新選組隊士人名事典


【に】 14件

【新見 錦 (にいみにしき)】

天保7年〜文久3年9月13日
(1836年〜1863年10月25日)

水戸藩出身。
号は錦山(きんざん)。
神道無念流免許皆伝。
文久3年(1863年)2月、浪士組に加盟、三番組小頭になるが、芹沢、近藤らと京都残留を表明して離脱。
新見は結成当初の編成で芹沢、近藤と並んで局長となるも、6月に編成変えが行われた時から副長に降格。
芹沢の腹心と言われるが、芹沢が引き起こした大坂力士乱闘事件や大和屋焼き討ち事件には参加していない。
八月十八日の政変では芹沢、近藤らと出動して殿を務めている。
9月13日に新見は切腹。
悪行の数々を握られて切腹せねば法度に照らして斬首すると詰め寄られ、遊蕩先の祇園新地の料亭山緒でついに切腹させられたという。
永倉新八の『浪士文久報国記事』によると新見は乱暴が甚だしく、法令を犯して芹沢、近藤の説得にも耳を貸さなかったという。
一同相談のうえ切腹と決まったが、またも三条木屋町の旅宿で水戸浪人吉成常郎に乱暴を働いたため梅津某の介錯で切腹させられたことになっており、真相はよく分からない。日付も『浪士文久報国記事』では8月14,15日となっており、判然としない。

新選組隊士・田中伊織と新見錦を同一人物とする説もあるが、定かではない。近年では水戸浪士の新家粂太郎が新見錦であるという説も出ている。
田中伊織の墓は壬生寺にある。






【西岡 万助 (にしおかまんすけ)】

生没年不詳

板橋の新選組墳墓にある柴岡万助と同一人物か?






【西沢 武吉 (にしざわたけきち)】

生没年不詳

歩兵小頭役。
京都引き払い時〜五兵衛新田駐屯時に入隊。
会津戦争に参戦後、明治元年(1868)10月、仙台にて降伏。






【西沢 義吉 (にしざわよしきち)】

生没年不詳

★[会津三代在陣者名簿]
歩兵小頭役






【西舘 登 (にしだてのぼる)】

生没年不詳

土方歳三が箱館脱走の際に募集した隊士、と永倉新八は記しているが、その名簿には、一部京都で入隊した隊士が含まれていて、向館登のことを誤記したと思われる。






【西村 五十五郎 (にしむらいそごろう)】

生没年不詳

箱館新選組会計方。
桑名藩士。
戦後、謹慎から解かれた後も自ら謹慎生活を続けた。






【西村 小左衛門 (にしむらこざえもん)】

生没年不詳

箱館新選組三分隊。
備中松山藩士。
本名は依田織衛。






【西村 弥左衛門 (にしむらやざえもん)】

清原清の本名。






【西脇 乾次郎 (にしわきかんじろう)】

生没年不詳

箱館新選組一分隊。改役頭取。
源六郎の兄。
小西田造の変名もあるそうだ。






【西脇 源六郎 (にしわきげんろくろう)】

生没年不詳

箱館新選組一分隊。
乾次郎の弟。






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