新選組史跡ガイド

□江戸(東京都内)
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五兵衛新田・金子邸
(足立区綾瀬)





五兵衛新田・金子家@


五兵衛新田・金子家A


説明案内文


 慶応3年3月13日から4月1日まで、新選組はここ五兵衛新田(現在の綾瀬)に駐留。この地の開発者の血族で、当時、名主見習い職にあった金子家を本営とした。

金子家と新選組の繋がりについては、松本良順が千住の高級餅菓子商の小島屋泉谷次郎左衛門に、小島屋の遠縁にあたる金子家への滞在を依頼した説が最も有力とされている。

 金子左内家の当時の当主・金子健十郎は10代目にあたり、当時としては足立郡・葛飾郡内でも1、2を争う、3千坪という広大な敷地面積を有していた。
金子家史料によれば、慶応4年3月6日に甲州勝沼で板垣退助の率いる新政府軍に敗れた甲陽鎮撫隊150名は江戸に敗走。
13日夜には浅草から五兵衛新田の金子家へ入った。
この夜、大久保大和(近藤勇)を先頭に48名、2日後には約50名の第2陣が内藤隼人(土方歳三)に率いられて金子家に入った。

これ以降、4月1日まで隊士の徴募を行った後、4月2日未明から午前中にかけ、総勢200余名が流山へ移動したのである。







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