新選組隊士人名事典


【き】 21件

【木原 又兵衛 (きはらまたべえ)】

生没年不詳

武蔵国江戸(幕臣)
土方付属士官隊所属

明治元年(1868)9月下旬、仙台で入隊。
元幕府別手組。

慶応4年(1868)4月に江戸を脱走し、彰義隊に同盟し北関東を転戦。

会津で伝習第一大隊の伝報隊に所属、会津瓦解にあたり、仙台に逃れて土方の付属となる。

蝦夷地へ渡航した後、箱館脱走軍の陸軍奉行添役介となり隊を離れた。






【木村 勝之助 (きむらかつのすけ)】

天海勝之助の別称と考えられる。






【木村 重威 (きむらしげたけ)】

木村忠次郎が明治に名乗った名前。






【木村 忠二郎 (きむらちゅうじろう)】

生没年不詳

箱館新選組三分隊。
旧桑名藩士。
弁天台場で降伏。






【木村 継次 (きむらつぐじ)】

芹沢鴨の本名。
下村継次とも。
詳細は芹沢鴨の項。






【木村 俊郎 (きむらとしろう)】

木村忠次郎が維新後に名乗った名前。






【木村 広太 (きむらひろた)】

生没年不詳

慶応元年、土方、伊東ら江戸下りの際、応募上洛。

★[幕府召抱名簿]
平同志






【木村 求馬 (きむらもとめ)】

生没年不詳

慶応元年(1865)4月、江戸での隊士募集に応じているが、その時の上洛名簿に名前がない。
入隊しなかったのか、別名を名乗って上洛したとも思われる。






【木村 良之助 (きむらりょうのすけ)】

生没年不詳

光縁寺の過去帳に小川信太郎の土葬を依頼した人物として矢金繁三と共に記載されている。






【清原 清 (きよはらきよし)】

天保2年〜慶応4年閏4月25日
(1831年〜1868年6月15日)

砲術師範、後に御陵衛士。
本名は西村弥左衛門。
熊本藩出身。
慶応元年(1865年)5月、土方歳三の江戸での隊士募集に応じて上洛。伊東甲子太郎が御陵衛士として分離すると同行しなかったが、幕臣取立て以前に離隊し合流。
その後、竹川直枝または、武川直江と改名。
油小路事件のときには伊勢に出張していた。
帰京して加納鷲雄と江戸へ出張中に鳥羽・伏見の戦いが始まり、薩摩軍に身を投じた後、北関東から会津へと転戦する。白河口の戦いで戦死した。
墓は戒光寺、鎮護神山(白河市の薩摩藩戦死者墓)にある。
白河市内の新政府軍の墓所郡に埋葬されたが、薩摩藩は鎮護神社に墓石を 建てた。
京都東山泉桶寺の塔頭 戒光寺に伊東、藤堂、服部武雄、毛内の墓碑と共に竹内直枝の名で墓碑がある。

★[編成表]
慶応元年四月/文武師範(砲術師範)






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