新選組史跡ガイド

□大阪
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新選組大阪屯所(萬福寺)
(大阪市天王寺区)





萬福寺


 寺ばかりがいくつもある界隈は、今でも大阪市きっての文教地区。
なかなか大きな寺だが、残念ながら、当時の建物は昭和44年の火災で全て消失し、新選組を偲ぶものは何ひとつ残っていない。

 新選組というと京都のみで活動していたという誤解があるが、港がある近畿最大の海の玄関口・大坂でも活動していた。
そもそも新選組が属していた京都守護職は京都の守衛のみならず、それに付随する近畿一帯を総括する権限まで与えられていた。それは京都守護職が幕府職制に於いて老中の支配下にも属さず将軍直属の役職であり、京都に於ける幕府を代表する立場として強大な権限を与えられていたからであり、その立場は大坂を統括する大坂城代や京都を統括する京都所司代よりも上だった。

 新選組は出張所(大坂屯所)をこの萬(万)福寺に構えて、必要とあらば大坂市中にも出動していた。ちなみに大坂新選組隊長は谷万太郎である。
が設置された詳細な年月は不明だが、文久3年(1863)秋頃に入隊した谷万太郎は常に大坂を拠点としていたため、同時期と思われる。

 大坂屯所は大坂城の南南西・2`程の場所に位置する。隣接する大宝寺に隊士の宿所があった。
 大坂新選組といっても独立した部隊ではなく、あくまでも本隊に属しており常勤体制だった訳ではないように見える。谷は常に大坂を拠点にしていたから恐らく大坂城代町奉行所との関係上、常勤体制という形を避けて、非常勤という形をとっていたのだろう。








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