新選組隊士人名事典


【し】 39件

【塩沢 麟次郎 (しおざわりんじろう)】

生没年不詳

平同志。
慶応元年4月土方の江戸での隊士募集に応じて加盟上洛した。この時25歳。
小野派一刀流の使い手、荒木流手裏剣の名手。






【鹿内 主税 (しかないちから)】

生没年不詳

局長附の一員。
大坂で脱走。

★[島田魁文書]
(京都より会津)/局長附人数






【品川 次郎 (しながわじろう)】

三品次郎が明治2年(1869)に名乗ったと思われる名前。
また当時、早川次郎とも名乗っている。






【篠崎 新八 (しのざきしんぱち)】

生没年不詳

篠崎慎八郎の事か?。

★[幕府召抱え名簿]
平同志。






【篠崎 慎八郎 (しのざきしんぱちろう)】

生没年不詳

御陵衛士・佐原太郎の新選組在籍中の名。
油小路事件の後、近藤の妾宅に臥床の沖田を阿部十郎、内海次郎らと襲撃したが沖田はすでに大坂へ移った後だった。
伏見街道での近藤の要撃に参加。
その後は久留米新激隊の副長を務めたが同隊の井口次郎に殺害されたと篠原泰之進はいう。
阿部十郎は中西昇の仕業としている。






【篠塚 岸三 (しのづかきしぞう)】

生没年不詳

平同志。
池田屋騒動では17両の褒賞金を受けている。






【篠塚 友平 (しのづかゆうへい)】

篠原泰之進の別名で、新選組入隊前に使用。






【篠原 泰輔 (しのはらたいすけ)】

または篠原泰助。
篠原泰之進の前名で、篠原本来の通称。






【篠原 泰之進 (しのはらたいのしん)】



文政11年11月16日〜明治44年6月13日
(1828年12月22日〜1911年6月13日)

久留米藩出身。
筑後国高見村の豪農・篠原元助の長男。幼名は泰輔。
嘉永5年久留米藩士・小倉一之進に仕え、その後、家老・有馬右近の中間となる。
安政5年有馬の江戸入りに伴い江戸藩邸に入り、この頃北辰一刀流を学ぶ。
文久3年神奈川奉行所に雇われ、横浜の外国人居留地の警備を務め、この勤務中に服部武雄、加納鷲雄、佐野七五三之助らと交遊を深め、江戸へ潜伏中に加納の紹介で伊東甲子太郎と出会う。
元治元年10月伊東ら同志と新撰組入隊。
役職は、諸士調役兼監察、柔術師範。
慶応3年3月20日御陵衛士結成に伴い新撰組離脱。(御陵衛士拝命は篠原の尽力)
同年11月18日油小路事件では白刃を切り抜け薩摩藩邸に匿われた。
12月18日、御陵衛士の残党と二条城からの帰りの近藤勇を狙撃。右肩に重症を負わせる。篠原はこの襲撃の実質的リーダーであったが、狙撃者ではない。
慶応4年1月3日鳥羽伏見の戦いでは薩摩軍に参加、陸軍軍曹として、会津、越後で戦功を上げる。
維新後は秦林親と改名し、戊辰戦争の戦功により永世士族となる。
明治2年に警察官となる。
明治5年に大蔵省の監察役を務めた。
晩年はキリスト教徒として過ごし、明治44年6月13日 84歳で死去。






【篠原 鍋次郎 (しのはらなべじろう)】

横山鍋次郎の別称と思われる。






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