新選組隊士人名事典
【せ】 6件
【関川 代二郎 (せきかわだいじろう)】
天保9年1838年〜明治42年
(1838年〜1909年)
桑名藩士。箱館新選組隊士。
後、警視庁抜刀隊(新選旅団)員。代次郎、代治郎とも。
戊辰戦争時、同藩士・森常吉などと共に藩主・松平定敬を護衛して蝦夷地へ渡り、土方歳三配下の新選組に入隊して箱館戦争に参戦する。なお、蝦夷地へ渡航するためには新選組隊士とならなければならなかった。
敗戦後、警視庁に務めて明治政府に出仕。
西南戦争の際には、藤田五郎(斎藤一)らと同じく警視局の部隊に所属して奮戦した。
その後、三重県尾鷲警察署の巡査に就任し、退職後も商社などの警備員を引き受けていた。
背に髑髏の刺繍が施された陣羽織を着ていたらしい。
酒好きで、酔っぱらうと箱館戦争のことをよく話した。最後には必ず「土方歳三は本当にええ男やった」としみじみ語ったと言う。
明治42年、桑名市の自宅で死去。享年71。
墓所は三重県桑名市の善西寺。
【関口 作蔵 (せきぐちさくぞう)】
生没年不詳
隊長付。
会津戦争時に入隊。
会津戦争期の慶応4年(1868)8月12日、母成峠の戦いで敗北。
明治元年(1868)10月に仙台で降伏した関口房次郎の別称と思われる。
【関口 房次郎 (せきぐちふさじろう)】
関口作蔵の事だと思われる。
【関 精助 (せきせいすけ)】
(?〜1869)
常陸国水戸藩士?
明治元年(1868)9月下旬、仙台にて入隊。
箱館戦争期、土方付属士官隊に所属。
その後、箱館脱走軍・陸軍奉行添役介(差図役並格)となる。
明治2年(1869)4月20日、味方から置き去りにされ、逃げ切れないと判断。赤羽音吉の墓の前で自刃している。
【施山 多喜人 (せやまたきと)】
生年不詳〜慶応元年6月21日
(?〜1865)
上野国館林
平隊士
名は泰朝。別称は布施多喜人・布施鍋三郎?
慶応元年(1865)4月頃、入隊。
商家の婦人と密通したとして、石川三郎と共に糾弾される。
隊規により、慶応元年(1865)6月21日、切腹。
【芹沢 鴨 (せりざわかも)】
芹沢 鴨
[戻る]