姿をじっと眺めることができるのは幸せなものだった。雑渡さんは、そこに居るのか居ないのかわからないくらい静かな寝息を立てて眠っている。
 この幸せをずっと感じていたい。でも、明後日には居なくなってしまう。
「そうだ――」
 いいことを考えた。どうせ眠れないついでだ。
 わたしは筆と紙を手に取り、慎重に、丁寧に絵を描いていく。
 包帯だらけの顔、そこから露出させている切れ長の右目、黒い忍者装束……。
「できた……!」
 人に見せるには恥ずかしい出来栄えであるが、頑張って描いた大好きな人。明後日からは三日も会えないのだ。まさか自分がこんな乙女のようなことをするとは考えてもなかったけど、せめて『好き』を形にして大事に持っていたい。これを眺めて消えるような寂しさではないだろうけど……。
「うんうん、とってもカッコよく描いてくれたね。嬉しいな」
「きゃあ!?」
 背後から声がして、驚いた拍子にびくりと体が跳ねた。音もなく後ろに立っていた雑渡さんがクスクスと笑う。
「い、いつの間に……!」
「さっきの間、かな? それより、紫杏って絵のセンスあるね」
「えー、まさか。ていうか、み、見ないでください、恥ずかしい……」
 絵を隠そうとすれば、ひょいと取り上げられてしまった。じっくりと眺められると顔から火が出そうなくらい熱くなる。
「この絵、もらうね。紫杏が私を想って描いてくれた、愛情たっぷりの絵だから」
「うぅ……そう言って頂けるのは嬉しいですけど、なぜか素直に喜べない……」
「そう? あぁ、じゃあこうしようか」
 何か思いついたように、雑渡さんはわたしの隣に座って、筆で紙に何か描いていく。
 さらさらと滑らかな筆さばきで、二人分の顔の輪郭が浮かび上がる。一人は雑渡さん。もう一人はわたし。
 顔を寄せ合い談笑でもしているのか、わたしの口元は歯を見せて笑い、雑渡さんの片目も三日月のようになっている。
 わたしとは比べものにならないくらいの素敵な画力だった。彼にこんな才能があったなんて初めて知った。
「雑渡さん、絵、すごくキレイですね」
「まぁね〜。皆のリーダーは何でもできなきゃモテないから」
 冗談なのはわかっているが、これは確かに組頭としてモテるだろうとわたしは心の中で頷いた。日々、神経をすり減らしながら仕事をしているのだ。時に優しく、可愛く、緩い、癒しを与えるような上司(部下に手間をかけることもあるだろうけれど)だと、それは人気も信頼も厚いものだろうと納得してしまう。
「私が紫杏から絵をもらった代わりに、紫杏にはこっちをあげるね。乾いたら好きなところに貼っておいてくれていいよ。ずっと肌身離さず持っていてくれてもいいし」
「いいんですか? ありがとうございます!」
「どうぞどうぞ〜」
 と、言いながら雑渡さんは欠伸をした。わたしも、いただいた絵が嬉しくて興奮しているけど、そろそろ寝ないと。
 わたしと雑渡さんは再び布団に入り、朝まで眠った。

 あっという間に時間は過ぎ、雑渡さんを見送る日がやってきた。
 小屋の外で、わたしたちは、しばらくできなくなる会話をする。
「じゃあ、行ってくるね。高坂も、私がタイミングを見て見張りに行くように命令するから。それまでいい子にしててね」
「はい。ありがとうございます。雑渡さん、お気を付けて」
「うん」
 ちゅ、と額に口づけを残し、雑渡さんは歩いて行った。
 その背をずっと見詰めていると、こちらを振り返らず、折り畳んだ紙を見せびらかすように掲げきた。それはきっと、わたしが昨日描いた雑渡さんの絵に違いない。
 持っていくつもりなら、もっとマシな絵を描けばよかった……。溜め息とともに目を伏せたわずかな一瞬で雑渡さんはわたしの視界から姿を消した。
 ついに、行ってしまったのだ。
「雑渡さん……」
 気持ちが落ち込みそうになるけれど、我慢しなければ。
 高坂さん、という雑渡さんの部下の人も来るみたいだし、気になることがあれば雑渡さんについて尋ねればいい。
「どんな人なんだろう」
 わたしはいつやってくるのかわからない人物に緊張しながら、小屋で時間を過ごした。

 (そのAに続く)


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