新選組隊士人名事典


【た】 71件

【田内 知 (たうちさとる)】

天保10年〜慶応3年1月10日
(1839年〜1867年2月14日)

武蔵国羽生出身。名は源重次。
元治元年(1864年)、局長近藤勇による隊士募集で入隊。
八条村に女を囲っていた。しかし、女は他の男と浮気。ある日、間男が押し入れに隠れているのを田内が感づいたが、逆に斬りかかられて両足を負傷し、女にも男にも逃げられてしまう。
大声で近所に助けを求め、他の隊士が駕籠で田内を屯所まで運んだ。
たが、その不甲斐ない行動が士道不覚悟とされて、即日切腹したと言う。





【田岡 太郎 (たおかたろう)】

多賀権太郎が戊辰戦争期に使用した変名。






【高岡 倉太郎 (たかおかくらたろう)】

生没年不詳

箱館新選組一分隊。
蔵太郎とも書かれている。






【高木 剛次郎 (たかぎごうじろう)】

高木貞作の別称。






【高木 貞作 (たかぎていさく)】



嘉永元年11月23日〜昭和8年1月14日
(1848年12月18日〜1933年1月14日)

桑名藩士。
箱館新選組隊士。後、一橋大学教授。通称、剛次郎。変名は神戸四郎。
戊辰戦争時、藩主・松平定敬の命を受けて、山脇隼太郎と共に恭順派の家老・吉村権左衛門を殺害。
定敬の後を追って蝦夷地へ渡る。
渡航後は土方歳三配下の新選組に所属し、箱館戦争に参戦。
敗戦後、明治5年(1872年)に釈放されたが、家老殺害の罪を避けて渡米した。
アメリカで商法を学んで明治8年(1875年)に帰国。
一橋大学設立に携わり、商業簿記の教授に就任した。
昭和8年、東京の自宅で他界。享年86。
墓所は三重県桑名市法盛寺。






【高須 熊雄 (たかすくまお)】

生没年不詳

箱館新選組二分隊。
唐津藩士。
弁天台場で降伏。






【高田 継次郎 (たかだけいじろう)】

甲州勝沼戦争時の甲陽鎮撫隊士。
高田文二郎のことと思われる。






【高田 錠之助 (たかだじょうのすけ)】

生没年不詳

箱館新選組三分隊。
備中松山藩士。
古屋丈之助の本名である。






【高田 文二郎 (たかだぶんじろう)】



天保9年〜慶応4年9月5日
(1838年〜1868年10月20日)

武蔵国江戸出身。機械方下役。
戊辰戦争が勃発した後に新選組に入隊。
白河口の戦いや母成峠の戦い(会津戦争)に参戦し、越後口高久村に会津藩の援軍として派遣された。
新政府軍の如来堂襲撃により戦死と伝わる。
享年31。
戦友絵姿に描かれている。それによると会津で討死とされているが斉藤一も実際は脱出していることから共に脱出した可能性もある。


★[会津三代在陣者名簿]
機械方役






【高仲 重次郎 (たかなかしげじろう)】

箱館新選組会計方。
唐津藩士。
天野十郎の本名。






次の10件→

[戻る]



©フォレストページ