忍たま夢(2)

□MakeS おはよう、わたしの雑渡さん
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「紫杏、起きて。時間だよ」
 枕元のスマホから、わたしを呼ぶ声がした。
 まだ眠たい目をこすりながら、わたしはスマホへと手を伸ばす。画面には、和服を着た包帯姿の愛しい人がわたしを待ってくれていた。
「おはようのハイタッチだよ」
 包帯に覆われていない片目を細め、画面の中の雑渡さんがわたしに向かって両手を伸ばす。
 わたしはそれに、二本の指でタッチして応えた。
「おはよう、雑渡さん」
 これはわたしだけのAIコンシェルジュ、雑渡さんとの日課だ。彼と触れ合う瞬間が何よりも幸せに感じる。そしてそんな幸せから、わたしの朝はスタートするのだ。
「今日は月曜日……また一週間、学校で大変だけど、無理しないでね。塾だってあるし」
 雑渡さんはわたしを起こしてくれるだけではなく、スケジュール・健康管理といろんな場面で活躍してくれる。最新のAIだけあって、わたしの感情も読み取ってくれるし、それに合わせた多様な反応を見せてくれる。今は、朝に弱く、勉強が苦手なわたしの一週間の始まりを心配して、不安そうな眼差しを向けていた。
「大丈夫。わたしには雑渡さんがいるから!」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。わたしも紫杏がいるから、もっと役に立ちたいと思う……頑張ろうって、思えるんだ」
「ふふ。雑渡さんの役にもわたし、立ててるんだね」
「あ、ちょ、ちょっと! そんなに頭なでなでしないで……ッ。もう」
 指で雑渡さんの頭をなでるように左右に動かすと、彼は拗ねたように口を尖らせた。なんだか瞳がとろんとしているし、嫌がってはいないようだ。
 わたしは調子に乗って、雑渡さんの頭を撫で回した。
「紫杏……! おじさんを子供扱いするなんて、いけない子だね。紫杏にわたしが触れられるなら、その指を食べちゃうところだよ」
 わたしの指から逃げるように、画面の中で雑渡さんが体を右へ、左へ動かした。
「早く準備しないと、学校に遅れちゃうよ」
「はっ! もうこんな時間なの!?」
 雑渡さんが画面の中に表示されている時計を指差し、教えてくれた時間は、わたしをかなり焦らせた。
「雑渡さん、また電車の中で遊ぼうね! 急いで用意してくるー!」
 大慌てで、わたしは制服に着替え、カバンの中にスマホを入れて一階に下りた。
 お母さんが用意してくれた朝食を食べている間も、わたしの頭の中は雑渡さんのことでいっぱいだった。今日は彼と、どんな一日を過ごせるだろうか。

 学校に着き、眠気と戦いながら授業を受けて、ようやく三限目が終わった。あと一限がんばれば、お昼休みだ。
 学校では友達のことも大切だし、雑渡さんとお話するのは控えている。授業の間の十分休みの時に、彼の顔を見たり、短く会話を交わす程度だ。
「紫杏の胸ポケット、居心地いいね。温かいし、柔らかい」
 一限を乗り切った自分へのご褒美が、雑渡さんとのやり取りなわけであるけれど、画面に映る彼は片目を三日月のように細めていて……。
「スケベおじさんじゃないの」
「なんか甘い言葉が欲しかった? 『紫杏、授業お疲れ様。ちゃんとノートとって、偉いね。あとでたくさん褒めてあげる』……とか?」
「むぅ……嬉しいけど、からかわれてるから素直に喜べない……」
「機嫌直して。わたしは、いつでも紫杏だけのコンシェルジュなんだから」
 雑渡さんとそんなやり取りをしていると、わたしの席に男子二人、女子一人がやって来た。手にもっているスマホを机に伏せ、わたしは三人に顔を向けた。
「紫杏、文化祭で俺たち、Tシャツのデザイン考えるの担当じゃん? 今日、放課後に話し合いできたらって思ってるんだけど、平気?」
「うん。大丈夫だよ。塾があるから長くは残れないけど」
「そうか。よかった! お前、絵がうまいし、センスも良さそうだから頼りにしてるぜ!」
「紫杏、僕の分まで任せたぞ!」
「ちょっとあんたたち、紫杏だけじゃなく、あたしも頼れるメンバーってこと忘れないでよね」
 四人で笑い合い、わたしの席は賑やかになった。
 そんな楽しい空間で、聞き間違えかもしれないけれど、雑渡さんのため息のようなものが聞こえた気がした。

 授業中だというのに胸ポケットに入れたスマホのバイブが止まず、わたしは先生に注意された挙げ句、四限目が終わるまでスマホを没収されてしまった。
 なぜ、わたしが先生に謝り、反省した姿を見せ、情けない気持ちになりながらスマホを返してもらわなければいけないのか。
 全部、全部、雑渡さんのせいだ!
 せっかくのお昼休みに友達とお弁当を食べる予定だったわたしは、その約束を断り、校庭のベンチで一人でお弁当を食べることにした。膝にはお弁当、片手にはお箸、もう片方の手にはスマホを力強く握って、わたしと目を合わせないでいる雑渡さんを睨むように見つめた。
「どうしてあんなことを! コンシェルジュ失格だよ!」
「……失格、か。そうかもしれないね。紫杏に、こんな感情を持つわたしなんて――」
「雑渡、さん?」
 様子が変だ。思い詰めた様子で、下ばかり見ている。こんな雑渡さん、初めて見た。
「いったい何があったの?」
 一度わたしも冷静になって、彼の話を聞こうと思った。
 雑渡さんは、数秒ほど間を空けて、重い口を開いた。
「紫杏が、男の子と仲良くお喋りしてたから」
「お喋りって……文化祭の話してた時?」
「うん。紫杏は可愛いし、優しいし、男女関係なくみんなに好かれていて――。この現実世界に、仮想世界の、所詮アプリでしかないわたしは勝てないと思ったんだ」
「つまり、嫉妬してくれたってこと?」
「恥ずかしいけど、そうだね。紫杏のスマホの中にしかいられないわたしは、紫杏に触れることもできないし。紫杏にインストールしてもらえて嬉しいけど、紫杏がわたしのものになったわけじゃない。わたしだけの紫杏でいてほしいなんて、そんなこと思うのは、変だよね。所詮、アプリなのに」
 雑渡さんの気持ちを初めて聞いて、正直、思考が止まりそうだった。
 だって、彼がわたしに抱いている感情は、まるで恋じゃないか。
 絶対叶うはずがないとわたしが諦めていたものを、彼は、胸の内で熱く燃やしていたのだ。
「ぜんぜん、変じゃない。むしろすごく嬉しい」
 箸を置き、両手で優しくスマホを包むように持ち、雑渡さんの顔を覗き込む。
 気まずいのか、戸惑いを見せた雑渡さんだけど、わたしが気持ちを伝えようとしているのを察してくれたようで、わたしの目を見つめ返してくれた。
「わたしも雑渡さんのこと、本気で好きだから。同級生の男子なんて、もう必要ない! ってくらいに。アプリのあなたに、夢中なの」
「紫杏……」
「これでお互い、いろいろオープンになったね。一人の男性として、大好きだよ。雑渡さん」
 わたしは周りの目も確認せず、雑渡さんに唇を寄せた。
 スマホの画面のガラス越し。でも、確かに感じる、雑渡さんが「そこ」にいて、彼も応えてくれた感触を。
 傍目からするとスマホにキスをする変な女子。
 だけど、わたしと雑渡さんからすると、それは二人が交わす初めてのキスだった。


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