新選組隊士人名事典
【お】 58件
【大石 鍬次郎 (おおいしくわじろう)】
天保9年〜明治3年10月10日
(1838年〜1870年11月3日)
名は守親。
一橋家の近習番衆・大石捨次郎の長男として生誕。はじめ金之助。
住み込みで働いた大工が、名主・佐藤彦五郎に出入りしていた事で、彦五郎の道場に通う。
池田屋事件後、近藤が江戸で隊士募集を行った時入隊。
暗殺を主とした任務につき「人斬り鍬次郎」と恐れられた。目付役。
慶応3年6月、幕臣に取り立てで諸士調役兼監察に。
油小路では、大石が伊東甲子太郎を暗殺。
天満屋事件では紀州藩士・三浦休太郎の護衛の任務を斎藤一らと果たす。
鳥羽伏見の戦いに敗れ、同志と江戸に撤退、甲陽鎮撫隊の先触れとなり甲州に出張。
甲陽鎮撫隊が敗走すると、消息不明になった。
妻子らと江戸に潜伏していたが、懇意だった元隊士・三井丑之助に騙され捕縛される。
一説には、生きるに困り油小路で殺した伊東甲子太郎の一派であった加納鷲雄を訪ね、加納に仕官を懇願したが容れられずに捕縛されたとも言われるが、そのような記録は無い。加納の同志である阿部十郎の証言とも矛盾する為、小説家・子母澤寛の創作である可能性が高い。
坂本竜馬暗殺の嫌疑をかけられた大石は、厳しい詮議に耐え切れずに一度は自分がやったと証言するが、後に前言を撤回し見廻組の仕業であるとしている。
明治3年10月10日斬首。
罪名は伊東甲子太郎の殺害。享年32。
【大内 鎗之助 (おおうちやりのすけ)】
生没年不詳
流山にて脱走。
【大川 七郎 (おおかわしちろう)】
新選組の「金銀出入帳」に出てくる名。
正規の隊士かは、不明。
【大木 鎗三郎 (おおきやりさぶろう)】
植(上)田末次の別称。
【大久保 五郎 (おおくぼごろう)】
前場小五郎が戊辰戦争の際に使用した名前。
【大久保 剛 (おおくぼたけし)】
近藤勇の別称。
【大久保 久之丞 (おおくぼひさのじょう)】
生没年不詳
大久保久之助とも。
武蔵国江戸の出身。
土方付属士官隊所属。
明治元年(1868)9月下旬、仙台にて入隊。
元幕府別手組。
慶応4年(1868)4月に江戸を脱走し、純義隊に同盟し北関東を転戦。
後、会津で伝習第一大隊の伝報隊に所属。
会津瓦解で仙台に逃れ、土方歳三の付属となる。
蝦夷渡航後、箱館脱走軍会計奉行配下の調役となり、隊を離れる。
明治2年5月の五稜郭開城後、佐賀藩預かりとなり謹慎。
【大久保 大和 (おおくぼやまと)】
近藤勇の別称。
【大久保 与一郎 (おおくぼよいちろう)】
前場小五郎が戊辰戦争で使用した名前。
【大河内 太郎 (おおこうちたろう)】
生没年不詳
箱館新選組三分隊・四分隊。
本名は山脇隼太郎。
桑名藩士。
越後口にて手負、弁天台場で降伏。
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