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□お誕生日コラボン
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1.笛吹
その悲報<しらせ>を受けたとき。
心のどこかで、「やっぱり」と思ったのが事実だ。
胸の中をざらつかせていた小さな砂利が、一気に集まって岩となる。
胃の中をずしりと占めた。
何かを隠して動いていたのは知っていた。
それがこんな形で・・・
「笛吹さん」
無言で見やる。
震える声。
心なしか青い顔の、信頼できる後輩にして部下。
無理もない。慕っていたのだ。
自分と同じくらいに、あの男を。
「筑紫、」
「はい」
「10分だけ時間をやる。顔を洗って支度してこい」
「・・・はい」
「現場に行く」
一瞬の間。
逡巡。
聡いこの男には余計な言葉はいらない。
それが、
「わかりました」
助かる。
立ち上がって去っていくその背は、いつもより少しだけ小さい。
それでも
(今の私よりはマシかもしれんがな)
ドアを閉める音。
闇に響いて、静寂が増す。
酷、かもしれない。
連れて行くのは。
どうやら現場は随分と凄惨な状態らしい。
違う仕事を与えて待機させようかと一瞬だけ思考を巡らせるが、
しかし、信じて疑わない。
同じ職場の仲間であり、敵<ライバル>であり、そして友。
馬鹿な男。愚かな男。
悪友と呼んで憚らない、あの男の失態を見届けるのは自分たちの仕事だ。
無様な最後を、見届けるのは
それは義務だ。
残されたモノの、義務。
その辛さも痛さも、伝えきれない思いも全部抱え込んで生きていくための。
胸に刻み込み、決して忘れ得ぬための。
− 残り7分。
死ぬ、ということは、最大の負けだ。
だから、私はあの男に最終的には勝ったことになる。
なのに、だ。
何だこの虚しさは。
このどうしようもない男の欠勤ごときで混乱していた捜査一課は、文字通りショートするだろう。
大きな痛手だ。
おまえはいつだって、周りを見ているようで肝心なときに、
いや、もう言っても仕方のないこと。
混乱の収拾、失意と絶望を払拭し引き締め直すのに、どれほどの力がいるか。
あの男を失った以上の力を出し切れるのか。
全く
(最後の最後まで、私はおまえの尻ぬぐいか)
それも解った上で行ったのだとすれば、
いや解ってたんだろう、おまえのことだ。
− あと4分
泣きはしない。
だが、笑いもしない。
自分の一生を狂わせた相手を追いつめて、
全てを注ぎ込んで
負けて、
それで満足だったか。
それで何を得た。
あの時から全てを一人で抱え込んで
全てを隠して
全てを一人で決めて
己の手だけを汚して
傍で生きているものたちを見向きもせずに
− あと1分
しかし、解っていたのだろう。
おまえのことだ。
全て解っていて、選んだのだろう。
この道を。
ならば、悔いはないだろう?
解っていて行ったのだから。
このような最期も想定していたのだろう?
解っている。
勝手に抱え込んで
勝手に決めて
勝手に残すのがおまえだ。
仇、などの私的な憤情には私は駆られない。
おまえも知っているだろう?
が、少なくとも信頼していたはずだ。
この私を。
残されれば、やがては奴等を追いつめると。
一人で汚れた道を行くことを選んだおまえと、集団を登り、皆を統率することを選んだ私。
一人でおまえが行ったなら、私は別の道から奴等を追いつめる。
受け取ってやる。
託されてやる。
おまえの残した仕事も汚さも
全て。
だから安心して、逝くがいい。
一人で。
− あと10秒
この10分はおまえのための時間だ。
私とおまえだけのための最後の私的な時間。
これ以降は、奴等を追いつめるまで、この笛吹直大に個人の時間は1秒たりとも必要ない。
扉が開く。
光が漏れる。
「筑紫、行くぞ」
「はい」
さぁ、
おまえとの、最後の仕事だ。