Lyrics
□「Lyrics」
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『え…っ、』
「勘違いするなよ、シノギは関係ねえ。
ただの飯に誘ってるだけだ」
『私と、碧棺さんの…二人でですか?』
明らかに戸惑っているのが声だけで分かるが、それには気付かない振りを決め込む。
「そうだ。俺とお前のサシだ」
『な、何故…?』
"何故"
独歩が何気なく発した言葉にハッとした。
そしてそれは左馬刻の心をじわじわと抉る。
独歩のことが好きな左馬刻には彼と食事に行く理由があるが、独歩には理由が全く無いということを自覚した。
元からろくに話したことも無いのだから。
だがめげることはない。
左馬刻はハッキリと言った。
「理由なんてねえよ。
ただお前と飯に行きてえと思ったから、こうして誘ってるだけだ」
それだって嘘ではない。
しばらく答えは返って来なかった。
あまりに突然なことに何が何だか分からず、ひたすらに戸惑っていることは分かっていた。
ただでさえ独歩は人見知りに加え、そもそも人と関わること自体が得意ではないし好きでもない。
左馬刻は昨日乱数と共に独歩を待っていた時のことを思い出した。
『奴が本気で迷惑だって言うなら身を引く』
この誘いを断れたら、もう身を引こう。
短い期間ではあったが、惚れた相手のために友人を巻き込んでまで必死になったのは、今回が生まれて初めてのことだった。
ハイじゃあ次だなんてすぐには切り替えられないが、乱数にヤケ酒を付き合わせて、ここまで頑張った自分の愚痴を聞いてもらって、
『分かりました』
あっという間に終わってしまったが、それでも乱数には多大に助けられたのだから、彼が好きな酒も持って行って…
「…えっ」
聞き間違いかと本気で思った。
聞き返そうとするより早く独歩が繰り返す。
「是非、お食事しましょう」
ゼロ…いや、むしろイメージ的にはマイナスからのスタート地点に立っただけに過ぎない。
長期戦になることも分かっている。
それでも左馬刻は勢い良く立ち上がり、何度目か分からない握り拳を作り自身の額に押し付け、目を強く瞑る。
「いつの夜なら空いてる?」
この歓喜を悟られないよう務めて自然を装って言った。
うーん、と迷う声が聞こえるがそこに戸惑いは含まれていなくて、たったそれだけのことにも左馬刻は口角が上がっていくのを抑え切れなかった。
『えっと、そうですね…明日は引き継ぎしなければいけないことがあるので、明後日の水曜日でしたら』
明後日と聞いた瞬間、数歩の距離のデスクまで慌てて走り、卓上カレンダーをひったくる。
『後は今週の金曜日でも…あっ、すっ、すみませんっ!自分の予定ばかり!!
碧棺さんにも予定がありますよねっ!』
「明後日の水曜日だな?
俺も空いてるからそこにするぞ」
スマートフォンを肩と頬で挟み、転がっているボールペンをカレンダーを取った時と同じ勢いで手に取り、水曜日の日付に書いてある『MTCミーティング』に二重線を引いた。
『あ、じゃあ…明後日で』
「何時にシンジュク着くんだ?」
『水曜日でしたら20時には着けるかと』
二重線の下に『シンジュク20:00』と雑な字で書き込む。
「20時にシンジュクまで迎えに行く。
昼休憩の時間貰っちまって悪かった、じゃあな」
えっ!とまた慌てる声が聞こえた気がしたが、構わず通話を切った。
迎えに行くだなんて言ったら、申し訳ないだの何だの騒ぎ出すことは分かりきっていたからだ。
無機質なホーム画面を見つめると体の力が一気に抜けていき、そのままデスクの上に倒れ込んだ。
何故自分はこんなにも必死になっているのかと、まるで人が変わったようだと他人事のように思う。
デスクに上半身を預けたままカレンダーを手に取り、『シンジュク20:00』の文字をまじまじと見つめる。
「よっしゃ…」
誰もいない部屋で誰にも聞こえないように囁き、今はただ喜びを噛み締めた。
to be continued
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