太閤立志の人々

□太閤立志5〜愛花編〜
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■大湊の少女■

 私はとある大名の娘らしい。

 けれど私はそんなことを気にせず、熊野の地・大湊で海賊に大切に守られながら生きてきた。

 ………大きな歴史の波から守られるようにひっそりと。

 だけれどその波は確実に私を捕らえ飲み込もうとしていたのだ………(かっこいいこと言えばだけど)




 私の名前は藤原愛花!

 大湊に住んでます。

 年の頃は当年とって14才。
 先日母上が病でなくなって年頃の娘一人でこの戦国の世で生き延びなくてはならなくて…。

 母上が病でなくなってなすすべもなかった私は『医者』をまずは目指すことにしましたわ。
 だけれど、医者になるためには『先立つもの』がなくてはやってはいけない。

 そこで!

 私は『座』のおやじさんの『依頼』……つまりは『借金とり』の仕事を手伝うことにした。

 この仕事ならば途中山賊に襲われる危険もあまりない。
 それに私は幼いころから熊野水軍の旁にお世話になっており剣術の腕に自信はあるの。

 さて……借金取りの仕事になれて、お金もそこそこたまってきて…京にあるお医者様に弟子入りする次第となりました。
 勉強をしつつ、借金取りにでかけ、たまには証人の護衛として『250貫』(一番お金を稼ぐには護衛が一番)を稼いで統べて医術会得に注ぎ込んで、開院するまでにいたりました。
 でも開院するにもやはり『薬草作り』の技術なくては不便なので再三勉強の毎日……でやはりお金が必要なわけで……護衛の仕事をしていて。
 野党がでなければ幸運…でも出くわしたら不運……
 でも私は剣の腕には自信があったので仕事はちゃんと成り立っており、ついには朝廷御前試合にまで毎年呼ばれるようになっていたのです。

 医術をめざしつつ、今度は人との環を大切にしようと今度は『求道』……茶道の路を歩み始めた私は千利休先生に弟子入りしました。

 先生は不出来な私に白い目を向けつつも可愛い弟子なのでしょうか一生懸命茶の心…人の心というものをおしえてくださりました。

 20才で若き良医となった私は、茶道を楽しみつつ、剣豪ともあだ名されるようになりました。

 年一回の午前試合ではいつも準決勝で敗れてしまう私。
 ま…名声は各地にあまねく用になり『剣豪』として道場をたてることができるようになりました………だけれど私はあくまで『医者』。
 弟子は得るも道場を建てることは念頭にあまりありませんでした。
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