sepia

□sepia
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もうずっと入れられている座敷牢は目立たないような半地下に存在し、唯一日の光を届けてくれるのは、鉄格子付きの明かり取りのみだ。
気紛れのように与えられる本と、そこから見える空。そして時折行き交う鳥たちだけだけ。


子供にとって、それが世界の全てであった。




◆◆◆◆


ガサガサと草を掻き分ける音が近付いて来て子供は目を覚ました。
(何だろう…?)
猫や犬にしては音が大きい気がする。だが確実に鉄格子のすぐ傍から聞こえてくる音に最初は怯えていたものの、ふとした思い付きが子供の勇気を奮い立たせた。
まだ見たことのない“母”かもしれないと思ったのだ。

“父”はもう知っていた。ここに子供を閉じ込めた時の、あの汚いものを見るような表情は忘れられない。冷たくて恐ろしい人間。それが子供の中の父親像だった。だが母親はそうではないらしい。沢山読んだ物語に出てくる母親は、どれも皆優しかったからだ。主人公が悪戯をして父親に叱られる場面があっても、その後必ず慰めて許してくれる。それが母親だった。


(お母さんが迎えに来てくれたのかもしれない!)

子供は母の温もりを一番求める年齢だった。物語の中でしか存在を知らなくても、いつか自分もその恩恵を受けられるはずだと信じていたのだ。
ならば早く母にこの場所を教えなければと焦った。ここが外から見付かりにくいのは間違いないのだ。今まで誰もこの窓に気付いた人はいなかったし、だから母も来るまでに何年もかかったに違いないから。

でも母はすぐ傍まで来ている。


ずっと閉じ込められていた子供は成長も遅く、腕も足も折れそうなほど細くたよりない。立ち上がり、精一杯背伸びをして、やっと鉄格子に指先が届く程度だった。




だがその小さなアクションが、子供の運命を大きく変えたのである。




「だぁれ?誰かいるの?」

なのに聞こえた声は、子供が予想していたものとは違うものであった。日に一度食事を届けてくれる女よりも、もっと甘い声を想像していたのに。
子供はビクリと身体を竦ませ、慌てて鉄格子から指を引いた。
そうしてから、かつて父親に「誰にも存在をしられてはならない」と厳しく命令されていたのを思い出した。
(どうしよう!見付かっちゃった!!)
声は子供と同い年の兄と同様の幼いもの。きっと鉄格子を掴んだ指を見られたのだ。周囲をランダムに散策しているようだった気配が、明らかに目的を持ってこちらへ向かってくるのが、見えなくても分かった。

しでかしたことが露見すれば、父に叱られる。でも子供には受け入れてくれるはずの母親はいない。身を隠そうとしても、元々この座敷牢には布団代わりの薄衣一枚だけしかなかった。それでも子供の浅知恵で慌ててその薄衣を頭から被り、隙間から恐々鉄格子を見上げた。




「ねえ、そんなところで、なにやってるの?かくれんぼ?」
光溢れる窓から顔を覗かせた人物は、声の通りの幼い子供。だが見たこともない艶やかな宵闇色の髪に澄んだ翡翠の瞳。


(天使さまだ…)

震えて小さくなっていたはずの子供は、咄嗟にそう思った。物語の中の天使は皆、白い装束に金色の髪の挿し絵だったにも関わらず。

子供にとって光を背にした少年はただただ眩しく、本から現れた天使にしか見えなかった。




答えるでもなく、茫然と見上げてくるだけの子供に焦れたのか、現れた方の子供が重ねて質問してくる。

「きみ、お名前は?」
「…………きら…」
殆ど反射的なものだったが、外の子供は満足したように、綺麗に笑った。
「そう。キラっていうんだ。僕はアスラン。宜しくね」




偶然が偶然を呼ぶ、運命的な出会いであった。





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