1冊目

□トリップ!-4-
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揺蕩ういのちは
終ぞ瞬かず
手を伸ばしても いつも





トリップ!4

(virtual image)





暗いところに浮かんでいた。

温かだった。

優しかった。

ほっとした。

ずっとここにいたかった。


でも、突然痛みが走った。

苦痛だった。

狭かった。

痛かった。

寒くて眩しくて、そして何よりあの温もりにもう永遠に会えない事が、本当に悲しかった。

だからわたしは力の限りに泣いた

泣いて泣いて泣いて


そうして、わたしは生まれたのだった。











「(む、……さむ、い)」

寒さによって、懐かしさを感じる夢から引き戻された桃子は、ごそりと小さく身じろぎをした。

ふと肌に感じた温もりを、触感を頼りにぎゅうと引き寄せる。



「むきゅっ!」

……それを抱き寄せた瞬間、妙な音が聞こえた気がしたが気のせいだと決め込んで瞳は頑なに閉じていた。

意識は覚醒しているが、瞼を開けたくはなかったのだ。



「(変な夢、見たなぁ)」

自分が事故に遭って死んでしまったと思えば実は死んでなくて、白い子供に訳の分からない言葉と白い本を押し付けられて暗闇におちた。

そして最後の最後極めつけに、生まれた時の記憶ときたものだ。

果たしてどこからが夢だったのか、それは定かではないが、とかく変な夢であった。


そう、あれは全て夢だったんだ。




「(ん……? 固い…)」

しかしそんな桃子の期待にを打ち破るかのように存在する、それ。

自分の頭の下に敷かれている固いもの。左手を這わせれば冷たい感触がする金属製のレリーフ。




「(絶望なんてしてる場合ではない、か。……夢だったらどんなにか良かったのに)」

そう思って一つため息をついた桃子は、傷ついた自身の心を慰めるように腕の中の温もりにそっと頬をすり寄せた。

すると「それ」は大した反抗をするわけでもなく、寧ろ自ずから寄り添うようにぴとりと引っ付いてくる。


時折こちらを気遣うように頭を撫ぜる感触が酷く優しくて、桃子は無性に泣きたくなった。

――その時だ。



「起きているのでしょう」

聞き慣れぬ……しかし聞き覚えのある声が、桃子の鼓膜をそっと揺らした。




いい加減現実から目をそらしている場合ではないと腹を括った桃子は、自身の頭の下に枕のように敷かれていたあの「白い本」を左手でしっかと掴み、右手では温もりの元である「それ」を抱えたまま身を起こす。

そしてゆっくりと瞼を持ち上げれば、蝋燭の仄かな光が瞳に飛び込んできた。

つ、と視線を走らせれば、正方形の形をしているらしいこの部屋はその壁面の全てに燭台が一つずつ取り付けられている。

ゆらゆらと不安定に儚く揺れる灯火が、まるで今の自分のように酷く頼りなさげで桃子は小さく嘲笑った。


そしてそんな揺れる四つの光源に照らされて、「彼女」はそこにいた。




「……おはよう、旅人さん」
「……はじめまして、おねーさん」

ほぼ同時に互いに紡いだ言の葉はその時、「彼女」と桃子の縁を結んだのだった。









空気すらも止まってしまったかのような、静寂と重みを持った気配が部屋に満ちている。

しかし不思議とそれは感じの悪いものではなく、その場の人間の気持ちを鎮めるようなゆるゆるとした重みだった。


その空気を破るように声を上げたのは「彼女」の方だった。




「まずはお互い名乗りましょうか?」

「……、その必要がありますか?」

桃子は心底意外そうに目を見張った。

「彼女」すなわち、次元の魔女とも呼ばれるほど強い力を持つこの女性―…壱原侑子、のことだから、自分の名前くらいは承知の上だと思っていたのだ。



「ええ……―勿論」

壱原侑子はふんわりと笑んだ。

どこか蠱惑的で妖しげなその微笑みは、しかし、右も左も分からない目の前の迷子を懐柔するには十分すぎる優しさを孕んだもの。

物の怪とも思える妖艶さの中に、桃子は確かに垣間見たのだ。
母が子に向けるような弛まぬ愛にも親しい“情”のような何かを。



「“名前”は、とてもタイセツなモノだもの」

壱原侑子は言葉を紡ぐ。
紡ぎながら、また、微笑む。

慈しむように、或いは憐れむように。

そうして唐突に桃子は自身の見た夢の真意を悟った。
何の根拠も証拠もないが、確かに感じた。



“いま自分は生まれたのだ”と。



だから名前を、“自分”を表す名をつけなくてはならないのだと、朧気ながらもそう解ったのである。


「わたしは…―桃子。……寺島桃子」



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