新選組関連人物事典


【と】 2件

【富沢 忠右衛門 (とみざわちゅうえもん)】

1824年〜1907年

武蔵国日野領蓮光寺村名主の次男で、天然理心流3代目近藤周助から剣を学び、近藤勇の兄弟子にあたる。

小野路村の小島家へ近藤勇が出稽古に赴く際には、必ず富沢家に立ち寄ったと言われる。

文久4年(1864)1月(2月に元冶に改元)、旗本八百石の地頭・天野雅次郎の上洛に用人格として随行し、京都で近藤勇・土方歳三・沖田総司・井上源三郎と交歓するが、山南敬助は療養中との事で面会出来なかった。






【鳥山沢 (とりやまさわ)】

1847年〜没年不詳

上洛前、江戸の近藤勇の愛妾と伝わる。
武州八王子の商人鳥山某の娘で、幼くして両親と別れた。
江戸八丁堀亀島町の叔母の家で育ち、評判の美人でつつしみ深く性質の優しい娘だったという。
近藤勇に深く愛され、数え16歳の時に三河町(千代田区神田1丁目付近)に囲われたらしい。

文久3年(1863)に近藤が上洛してからの2人の仲については伝わっていないが、慶応4年(1868)4月、近藤の刑死を聞くと食事も喉を通らない程、嘆き悲しんだと云われ、
『世の中に憂きも辛きも我身ほど 
はかなきものは又とあるまじ』
との和歌を残し、仏門に入ったと伝わる。







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