小説

□雨宿り (完結)
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 白雉十年。

女が子を失ってもう十年が経過しようとしていた。今日のような、秋の到来を間近に控えた時期のことであった。空には低い雨雲が垂れ込めている。

 雁州靖州の一郭。小さな廬の奥にある小さな家に、一人の女が暮らしていた。四十はとうに過ぎている。


「できた・・・」


 この十年間、女には雨期の最初にだけ、必ず続けている習慣が三つあった。

一つは、わが子に着せてやるはずだった―当人が袖を通すことはついに適わなかったけれど―冬着を、毎年一着、新たに作ることだった。

 たった今出来上がったばかりの、今年で十一枚目になる着物を丁寧に畳んで卓子の上に置き、椅子に座ったまま天井を見上げて眼を閉じた。休憩もとらずに熱心に作業したためか、瞼が作り出す暗闇は心地好い。

 三十年前は誰も想像できなかった雁の姿を、特に実感できるのが雨期だった。耳に入るのは廬を吹き抜ける風の音と、それが木戸を叩く音、それに、わずかに湿り気を帯びた風の臭いだけだった。
 
 雨風をやり過ごせる家があり、肌寒いと感じないでいられる程度の衣服がある。静かに眼を開けて軽く息をつき、玄関に隣接する客堂へと向かった。不意に口元が緩む自分に気付いて、さらに微笑む。



 お茶が好きだ、などといつか言っていたのだろうか。卓子に茶器の二人分を揃えて小さな来訪者を待のが、いつの間にかもう一つの習慣になっていた。


「・・・ちゃんとした日を決めたわけじゃないのにねぇ」


 声に出してみると、改めて奇妙な習慣だと思う。今日訪れるかどうかも本当のところ分らない、でも―。


 ただの願望を待ち望むのとは、全く別の期待であることを彼女は知っていた。自分の知っている快活な夫が、成長した娘がいつかは帰ってくるのではないか。この種の願いは、冷静さを取り戻したときに必ず虚しさを伴い、孤独として返ってくる。しかしこれは―。



 雨が降り始めるのにはまだ早いようだ、などと思いながらお湯と急須と茶葉と湯飲みを卓上に支度し、そして玄関扉に一番近い椅子に腰をおろす。

 雨期に入って最初の大雨が降る日に、この扉を叩く一人の少年の声を待つ。これが三つ目の習慣だった。
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