新選組隊士人名事典


【か】 44件

【加藤 熊五郎 (かとうくまごろう)】

生没年不詳

平同志。
仙台降伏人名簿に名がある。






【加藤 定吉 (かとうさだきち)】

生年不詳〜慶応4年8月22日

★[会津三代在陣者名簿]
歩兵小頭役

慶応4年8月22日、会津勝軍山にて討死とのこと。





【加藤 民弥 (かとうたみや)】

生没年不詳

平同志。
[第一次行軍録]の殿(しんがり)に名がある。






【加藤 羆 (かとうひぐま)】

生年不詳〜慶応3年
(?〜1867年6月23日)

平隊士。武田観柳斎の側越人。
入隊時期は不明。
1866年9月12日の三条制札事件に参加。褒賞金として矢口謙助と同じ、金7両2分を受け取っている。
1867年6月10日の幕府召抱えでは平同士として名を連ねる。
同年6月22日に武田が惨殺されると、隊を脱走。翌日23日に屯所にて切腹させられたという。枚方において自刃したという説も。
京都光縁寺に合葬碑あり

★[幕府召抱え名簿]
平同志。






【角谷 糺 (かどがやただし)】



生没年不詳

箱館新選組改役頭取。
桑名藩士。
箱館新選組として島田魁と改役頭取を務めた。
弁天台場で降伏。






【金沢 圭助 (かなざわけいすけ)】

生没年不詳

慶応4年(1868)秋頃、江戸で捕縛され新選組の脱走人と名乗る。
後、藤沢の侠客・長楽寺の清兵衛の用心棒になった。






【金子 庄兵衛 (かねこしょうべえ)】

生年不詳〜明治元年10月24日

箱館新選組四分隊。
桑名藩士。
明治元年10月24四日、七重村で負傷。
弁天台場で降伏。






【金子 次郎作 (かねこじろさく)】

生没年不詳

★[第一次行軍録]
七番隊
★[幕府府召抱え名簿]
平同志。
<江戸にて脱走>している。






【加納 伊豆太郎 (かのういずたろう)】

加納鷲雄の別名で、明治初期に生国にちなんで名乗った通称。






【加納 惣三郎 (かのうそうざぶろう)】

生没年不詳

京都出身。ただし、現存する新選組隊士名簿には存在しない幻の隊士でもある。
京都押小路の木綿問屋越前屋の次男として生まれるが、幼少より武芸を好んで剣術を習い、18歳で新選組に入隊。その若さと装いの華やかさから「今牛若丸」とあだ名される。
局長近藤勇の小姓役、次いで小頭格に昇進した頃、島原通いにはまる。輪違屋の錦木太夫へ通い詰めて金欠に陥ったため、辻斬り強盗をするようになった。
新選組より田代某という人物が、密かに加納処分役に任命されたが返り討ちとなる。
加納は島原通いを続けていたが、ある日島原へ向かうため屯所の塀を飛び越えたところ、副長土方歳三らが待ちかまえており、即座に斬殺された。
辻斬り事件を起こしたこともあってか、島原近辺では当時有名な話だったと言う。
墓所は壬生寺にあったとされる。
加納惣三郎は司馬遼太郎の短編「前髪の惣三郎」(『新選組血風録』収録)の主人公で、田代彪蔵と衆道(男色)に陥るストーリーになっている。元治元年(1864年)5月20日の近藤勇の書簡に新選組内で男色が流行していたことが記されており、これに着想を得た創作である。






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