新選組史跡ガイド

□関東(東京都以外)
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宇都宮城址公園
(栃木県宇都宮市)





宇都宮城址・清明台櫓


 別称・亀ケ丘城
宇都宮城は、元来北方からの敵に対処するために作られていたそうで、南方面は、意外にもろいところがあったそうで、土方歳三達は、南から攻めた。
門は東西南北に6つあり、歳三達は、前軍を更に3つに分けて攻撃を開始。
まず、城外で待ち構える敵軍を粉砕し、ついに城下にたどり着く。
そこで火を放ち、城を挟んだ攻防戦となった。
歳三率いる軍は、下河原門を攻撃。
しかし、門を閉ざしていた敵が突然門を開き、銃撃してくるので、閉口した歳三は一計を案じた。門が開く前に門の左右に肉薄し、開門と同時になだれ込むというもので、事実この突貫作戦は効を奏し、白兵戦になれば百戦練磨の新選組にかなう者なく、歳三も、敵を斬りまくった。

さらにこの時のエピソードとして、有名なものがある。逃げ出そうとした味方の兵士を歳三がその場で斬り殺した...というものである。
歳三は、味方の兵士が必死に戦っているというのに、一人だけ逃げ出そうとするものに対し、味方の士気を高めるために行ったといわれる。
その後、歳三は、この事件について、きちんと詫びを入れているが、新選組という、逃げれば死、という鉄の掟によって、団結していた組織を率いてきた歳三にとっては当たり前のことだったであろう。
とにかくも、味方の士気は大いに上がった。

宇都宮城も、他の門からの攻撃にもさらされ、ついには、敗色が濃くなり、夕方近くになると、勝敗が決した。
宇都宮城の兵士達は、城に火を放って、逃げ出した。
その日は、いったん蓼沼に引き返して、翌日、大鳥率いる軍隊が入城。歳三達が入城したのは、21日だった。

22日、壬生城の途中の安塚にて敗戦に終わり、宇都宮に帰還した翌23日、薩長軍の宇都宮城奪還への攻撃が開始。

薩長軍がどのくらいの人数だったかは、分からないが、おそらくは、歳三達よりも多い人数だっただろう。
歳三達が、人数で圧倒したように、今度は、歳三達が圧倒された。
この日の戦いは、相当激しいもので、歳三は、足を負傷。
ただ、何処で歳三が負傷したかは諸説あり、どれが正しいかは分からないが、足を負傷したことは事実だ。
立つこともままならず、指揮もできず、戦況が不利になると、歳三は、宇都宮城を脱出し日光に近い、今市でその日の夜を迎えた。

最近までただの手入れのされていない原っぱであったが、市民の熱心な活動により、2007年大改修により御本丸公園富士見櫓清明台櫓南門等もハイテク復元されている。




■・住所:宇都宮市本丸町旭1丁目地内(宇都宮市役所東側)
■開館時間:櫓などの歴史建築物と展示施設は、9:00〜19:00
(年末年始は休み)
■O:日没から午後10時までライトアップあり。
■吹Fオ市役所東側の城址公園駐車場か、市役所の東第2駐車場利用(いずれも無料)
■交通:
シ_JR東北新幹線/^東北線「宇都宮」駅より。徒歩20分
ス^東武宇都宮線「東武宇都宮」駅より。徒歩15分
セ^JR「宇都宮」駅西口駄゙スターミナル38番のりば〜嚏ヨ東バス「市内循環線(きぶな)」で「宇都宮城址公園入口」下車(所要15分、片道\100、20分から30分毎運行)
ソ囗H線バス各社「馬場町」バス停下車。徒歩10分
タ[東北道宇都宮IC〜国道119号線〜市道
チ[東北道鹿沼IC〜約20分





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