新選組隊士人名事典


【こ】 18件

【鈎木 伝三郎 (こうきでんざぶろう)】

生没年不詳

平同志。
板橋の新選組墳墓、戦死の列に名がある。






【小久保 清吉 (こくぼせいきち)】



弘化4年1847年〜明治元年10月24日
(1847年〜1868年12月7日)

唐津藩士。
後、新選組隊士。
姓は小窪とも表記する。
唐津藩士・小久保弥吉の長男に生まれる。
戊辰戦争時、藩主・小笠原長行が榎本武揚らと同意して蝦夷地渡航を決意したため、土方歳三配下の新選組に入隊して共に蝦夷地へ渡る。
箱館戦争初期の峠下の戦いで三好胖(小笠原胖之助。長行の弟)が討たれたため、、敵を追跡したが、途中、胸に敵弾を受けて戦死した。享年22。
七重村宝琳庵の過去帳に名が見られる。
板橋の新選組墳墓にも刻銘あり。






【越之海 (こしのうみ)】

生没年不詳

平隊士?

慶応元年(1865)京坂にて入隊。
元力士で、四股名のみで伝わっている。
新選組当時の名前は、判明しない。

安政4年(1857)11月にデビューし、元冶元年(1864)10月を最後に、元冶2年・慶応元年(1865)は、全休していて、全休の時期が新選組在籍期間とダブっている。
新選組隊士としてどのような活躍をしたのかは定かではない。

慶応3年(1867)4月場所で相撲界に復帰をし明治2年(1869)3月に廃業。
その後は、神戸で宿屋を開く。






【小島 造酒之丞 (こじまみきのじょう)】

生没年不詳

箱館新選組二分隊。
備中松山藩士。
仙台から渡航の際加盟。






【小西 田造 (こにしでんぞう)】

西脇乾次郎が戊辰戦争で使用した変名。






【小林 峯三郎 (こはやしみねさぶろう)】

生没年不詳

慶応元年4月の土方、伊東ら江戸下りの際、応募上洛。
上洛名簿に23才とある。
八幡にて戦死。

★[幕府召抱え名簿]
平同志
★[編成表]
慶応三年十二月/平同志






【小林 桂之助 (こばやしけいのすけ)】

生没年不詳

慶応元年4月、土方、伊東らの江戸下りの際に応募上洛。
永倉新八の「新撰組顛末記」によると、慶応3年12月16日高台寺党残党の篠原泰之進と通じていたことが露見し、薩摩に寝返った間者として土方、永倉、島田魁らに囲まれ最後は島田の怪力によって絞殺された。
その島田の「英名録」には、単に戦死とされているそうだ。
板橋の新選組墳墓の変死の列に小林敬之助で刻銘ありとのこと。

★[幕府召抱え名簿]
平同志






【小林 幸二郎 (こばやしこうじろう)】

生没年不詳

箱館新選組二分隊。
旧唐津藩士。
仙台にて加盟。
弁天台場で降服。
青森で謹慎中に病死したともいわれる。
函館の称名寺の境内の墓碑に土方らと共に名が刻まれている。






【小林 玉治郎 (こばやしたまじろう)】

(1843〜?)

信濃国飯田大島宿出身。

明治元年(1868)10月、銚子で降伏した久米部正親が率いる新遊撃隊の兵。
降伏当時、26歳。






【小堀 誠一郎 (こぼりせいいちろう)】

生没年不詳

会津にて討死。
板橋の新選組墳墓に名がある。

★[島田魁文書]
(京都より会津)/局長附人数
★[会津三代在陣者名簿]
隊長附






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