【side:SUGIZO】


『次のライヴでNO PAINとLooperを演奏してくれませんか。遠征した友達が自慢してくるので悔しいです』
『昔の曲もやって欲しい。RYUICHIの今の声でEDENやIMAGE期の曲を聴きたい』

 カチ、マウスを叩いて次のページに移動する。スクロールバーが短くなるほど書き連ねられたみんなの意見を、俺はじっくりと時間をかけて読み込んでいく。

「スギちゃんってばまたホームページのチェックしてるの? 相変わらずマメだよね」
 パソコンに向き合った俺の後ろから、スポーツドリンクを手にした隆がやってくる。ちょうど用事を頼んでいたスタッフが戻ってきて、事務所宛てに届いた手紙やハガキが入った段ボールを俺の足元に置いていった。
「隆も手伝ってよ。俺一人じゃ手が回らなくて」
「ええ、今から読むの? この量を?」
「明日のライヴに間に合わせなきゃ意味ないからさ」
 マウスを握りしめたまま隆に目をやった。意味を察した彼が渋々とすでに開封された手紙を開いていく。事務所には連日俺たち宛てのファンレターが山のように届けられている。形式上は先にスタッフが危険物や刃物なんかが混入していないかチェックしているけど、たいていは弾かれることなく俺の手元に舞い込んでいた。内容はLUNASEAの活動に対する賛辞だけに留まらない。批判や文句だって上等だ、受けて立ってやるってライヴで宣言してから、ありのままの生々しい意見が綴られたファンレターが増えてきていた。
(なるほどね)
 手紙の開封は隆に任せて、目についたハガキの文章をざっと拾い上げていく。こっちも並みのバンドマンなら破り捨てそうな辛辣なコメントが並んでいる。MOTHERのツアーをやってた頃がピークだった、とか、今はマスメディアに癒着した商業バンドに成り下がっちまってるとか。俺たちを批判する人って、実は昔からの熱心なファンだった、ってパターンが多い。つねに変遷していくLUNASEAについてきてくれるファン、どこかで見限って批判するほうに回る子たち。俺たちがミーティングを重ねた結果、セットリストから外した曲たちが、意外に筋金入りのファンから根強い支持を獲得していたりね。
 どれもLUNASEAの内輪だけじゃ見えてこない、新しい一面を教えてくれる貴重な意見だった。だから時間と俺自身に余裕があるときはなるべく目を通すようにしている。過去にはファンから貰った手紙がきっかけでセトリを変更したこともあったから、この作業はLUNASEAの活動を作り上げていくうえでの大事な工程のひとつになっていた。ファンの子のほうも熱を上げるあまり、あとは俺のサインだけって状態の婚姻届を送りつけてくることも珍しくない。聞けば隆やジェイも似たような経験をしているらしいから、いつか刺されるかもしれねえな俺ら、なんて言って笑ってることもあった。仕事熱心なパシリ兼ボディガードのおかげで、今のところは軽口を叩くくらいの冗談で済んでいる。
「これ昨日のライヴの話題じゃん。もう感想が書き込まれてんだ」
 隆と俺の作業に興味が湧いたのか、部屋の隅で煙草をふかしていたイノがやってくる。いつもにこいちで行動している相棒の姿は見当たらない。話し相手がいなくて物足りなかったのか、イノは人懐っこく隆の肩に顎を乗せながらパソコンの画面を覗いた。
「掲示板にはリアルタイムで反映されるから」
「ほら、イノちゃんの事も書かれてるよ。HURTのイノランのチューニング狂ってませんでしたかって」
「バレバレじゃん。うちのファンは耳が肥えてるから容赦ないね」
 そこで言葉を切ったイノが、ディスプレイに表示されたコメントを目で追っていく。そんなイノを横目に、俺はタイミングを計りながらスクロールさせていった。
 掲示板のページをめくって古い記事まで遡ると、まだライヴの興奮が醒めないうちに書き込まれた生々しいコメントが散見された。メンバーと目が合っただの間近で見られただの、俺たちがアイコンタクトで済ませた演奏ミスに気がついたこと、TIME IS DEADで俺もイノもまともなコーラスを入れなかったこと。見当外れな文句やデマも少なくないけど、なかなか鋭い意見を書き込む人がいて驚くこともあった。俺たちが客観的にLUNASEAのパフォーマンスを見られる機会って、映像化されるツアーファイナルぐらいだから新鮮な気分。楽器のトラブル、コーラスのハプニング、ライヴは予定調和じゃ済まないから面白いんだよね。
「やっぱりROSIERのことコメントされてる。あとでジェイに教えてやろ」
 悪戯する子供みたいにイノが笑った。
 彼が言っているのはLUNASEAのライヴの恒例ともいえる、ROSIERの後半でジェイがスタンドマイクを投げるパフォーマンスでの出来事だ。いつもは豪快にマイクを投げて、下手のファンから黄色い歓声が上がるってのに、昨日はざわめきと失笑が起きたからある意味レアなライヴだった。ふたを開けてみればスタンドにコードが絡まって上手く投げられなかったって状況なんだけどね。明らかにジェイのローディーのミス。見せ場が潰れて、そのあと分かりやすく不機嫌になったあいつは、結局スタンドの客席のほうまで煽りに行ってラストまでステージに戻ってこなかった。最後のジャンプもボイコットしかけてたけど、イノがわざわざ呼び戻しに行ったから仕方なく参加したって経緯がある。
「でもさあ、代わりにイノランがマイク投げたときに『これはアリだ』って思ったよ。お客さんも熱狂してたし」
「あれは不発弾が危なかったから処理しただけ」
 イノが持ち出した表現が面白くて、隆も俺も吹き出してしまった。
「見てる方はジェイのミスをイノがカバーするのが良いんじゃない。ね、スギちゃん」
「イノ」
 隆に同意を求められたとき、ちょうど一件の書き込みが目についてイノに振った。内容は主にジェイとイノに関してだ。どうやら一般的に『下手スレ』と呼称されているファンの子らしい。そこには、昨日のライヴではふたりが向き合って弾いていたのがSLAVEだけだったとか、久しぶりにIN MY DREAMを聴けたのにイノは隆と絡んで残念だったとか、ふたりの行動に対する忌憚のない意見が綴られていた。
「『SHINEのコーラスはファイナルまでにリベンジしてください』だって。何、どこ目線の感想?」
「この手の意見は昔から多いよ。今は気軽に書き込めるから目につくようになったけど」
 あまり大きな声では言わないけど、ファンの子がライヴに求めるものってセトリよりメンバー同士の絡みなんじゃないのって思うときがあるんだよね。一度、コミックマーケットに出展してる人は本を送って、って呼び掛けてみたら、それはもうおびただしい量の同人誌が送り込まれてきたのは記憶に新しい。俺はべつに狙ってパフォーマンスをしてるわけじゃないけど……特にジェイとイノについては、SHINEをライヴで披露するようになってから露骨に期待されているのが分かる。だからこそ、昨日のライヴのコーラスのときにイノがお留守にしてたのが、なおさらファンの子たちをがっかりさせてしまったらしい。
「うーん……これは一度マーケティングが必要かな」
 椅子の背もたれに寄りかかって、新しい煙草に火をつける。俺の言わんとしていることを無意識に察している隆と、頭では分かってるのに脳が理解することを拒否しているイノ。
「ここの書き込みを洗って明日のライヴに反映させてみよう。ネットならみんなの反応がすぐに分かるから」
「え……なんかそれ嫌な予感がする……」
「真ちゃんとジェイくんにも協力して貰うんだよね」
「真矢はいいけどジェイには言うなよ。あいつ俺が提案したことには絶対ノーだから」
 話は(ほぼ無理やり)まとまった。みんなが俺たちに向けて発信したメッセージを、リアルタイムで受け取って明日のライヴに反映していく。便利な世の中になってくれたよ。
 みんなのレスポンスの早さに感心するうち、LUNASEAは三連休最後のライヴに差し掛かろうとしていた。



 
 鍵を握るのは、メンバーそれぞれに見せ場がある楽曲たちだ。ジェイがマイクを取る序盤のUnlikelihood。それからイノのギターから始まるANOTHERとIN MY DREAM。
 Unlikelihoodではジェイがイノのコーラスマイクを占領している間、肝心の本人はステージの下手に移動して客を煽りに行っていた。見切れ席の人たちにサービスしてやらなきゃ、っていうのも最近の俺たちの方針だから間違ってないけど、事情を知る俺からすればジェイを避けているのは明らか。隆がちらちらと下手を見遣ってはこっちを一瞥、意味ありげな微笑を浮かべている。俺はまだ体に馴染んでいないSHINEの楽曲たちに加えて楽器のチェンジ、ギターソロまでこなすから、正直あいつらやファンのみんなの反応を窺っている余裕は皆無だった。
「お前らまだまだ行けるか!?」
 隆のお決まりの煽りに従って客席がざわめき立った。期待してる人には悪いけど暴れ曲はしばらくお預けだよ。隆が指を折り曲げて下手ギターを呼び寄せる。ギターチェンジを済ませたイノが微笑みながらセンターに歩み寄った。
 ふたり目で合図をしてから、イノがIN MY DREAMのイントロをかき鳴らす。去年のIN SILENCEでのパフォーマンスといい、隆のなかでIN兄弟の曲はイノと絡むのがお約束らしい。俺とジェイの音が入って、イノが定位置に戻ろうとするけど、隆がまだダメ、と言いたげな表情でイノの頭を抱き寄せた。瞬間、鼓膜が破れそうなぐらいの歓声が飛ぶ。思わず真矢のほうを振り返って笑ってしまった。会場の構造上、みんなの声が響くような場所じゃないのにね。ジェイが走り出したのを見て俺も動いた。真矢、イノと向き合って演奏して、ギターソロでは隆の背中にもたれながらパフォーマンスをこなす。
(見てスギちゃん、崩れ落ちて泣いてる子がいる)
(真冬以上かも)
 俺と隆が並んでるだけでタオルで顔を覆ってる子、抱き合って泣いてる人たちなんかが視界に入ってくる。歓声が怒涛のようにステージに押し寄せるなか、間髪入れずにSHINEへ繋いだ。ちなみにLUNASEAのファンに対するマーケティング、いわば実験はここからが本番。なのに曲が始まったとたん、イノがギターを抱えてこっちに走り寄ってきた。
(ほら、イノはあっち)
(どっちのマイク使っても同じなのに)
(いいから戻れって)
 ファンの反応を試すっていうのはあくまで付加価値で、イノは下手のマイクでコーラスをするのが本来の形だ。そこにジェイもコーラスに入って、しかもイノと同じマイクを使うんだから一部のファンが前のめりで見守っているのも分からなくはない話なんだけど。
(こら、イノ)
 イノは意地でも俺のとなりから動こうとしない。こうなったときの弟はほんとに厄介なんだよね。っていうかお前はさ、初日でSHINEのコーラスが見られなくて残念だったとか、ファイナルまでにはリベンジして欲しいとか、そういうファンの要望を無碍にするのかよ。そもそもふたりでマイクを使うことを意識してるのはイノだけで、ジェイのほうはこれっぽっちも恥ずかしくないみたいじゃん。SHINEの下手のコーラスは見てるほうが照れますよ、とコメントしてたインタビュアーに、なんでアンタが照れんの、って聞き返す天然のバカを相手に緊張するほうが無駄なんだよ。
(観念したみたい)
 間奏の合間、隆が勝ち誇ったみたいな顔で顎を上げる。一回目は俺のマイクを使ってたイノが、ついに腹を括ってジェイと並んでコーラスをこなす。それだけで客席の子らはキャアキャア言ってる。……でも、なんだか拍子抜けしてしまった。俺が予想したほどの反応じゃなかったからだ。まあ、ライヴに足繁く通ってくれてるファンからすれば、SHINEでふたりがコーラスすることは分かりきってるしね。掲示板のコメントが目立っただけで、本当はそこまで熱望されてたわけじゃないのか。
(お前のせいで狂っちまったじゃねえかクソベース)
 あーあ、一部の意見に振り回されてる俺のほうがバカみたいじゃん。せめて一番高いところでソロを見せつけてやろうと決めたのに、特等席には先客がいた。よりによってお前かよ。蹴りを入れるふりをしたら、ライヴでテンションが上がっちまってるのかジェイが俺のギターに手を伸ばしてきた。俺の恋人に気安く触んじゃねえよ。腰を曲げて威嚇する。ファンの歓声が研ぎ澄まされた聴覚の狭間でぼうと膜を張っていく。
「今日は何企んでんの?」
「知るか。ROSIERで初日みてーなことやらかしたらブッ飛ばすからな」
「あんなヘマ二度とやらねえよ」
 気が変わった。無性に腹が立ったから今すぐここでブッ飛ばしてやる。ソロに入るまでに潰してやると勢いをつけた瞬間、ライヴのために組み上げられた高台の下で悲鳴が上がった。スタッフが慌ただしく駆け寄っていく。ジェイと揃って現場を目視し、息を呑む。どうやらステージの端で客を煽っていたイノが、高揚したファンに客席へと引きずり降ろされたらしい。波紋のように客の群れが広がっていくうち、止まない演奏は有無を言わさずギターソロを誘引する。
 イノ、と声を上げたのは、俺だったのか、ただならない剣幕で走り出したジェイだったのか。ただっ広いホールに反響するギターリフ。花道を通るのがまどろっこしくなったジェイが足場のない場所から客席に飛び降りた。
「どけ!」
 ジェイから奪い取った特等席からは状況が良く見える。波打つ客をかき分けて進むあいつと、警備員に保護されて蹲ってるイノ。狂ったようにイノを呼びながら押しかけてくるファン、ジェイを見つけて泣いて叫ぶ子。
 最後のコーラスに突入する。メンバーが不在のまま置き去りにされたマイクスタンドと、なりふり構わず歌に没頭する隆がいた。真矢の叩きつけるようなドラムが響く。誰ひとりステージなんか見ていなかったのに、それでも俺たちは演奏を止めなかった。



「心配かけてゴメン」
 ライヴが終了したあと、俺たちはめずらしく揃って控え室に残っていた。最近は現地集合、現地解散が当たり前になっていたのに、隆や真矢も根気強く仲間を待っている。
 そのうちスタッフに誘導されてイノが顔を出した。追ってイノの分の荷物を手にしたジェイが現れて、真矢の手を借りながら移動車に運び込む段取りを組む。
「軽い捻挫だってさ。ツアーには支障ないって言われた」
「いやー、何はともあれイノが無事で良かったわ」
「だから俺は端まで客入れるのには反対したんだけどね」
 チクリとジェイが嫌味を言う。ステージの全貌が見えない、いわゆる見切れ席の販売を決めたのは俺の提案だった。俺やジェイも、ステージを飛び降りたりスタッフ用の通路から煽りに行くことはあったけど、イノはあんまりやらないからかえって客を興奮させてしまったみたいだ。
「俺もあんときは必死だったから……今日の下手のお客さん、大人しいひとが多かったじゃん。何とか盛り上げたくて」
「でもイノちゃんが引っ張られたときのお客さんの反応凄くなかった? あれ聞いたら久しぶりにゾクゾクしちゃった」
 そこまで言った隆が、そうだ、と俺に話題を振った。
「早い人は家に帰ってるんじゃないかな。掲示板のチェックしてみたら」
「どうだろ。明日月曜だしすぐには反応ないかも」
 機転を利かせたスタッフがパソコンのセッティングに取り掛かる。なんだかんだ言ってLUNASEAのなかで積極的にインターネットを開拓しようとしているのは俺だけだ。ファンの感想が書き込めるのは俺のホームページの掲示板だけだし、SHINEでのトラブル以外は今日のライヴはいたって順調だった。参加した子は打ち上げか疲れ切って寝てるんじゃない。熱心なファンがセトリぐらいは上げるかな。
「イノちゃんもWISHの時は帰って来てたからね」
 イノを心配してる書き込みぐらいはありそう、なんて茶化した隆のとなり、俺はお気に入りから自分のホームページを選択する。クリックしてみたのに、砂時計が回転するだけで一向に繋がらない。
「ついに壊れた?」
「んなわけねえだろ」
 ジェイの腹を肘で突く。諦めずにクリックしてみたけど、何度やってもまるで反応しない。まさかほんとに壊れたのかよ。それか噂に聞くインターネットウイルスの類か。じれったいほど間を置いて、ようやく画面が切り替わる。飛び込んできた文字を見て俺は思わず目を疑った。
「サーバーが落ちてる……」
「サーバー? どういうこと?」
 分かりやすく説明してよ、とネットに疎いバカ四人が催促してくるけど、それどころじゃない。何度か掲示板のアイコンをクリックしてかろうじて一度繋がったけど、そこにはおびたたしい量のコメントが怒涛のように書き連ねられていた。
 内容を読む時間もなく、サーバーがふたたびダウンする。でも書き込まれた内容に点在する名前だけは網膜に焼きつけた。あざとさにかまけてこなしたメンバー間の絡みなんて目じゃないぐらい、ファンのみんなの関心は一心に例のSHINEでの事件に注がれている。
「半端ねえな……お前らのポテンシャル」
「杉ちゃんの言ってること全然分かんない」
「説明しろよ」
 小首を傾げるイノを盗み見て、お前は何も知らなくていいと心のなかで声をかけておく。
 まあファンの子たちがこのふたりのことで騒ぎ立てるのも仕方のない話だ。火のないところに煙は立たぬって言うしね。ファンの目は確かってことじゃないか。






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