新選組関連人物事典
【ま】 2件
【松平 容保 (まつだいらかたもり)】
松平 容保
【松本 良順 (まつもとりょうじゅん)】
1832年〜1907年
幕医。佐藤泰然(順天堂の祖)次男として江戸麻布に生誕。幼名・順之助。嘉永3年(1850)幕医・松本良甫の養子になり良順。後年は順。
安政4年(1857)幕命で長崎赴任。オランダ軍医ボンペの助手として長崎養生所開設に尽力。
文久3年(1863)西洋医学所頭取に任ぜられるが幕医に。
元冶元年(1864)10月、隊士募集の為、江戸にいた近藤勇が和泉橋医学所に訪門、近藤は感服し親交を結ぶ。
翌慶応元年(1865)西本願寺に隊士の回診。沖田を気に入り、料理屋へ連れていく。
新選組が江戸へ引き揚げてからも、近藤・沖田・斎藤らの傷病を診察し、自ら弟子を率い会津へ転戦。
土方歳三の足の戦傷を診察。藩校日新館を病院として、負傷者の治療に尽力。
会津落城後は、仙台に至るが、蝦夷地渡航は、持病のリウマチ悪化の為、断念。
横浜に居たところを捕われ、禁錮。
赦され東京へ出ると、早稲田に病院を設立。
明治4年(1871)兵部省に出仕し軍医頭、明治6年(1873)初代軍医総監となり、日本の陸軍軍医制度を確立。
明治23年(1890)貴族院議員に選出された。
牛乳の飲用、海水浴を奨励し、民間へ指導している。
明治40年(1907)3月12日、大磯で没。
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