新選組隊士人名事典


【ち】 6件

【近田 勇平 (ちかだゆうへい)】

甲州勝沼戦争当時の
鎮撫隊隊士・福田平馬の変名と思われる。






【千田 兵衛 (ちだひょうえ)】



弘化3年〜慶応4年8月21日
(1846年〜1868年10月6日))

陸奥国弘前藩出身。
歩兵差図役下役。
慶応3年(1867年)頃、新選組へ入隊。局長近藤勇の側近を務める。
戊辰戦争が起こると、鳥羽伏見の戦い、甲州勝沼の戦い、会津戦争に転戦。母成峠の戦いで戦死した。享年23。






【千葉 粂作 (ちばくめさく)】

生没年不詳

慶応4年(1868)3月に新選組に付属していたと思われる歩兵。






【千葉 監物 (ちばけんもつ)】

毛内有之助の別称で、新選組入隊以前に使用していたと思われる。






【千葉 栄 (ちばさかえ)】

(1846〜?)

蝦夷地大野村出身。
箱館新選組三分隊所属隊士。

明治2年(1869)春、箱館にて入隊。
元東本願寺派の僧侶。

箱館脱走軍の客員である備中松山藩主・板倉静勝の前に毎日現れて頼み込み、僧侶が戦場に出る訳にはいかないので、松山藩の中小姓という役を貰って、松山藩士の身分で新選組に入隊。

明治2年(1869)5月、弁天台場で降伏。






【中条 常八郎 (ちゅうじょうつねはちろう)】

生没年不詳

中條恒八郎・中条常八とも。
播磨国出身。
平隊士。
慶応元年(1865)5月〜7月に京坂にて入隊。
慶応2年(1866)9月12日の三条制札事件に出動。
翌3年(1867)12月7日の油小路花屋町で起こった天満屋騒動で腹部に軽傷を負う。
慶応4年(1868)1月の鳥羽伏見の戦い、甲州勝沼戦争に参戦するが、江戸にて永倉新八・原田左之助らと共に近藤ら新選組を離脱し、靖共隊を結成して奥羽に転戦した。


★[幕府召抱え名簿]
平同志
★[編成表]
慶応3年12月/平同志
慶応4年1月/平同志







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