新選組史跡ガイド

□会津
9ページ/16ページ


福良本陣跡
(郡山市湖南町福良)





福良本陣跡碑


 宇都宮で負傷し会津で療養していた土方歳三が、初めてその姿を現したといわれる本陣跡。
当時、歳三の出現に福良に出陣していた白虎隊士はじめ旧幕府軍兵士の士気もおおいに高まったという。

 また、ここには野戦病院があり、島田魁も治療を受けていた。
 現在は民家の片隅に福良本陣跡地碑が建つのみ。

 白虎隊と新選組の関わりを伝える逸話は多くないが、福良で番所の警備にあたっていた士中二番隊士・安達藤三郎(後、飯盛山にて自刃)が、馬で駆け抜けようとする歳三を鉄砲で威嚇したというエピソードが残っている。驚いた歳三は慌てて馬を下り、自ら名乗って非礼を詫びたという。それが歳三その人と知って恐縮する少年に(会津藩御預かりだった新選組は会津の子弟達が噂を聞いて回る憧れの的だった)、歳三は
職務に忠実だっただけだ。気にするな
と声をかけた。
お互いに忠義誠実を大切にした会津の若者と新選組副長の微笑ましい一幕だ。

また、白虎隊士達が歳三を囲み、京都時代の活躍について話を聞いたとも言われている。
国(会津)のために命を賭して戦う
と決意を述べる若者達に、土方は、
君たちは若い。生きて新しい時代を拓きなさい
と諭したとも言われるが、しかしそれから何日もしないうちに、彼らは絶望の中で自ら命を絶ち、新しい時代を目にすることはなかった。
同じ白虎隊の生き残った仲間達が、後の世に国内外で素晴らしい活躍をしていることを思うと、自刃した19名もまた新時代を支える優れた人材であったはずで、その死が惜しまれる。
また、自刃した19名以外にも、白虎隊士の多くが16〜17歳の若さで戦死している。




■住所:福島県郡山市湖南町福良字荒町
■郡山市消防団・湖南第2分隊第1班」の後ろ、右奥の民家の裏に小さな碑と石の祠が建つ。





次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ