新選組関連人物事典


【ほ】 1件

【本田 覚庵 (ほんだかくあん)】

生没年不詳


下谷保村の名主で村医者。

覚庵は、文人としても広く近在に名を知られ、新選組の近藤勇・土方歳三とも深い親交があり、2人の名前は覚庵の日記にも度々登場する。

3軒の「本田家」があり、西から通称「医者本田」「新屋(中の本田)」「本家」と呼ばれていた。

11代目の覚庵(孫三郎定脩)は元々は分家である「新屋」の生まれで「本家」に養子に入ったらしい。書家としても有名で、六所宮の天然理心流奉納額は覚庵の筆によるもの。米庵流の書を土方実兄・糟谷良循に教え、土方自身も習っていた。

「本田覚庵日記」によると、近藤や土方、佐藤彦五郎や小島鹿之助も頻繁に訪れ、他にも土方為二郎をはじめ、土方家や佐藤家の人々、井上松五郎や近藤周助の名前などが度々登場。六所宮の神主だった国学者の猿渡容盛とも交流が盛んだった。

 もともと本田家の6代目・重禮は石田村・土方家からの養子で、さらに覚庵の義母であるチカ(キン)は歳三の叔母(父の妹)、覚庵の妻・ギンも土方家からの養女、娘のトマは佐藤彦五郎の息子・源之助に嫁ぎ、孫娘は土方家(歳三の又甥)に、もうひとりの孫娘も佐藤家に嫁ぎ、糟谷家からも嫁をとるなど、土方/佐藤両家との血の繋がりは濃密な家だった。

また覚庵の子・本田定年は自由民権運動に身を投じ、「武蔵野叢誌」発刊に深く関わり、後に近藤勇の首級を探す放浪の旅に出る。








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