小説壱ノ筐-戦国BSR/蒼紅-

□流転する時〜繋がれた君の手は〜(ダテサナ編)A
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まるで雲や霞の様にふわふわと漂う意識。
瞼の裏で明滅する記憶。
幸村は確かにあの時、独眼竜と剣を交えていた。
この時を待ちに待っていた幸村にとって、まさに最高の瞬間だった筈だ。
嬉しさが邪魔をして、逆に体の動きが鈍くなってしまった気がする程に。
チリチリと焦げ付く様な視線が幸村に向けられる。負けじと睨み返し、ふと一瞬間を置く。
微かに金属端がずれる音が互いの耳に届いた瞬間、一足飛びで・・・・・・。
「―――伊達、政宗ぇ・・・ッんが!!?」
幸村が渾身の声を出して叫んだ次の瞬間、ぴしゃりと冷たい物が顔面に叩き付けられた。
「んだよいきなり!煩えんだよお前!!」
枕元でいい加減にしてくれと云わんばかりに、ため息を吐きながらどかりと座る音がした。
「・・・はぅあ・・・?」
一体何が起きたのか解らない幸村の顔から、ぽとりと布団に濡れたタオルが落ちた。
寝起きと濡れたタオルのせいで視界が霞んでいるにも拘らず、幸村は惚けた顔から突然我に返った様にすかさず布団を押し退け、正座に座り直した。
そして手を前に綺麗に揃え、我が身を畳む様に深々と声がした方へ頭を下げた。
「介抱して頂き、誠に有難うございます。この真田源二郎幸村、ご恩は一生忘れませぬ。」
頭を下げたまま上げぬ幸村に、政宗は困った様に、ああ、とだけ返事を返した。
その返事を耳にした幸村は、ぱっと顔を上げると、ばつが悪そうににこりと笑い返した。
それは社交辞令的なものではなく、真田と名乗るこの年端も変わらぬ青年に自然と備わった屈託の無い笑顔である事は政宗でもわかった。
仕方なく勢いで拾ってきてしまったものの、どうやら悪い奴ではなさそうだ。
すると幸村はじっと政宗を見つめたかと思うと、おもむろに政宗の両腕をがばりと掴み、上から下に確認するかの様に何度も見回した。
「あれは本当に驚きましたな!怪我は無いか、政宗殿。それに、眼帯はしておらぬ様だが・・・・・・あの時どこかに落としてしまったか―――・・・・・・?」
心配そうに政宗を眺める幸村に、政宗はただ驚いたままその屈託の無い顔を見ていた。
そして目が合った瞬間、政宗は無意識に右目を軽く髪で隠した。
申し訳無さそうな小さな声がし、政宗は幸村に向き直ると、小さな動揺を薙ぎ倒す様に口を開いた。
「・・・・・・俺は何とも無えが、っつかあんた。何で俺の名前知ってんだ?真田、さん?」
突然突き付けられる様に向けられた質問に、幸村もまた政宗と同じく何を云ってるか解らないといった表情を浮かべ、心なしか腕を握る手を緩めた。
「またご冗談ばかりを。もしかして打ち所が悪かったのか?・・・・・・それにそなたの名は、伊達政宗にござろう?先程まで決着を着けるべく決闘を・・・・・・。」
「・・・・・・Ha?決闘?何云ってんだ?あんたこそ打ち所が悪かったんじゃ無えのか?それに確かに俺の名前は伊達政宗だ。でも俺とあんたは初対面だぜ。」
「―――え・・・・・・?」
幸村はじっと政宗の顔を、何を言っているのかのか理解できないまま見つめた。
その瞳には不安げな色と困惑がじわりと滲む。
幸村は不意にすくりと立ち上がり、閉じられた障子を開いた。
外は既に夕闇が裾を伸ばし、厚い雲の切れ間から薄ぼんやりとした夕日の残滓が覗いていた。
幸村がいた世界と相違ない空。
窓の外には見事な日本庭園と左右に広がる白い塀。
そして更に遠くを見る先には、見たこともない灯りとビル群がそびえ建っていた。
幸村はただ呆然と窓の外を見つめていた。驚きと不安の所為か、浴衣の布を胸元でぐっと掴んでいる。
「ここは・・・・・・一体・・・・・・。甲斐でも奥州でも、都でも、無い・・・・・・。」
渇いた声で独り言の様に呟く声に、政宗はちらりと幸村を見やった。
「ここは、東京の伊達って家の俺の部屋だ。甲斐ってとこでも奥州って場所でも無い。あんた、一体何処から―――・・・・・・。」
すると突然、政宗の目の前で幸村の体がぐらりと崩れた。一瞬出遅れたものの、政宗は瞬発的に身を翻し、辛うじて体で幸村の上体を受けとめた。
どすりと二人分の体重を畳が鈍い音がたてて受け止める。
舌打ちをしながら、政宗は幸村の上半身を抱え、その顔を覗き込んだ。
「おい、あんた大丈夫か?・・・・・・って聞こえて無ぇか・・・・・・。」
不安そうに眉間に皺を寄せ、閉じられた目蓋に先程の無垢な顔はどこにも無い。
同い年なのだろうか、それとも一つ二つ年下ぐらいだろうか。
言葉遣いや雰囲気も同世代にしては全く擦れた感じが無く、更に言うなれば目が真っ直ぐで、他人を疑った事も卑下した事も無いのだろう。
きっと悪意を向けられた事はあっても、向けた事も持った事も無い印象だった。
(―――それが成せた技だったのか?・・・・・・いや、違う誰かと勘違いしてんのか・・・・・・。)
先程云われた右目の事は、小十朗と一部の人間にしか知らないが、政宗の右目は生まれつき弱視だ。
強い光を受けた際に、ヒトの目は反射的に瞳孔で入る光を調節するが、政宗の右目にはそれが備わっていなかった。
日常生活に差し支えは無いが、時折陽の光が眩しい日和りは綿の眼帯や眼鏡で保護している。
己の弱さや弱点を他人に知られぬ様にと、幼い頃から念仏の様に聞かされてきた政宗には、かなりの不意討ちだった。
何故名前ばかりか、他人に知られていない事までも知っていたのか―――・・・・・・。
考えれば考える程にミステリアスな背景が見え隠れし、退屈な日常を壊す鍵になりそうで政宗個人は楽しい限りだが、何かが心のどこかに、妙に引っ掛かって気持ちが悪い。
それが何か解らず、政宗はぼんやりと幸村の顔を見ていた。
角度を変えて見た長い睫毛が縁取る瞼は歪みながら閉じられ、青白い頬が白さだけを残して薄闇の中に浮かびあがった。どうやらこの数分で陽も陰る早さを増した様だ。
明らかに何か事情があって、神社なんかに倒れていたに違いない。目が醒めたら厄介ごとを持ち込まれる前に、適当に外に出そう。
そんな程度に思っていたが、こんな事になるとは。滅多に他人に興味を示さない政宗にとって、全く予期せぬ感情が渦巻いていた。
「こいつは一体何者なんだ・・・・・・?ま、取り敢えず当分は―――。」
退屈せずに済みそうだ、とぽつりと溢した一言に反応する様に、ふるりと幸村の肩が寒さに震えた。
体に障ってはならないと、政宗はそっと幸村を布団に返すと、続きの間にある己の自室へ姿を消した。
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